「これまで人々は知力の順番付けの時、識字率や入学率などの教育指数を見てきたが、教育が普及した現代においては、先進国同士の指標の差はさほど無い」と筆者は明言。文化が異なる他国同士の比較も難しいため、統一された国際試験や評価が誕生していったと経緯をまとめた。
筆者は中でも2000年に始まった「国際学生評価」が素晴らしいと述べ、「15歳の学生に3年ごとに試験を実施。当初は先進国主体の試験であったが、参加国が広がった」と、詳細を説明。2009年と13年には中国・上海の学生が世界一を勝ち取ったなど書き込んだ。「その効果があり、この評価が中国の人々に段々と知られるようになった」と述べている。
そんな信頼できる「国際学生評価」だが、高校教育が一般レベルに近づく現代では、人としての素質が若い15歳で判定されるのは早すぎるとし、先に述べた「成人能力評価」がやはり有効だと筆者は力説。2013年に初回の「成人能力評価」が実施され、23カ国の状況報告がなされた中、「日本人の素質が一番高かった」そうだ。
日本のレベルが最も高かったのが読解力で、以下フィンランド、オランダ、オーストリア、スウェーデン、ノルウェーと続いたそうだ。「アメリカは大幅に平均を下回り、23カ国中16位だった」という結果が、筆者は意外に感じたという。筆者はその日本人の読解力の高さは最近磨かれたものではなく、「少なくとも明治維新から日本では、国民の素質改造について論じられてきた」と背景に触れた。
作家の魯迅を始めとした日本留学経験者が知識を習得したり、欧米に劣等感を感じていた日本国民が懸命に努力するなど活発な動きがあったとしている。それが1980年代の日本経済の発展につながり、「日本人の素質が世界中から注目されるようになった」としている。
続けて「成人能力評価」の大学入学率も、2009年度の日本は60%と高く「素質のある日本人がしっかりと基礎教育を受けた成果だろう」と筆者は認めているそうだ。また社会生活では1人のカリスマを育てるのではなく、「みんなが仕事をほどほどにこなし、同僚にプレッシャーを与えないようにする」のが、日本人の特徴だと述べた。
アメリカでは天才肌のビル・ゲイツ氏のような人物は、カリスマ性を最大に発揮できるようバックアップするが、「日本ではそのような行為はない」とした。個人が目立つことなく、みんなが平等な立場で教育を受け、助け合うことを日本人は美徳としているといったイメージが筆者の中にあるのだろう。
国際問題勃発時の解決の源となるのは国民の素質だと信じ、「明治時代以降、義務教育に多額の資金をかけてきたのが日本」と筆者は書き表し、「山に住む1人の学生のために、教師が山を越えて出向いている報道を見た」とつづった。時間をかけ経費を惜しまず、1人も見捨てないのが日本の義務教育の姿勢ではあるが、景気後退によって過去の制度を維持できない現状を知り、悲しく感じたそうだ。
だが義務教育の成功例として、「学生だけでなく、病院・工場・農家といったどんな職場においても、また友達や隣人が集まるなど、日本人はいたる所で勉強会やセミナーを開き勉強している」点を挙げた。横浜に住んだ経験を持つ筆者だが、「開館30分前から長い列を作って入場を待つ人であふれる、市立図書館の光景を目にし驚いた」経験も述べた。
このように筆者は、整った義務教育制度が浸透している日本では、国民は成人しても生活の中で学びを意識し実行していると受け止めた。そのような日常や環境におかれていると、生まれ持った正確に加えて能力も自然に磨かれていき、人間力のレベルが高くなると結論付けたようだ。
「日本人の素質の高さは、教育戦略の成功を証明し基礎を築くことがいかに大切か教えてくれる」とまとめている。筆者のような台湾の人から見ても、またデータ上では世界各国と比較しても、我々日本国民は能力があり素質力も高いと誇ってもよさそうだ。