米国人男性が、ブログ「Videogames and Sushi」で、日本人の「清潔さ」について意見を述べた。
多くの外国人が、日本を訪れた時の印象として最初に挙げる点の一つに「清潔さ」がある。ブログの筆者も、東京などの都心でさえ「紙が散らばったり、缶やキャンディの包装がポイ捨てされたりしていることはない」と語り、「ゴミが全く存在しないわけではないが、米国の主要都市と比較すると、抜本的な違いがある」と述べた。
日本国内では、吸い殻やガムなどのポイ捨てが増えたと問題視されることも多い昨今、海外の視点ではまだ清潔好きな国として映っているようだ。
そんな日本の「清潔な文化」はどこから来るのか、との疑問に対して筆者がたどり着いたのは、「学校教育に始まる」という答えだったようだ。
筆者によると、「米国の生徒は教室を汚し放題で、掃除は用務員の仕事だと考えている」という。一方で、「自らが小さな用務員でもある日本の生徒たちは、クラスごとに毎日学校施設を掃除する」のが当然と考えている。だからこそ、普段から汚さないように心がける意識が身についていくのだろう。
自分の使う机やロッカーのほか、教室やトイレ、体育館、運動場、学校の周囲の道路まで当番制で掃除をするという日本の教育が、学校を卒業した後、社会人となっても、さらにはリタイヤした老後に至っても、常に「清潔さ」を心がける国民性を生み出しているともいえる。
筆者はこのような文化的背景に、日本人が自分たちの街をキレイに保つための秘訣があるようだと述べた。
自分の部屋や家など、個人のテリトリーを清潔に保つのは万人に共通の作業だが、それを自分が所属する学校や会社などの団体やコミュニティーに広げ、さらには、自分の行動範囲内全てを各自が清潔に保つことをも当然だとする考えは、学校教育などを通じて日本人の行動意識の中に自然と育まれているのかもしれない。
一部の学校ではプロの清掃スタッフを雇い、子供たちは掃除の時間を勉強に回すよう指導されることもあるらしい。勉強も大切だが、日本の世界に誇れる長所である清潔さの意識を守るためにも、掃除の時間の大切さを改めて考えてみる必要がありそうだ。