建設費が巨額に膨らんだことで大きな批判を浴びた揚げ句、7月に安倍首相が計画の白紙撤回を表明した新国立競技場。8月末に工事費の上限を1550億円とする新整備計画が決まったが、これほど話がこじれてしまったのは、結局のところ誰のせいなのか?複雑に絡み合う利権を紐解きながら、あるいは過去の五輪建築と比較しながら、問題の本質を探りたい。
■安保法案の可決後に白紙!
【1】安倍晋三
設計に2年を費やしたザハ案を「五輪の主役は国民一人一人そしてアスリートの皆さん」など体のいい言葉でひっくり返した。「英断」と言われる一方、白紙にする前日に安保関連法案が衆院本会議で可決されたため、その批判と支持率低下を食い止めるための目くらましとも言われている。すでにザハや設計業者などに支払い済みの契約金約60億円は無駄金に。
■デザインコンクール審査委員長の言い訳
【2】安藤忠雄
7月16日の記者会見で「私たちが頼まれたのは、デザイン案の選定まで」「皆さん方と私も一緒なんですよ。2520億……私も聞きたい。もっと下がらないのかと」「一人の国民として、なんとかならんかなと思います」「2520億という話を聞いたとき、えーっと思いましたよ。だからこれは調整しないといけないでしょう」などと、他人事のような発言を繰り返し、責任逃れをした。
■JSCと政府を批判する東京都知事
【3】舛添要一
ツイッターで「新国立競技場は『国立』であり、その建設の責任者は、JSC・文科省・政府であって、東京都ではない」(7月12日)、「主張の整合性よりも内閣支持率が優先か?」(7月17日)、「文科省・JSC体制では駄目である。新たな機関をつくるべきだ。有識者会議も、政府決定を追認させるだけの隠れ蓑で、存在価値はない」(7月19日)と批判を繰り返している。
■契約金は受け取り済み!
【4】ザハ・ハディド
50年生まれ、イラク出身、イギリス在住の女性建築家。コンペに勝利した原案は、キールアーチが計画対象範囲を大きく超えてJRの線路や首都高の上にかかり、そのまま建設すれば3000億円かかるとされたが、JSCが縮小させて修正案を作り、1625億円に経費削減。しかし、それを再度試算したところ2520億円に膨らんだ。すでに契約金14億7000万円はザハ氏に支払い済み。
■ラグビーのコネを活かすJSC理事長
【5】河野一郎
東京医科歯科大学在学中はラグビー部に所属し活躍。88年ソウル五輪から96年アトランタ五輪まで、ラグビー日本選手団のチームドクターを務めた。そのコネクションで日本ラグビーフットボール協会や日本オリンピック委員会(JOC)、森に食い込む。JSC理事長の任期は9月末日まで(再任も可能)。一部報道によると、年間報酬は約1830万円だという。
■舛添都知事にディスられた文科相
【6】下村博文
13年から五輪担当相を兼任していたが、五輪の特別措置法により閣僚の定員枠が1人増え、15年6月から遠藤利明元文部科学副大臣に交代。その後、ザハ案の白紙撤回を受け、舛添都知事からツイッターで「最大責任者は文科省であり、担当役人の処分は免れない。組織の長にその処分ができないのなら、自らが辞任するしかない」(7月23日)と猛批判を浴びる。
■“ミニ森”と呼ばれる五輪担当相
【7】遠藤利明
中央大学在学時にラグビー部に所属。ラグビーを通じて森喜朗の子飼いとなり、“ミニ森”の異名を取る。「地味」「印象が薄い」と評されるが、森の威光で五輪担当相に就任。巨大利権をほしいままにするのではないかと言われる。7月18日、山形県にある地元事務所兼自民党選挙区支部に「日本の恥 安倍晋三」などと複数の落書きをされる事件が発生。
■責任転嫁する東京五輪組織委会長
【8】森喜朗
五輪開催決定時は、「招致できたのは石原慎太郎都知事(11年開催地立候補当時)を説得した自分の手柄」と言わんばかりだったが、新国立の白紙撤回で批判を浴びると「五輪をやりたいと手をあげたのは東京都」と責任転嫁。工事費については「国がたった2500億円も出せなかったのかね」と不満を漏らす。巷では新国立は「森喜朗古墳」と揶揄されている。
■ザハを発掘した建築家だが……
【9】磯崎新
ザハを見いだし、ザハ案を支持したものの、工事費削減のための修正案がJSCから提示されると、「当初のダイナミズムが失せた」「将来の東京は巨大な『粗大ゴミ』を抱え込むことになる」として批判に回る。競技とセレモニーを同一会場で行うことに無理があるとし、新国立は競技のみ、開会式は東京・二重橋前の広場で開催することを提案している。
■ザハ案を批判した大御所建築家
【10】槇文彦
13年8月、日本建築家協会の機関誌に論文を寄稿し、「周辺の歴史的景観を壊す」「建設コストを肥大化させる」などと、いち早くザハ案を批判。「東京新聞」(同年9月23日)のインタビューでも 「1300億円といわれているが、まともにやったらもっとかかるという声がある」 と指摘。同年11月には発起人となり、「新国立競技場に関する要望書」を下村文科相、猪瀬直樹都知事(当時)に提出した。