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平和の塔をめぐり、宮崎に仕掛けられた根拠なき歴史戦

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「最低でも塔から『八紘一宇』の文字を削り、礎石の由来を歴史の事実に従って記載すれば、石の返還を求める考えについて再考したい」

 宮崎県立平和台公園(宮崎市)にある「平和の塔」をめぐり、27日に宮�啗県庁を訪れた、中国・南京の民間団体を名乗る「南京民間抗日戦争博物館」の呉先斌館長は、平和の塔をめぐる宮崎県との面会で、こう述べた。

 呉氏はこうも訴えた。「かつての侵略戦争は中国人民に筆舌に尽くしがたいほどの災難をもたらした。八紘一宇の文字には反感を覚える。歴史の事実に従ってほしい」

 歴史の事実はこうだ。平和の塔は神武天皇即位2600年を記念し、昭和15年に建設された。その際、刻まれたのが「八紘一宇」の文言だった。

 確かに戦中の一時期、戦意高揚のスローガンに流用されたことはあった。だが、もともとは神武天皇による建国の理念・理想を表現した言葉だ。八紘(四方と四隅、転じて天下を表す)を、一宇(一つの家)となす。日本書紀に記された、和を尊ぶ日本らしい言葉だといえる。

 この歴史を踏まえ、都市計画課の森山福一課長は「八紘一宇は世界平和を祈念する理念であり、戦争とは無関係である。また、石の寄贈の経緯を示す具体的な文書が残されていない」として、礎石の返還要求を拒否した。

 河野俊嗣知事は今月19日の記者会見ですでに「礎石は建立当時、関係各国から集められたものだが、略奪されたとする史料が残っていない。平和の塔や公園は、多くの人に親しまれている現状のまましっかりと保存したいと考えている」と、中国側の要求を拒否する姿勢を見せていた。

 だが、呉氏は強硬姿勢を崩さない。面会では「平和の塔の建立前後で、日本軍は中国だけでなく、東南アジアも侵略していて、『八紘一宇は平和の思想だ』などとする県の見解は理解できない」と食い下がった。

 「全南京市民を代表する」と称する呉氏は、面会後の記者会見でも「県が誤った認識を改めるまで何度も足を運ぶ。この問題に関心がある市民はたくさんいる。今後は参加者を募集することも考える」と、宮崎への組織的な“返還要求ツアー”に言及した。

 呉氏の発言は、従来の中国政府による対日歴史戦と軌を一にするものと判断するほかない。

 中国側の“いちゃもん”の長期化が懸念されるが、そもそも日中間の戦争賠償は決着済みだ。

 中国政府は昭和47(1972)年の日中共同声明で「日本国に対する戦争賠償の請求を放棄する」と宣言した。日本の最高裁も「個人の損害賠償などの請求権を含め、戦争の遂行中に生じたすべての請求権を放棄する旨を定めたと解される」との判決を下した。

 記者会見で、この点について問われた呉氏は「今回は石の返還についての交渉で、裁判を起こすつもりはない。請求権の話題に触れることはない」と述べるにとどめた。

 しかし、請求権が存在しなければ返還「義務」は存在せず、要求の正当性が揺らぐ。論点を曖昧にした態度といえる。

 礎石の返還か、神武天皇以来の国家理念の削除か-。中国側は宮崎県という一地方自治体に歴史戦を仕掛けている。

 宮崎県の森山氏は面会後、「中国側の意見を承った上で、県としての立場を貫いて毅(き)然(ぜん)と対応した。再訪日があるならば、県の考え方を納得して頂けるように準備をする」と述べた。





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