音楽の購入方法がCDからデジタル配信に移りつつある昨今、アナログレコードが復活してきた。
そこで注目を集めているのがレコード針を作り続けて今年で半世紀の老舗、日本精機宝石工業(兵庫県新温泉町)だ。日本海に面した小さなな町の従業員約60人の小さメーカーが手掛けるレコード針は世界で高く評価されている。その陰には、レコードが衰退した後も新ジャンルの製品を開発して生き残るしたたかさと、「一人でも欲しい人がいる限り」と製造し続けたレコード針への愛があった。(藤谷茂樹)
世界に広がるJICO
日本精機宝石工業がレコード針を製造し始めたのは昭和41年。以降、一貫して顧客の要望に応え続けた。
社名の英語表記からJEWEL(宝石)とINDUSTRY(工業)の頭文字に、企業を意味するCOをつなげたブランド「JICO(ジコー)」で展開し、今では国内外の約30社の製品に対応する交換針2200種類を製造している。価格は3千円台が中心だが、高音質で再生できる1万円以上の製品も人気が高い。
売り上げの9割以上を海外が占めている。代理店を介した販売に加え、平成16年にはインターネット上に外国向けの直販サイトを開設した。豊富なラインアップで、すでに製造中止となっているレコード針にも対応したことで、ネットを通じ世界中に
評判が広がったのだ。
仲川幸宏専務は「アフガニスタンなどからも注文がある。製品を送る際に地元郵便局でとても驚かれた」と明かす。
「JICO」の名声は世界でも知る人ぞ知る存在になり、発送先は約200の国・地域に及んでいる。
そんな世界から注文が寄せられるレコード針は工程の多くが手作業だ。工業用ダイヤモンドを仕込んだ針先は直径0・25ミリ、長さ0・6ミリのサイズだが、女性工員らがルーペなどを使いながら組み立てている。
欲しい人がいる限り
同社の前身は、明治6年創業の縫い針工場だ。蓄音機用の針製造を経て、昭和41年にレコード針に参入した。昭和40~50年代は「SWING(スウィング)」というブランド名で、レコード店のカウンターに置けば瞬く間に売れたという。
しかし、57年に日本でCDの生産が始まると、状況が一変した。音楽メディアがCDに入れ替わるなか、レコード針を取り次ぐ商社が倒産し、レコードにかかわる業界が斜陽化していった。
ここで同社が活路を求めたのは、レコード衰退の原因ともなった宿敵、CDだった。CDプレーヤーの構造を研究したところ、内部のピックアップレンズが汚れると、読み込みエラーを起こすことに着目。平成2年、CDの盤面に小さなブラシを付け、レンズの汚れを落とす「レンズクリーナー」を開発した。
DVDプレーヤーにも応用できたため、息長く需要は衰えず、主力商品として経営を支えた。さらにレコード針に使ってきた工業用ダイヤモンドを別製品に加工。歯科用のドリルバーなどを開発し、経営の多角化を進めてきた。
その間も販売が落ち込み続けたレコード針。それでも製造し続けたのは、レコードがCDに主役の座を奪われるなか、当時の仲川弘社長(故人)が「一人でも欲しい人がいるなら作り続けよう」と決断したからだった。
レコードで音楽を楽しむ習慣が根付いていた欧米への輸出が底支えとなり、なんとか売り上げは会社全体の数%を保っていた。
レコード復活
こうした時代の荒波を乗り越えた先に待っていたのが昨今の世界的なアナログレコードの復活だ。当然、レコード針の売り上げも増え、会社全体の売上高の25%を占めるまでに回復し、主力商品に返り咲いた。
数年前、音楽のデジタル配信が隆盛となっていた米国で実店舗でCDやレコードの購入を呼びかける「レコード・ストア・デイ」が始まったことが転機となった。ポール・マッカートニーらが呼びかけたことで、多くの有名アーティストが参加。店舗限定のアナログレコード盤が発売されるようになったのだ。
全米約300店舗で始まったイベントが、欧州や日本など世界中に波及し、今では年1回、4月のイベントとして定着したことで、往年のファンに加えて、若い世代がレコードの魅力に触れる大きなきっかけとなっている。
国際的な音楽団体「IFPI」によると、ここ数年はアナログレコードの売上高は世界的に伸び、2014年の世界での売上高は前年比約55%増の約3億4700万ドル(約416億円)に達した。
仲川専務は「地道にものづくりを続けてきた。これからも流行には流されず、JICOのファンを増やしながら、文化としてのレコードの価値を高めていきたい」と力を込めた。