(学校にも通っていたワシル君・中央) ..
アフガニスタン南部ウルズガン州で警察部隊の先頭に立って反政府勢力タリバーンとの戦闘に加わった11歳の少年が、タリバーンに銃撃されて死亡した。地元の治安当局者が明らかにした。
おじで警察幹部のムラー・サマドさんによると、昨年、サマドさんが管轄する同州ウルズガン地区がタリバーンに包囲され、おいのワシル・アフマド君(11)が戦闘の指揮を執ったという。包囲を突破した後は州都タリンコートに脱出し、ワシル君は学校に通い始めていた。
州当局者によれば、ワシル君は今月1日、タリンコートの市場でバイクに乗った集団に銃撃され、搬送されたカンダハルの病院で死亡した。
タリバーンは同日、犯行を認める声明をウェブサイトに掲載した。
おじのサマドさんによれば、ワシル君の父親もタリバーンとの戦闘で命を落としていた。ワシル君は「父親の敵を討ちたい」という理由で1年ほど前からサマドさんにライフル銃や機関銃などの使い方を教えてもらっていたという。
ワシル君が指揮を執ることになったのは、昨年夏、ウルズガン地区がタリバーンに包囲され、サマドさんや部下の数人が負傷したためだった。
ワシル君は自宅の屋根の上から機関銃を撃ち続けたという。「おいは計43日間にわたって指揮を執り、我々は包囲を突破した。こちらはたった75人で数百人のタリバーンと戦った」とサマドさん。
サマドさんもワシル君の父親も、かつてタリバーンのメンバーだったが、2012年にアフガン政府側に転向。ワシル君の父親はその1年後にタリバーンに殺害されていた。
包囲を突破したサマドさんの部隊やワシル君らは空路で州都タリンコートへ脱出し、ワシル君は学校に入学した。卒業後は警官になるのが夢で、サマドさんはワシル君のために家庭教師も付けたといい、「おいはとても才能があった。英語もある程度話せた」と将来を楽しみにしていた。
殺害されたのは、学校に数週間通った後の冬休み中だった。
2012年にタリバーンに銃撃されて重傷を負ったパキスタンの少女、マララ・ユスフザイさんは事件について、「この地域では1人の少年だけでなく、たくさんの子どもやたくさんの人たちに同じことが起きている」「罪のない子どもたちに対して同情を持たないのはあまりに悲しい」と語った。
ワシル君は警察に配属されていたわけではなく、包囲された家族を守るために戦ったとウルズガン州の当局者は強調する。
子どもを戦闘にかかわらせることは法律で禁じられており、アフガニスタンのガニ大統領も禁止命令の徹底を命じている。しかし同国の人権団体によると、子どもが警察のために戦っているという報告は時折寄せられるという。タリバーンはそれを上回る数の子どもを使っているといい、「反政府勢力は戦闘や武器の輸送、自爆テロといった行為のために、何百人もの子どもを使っている」と担当者は話している。