「こういうのを、『後の祭り』『下衆の後知恵』というんですよ。少なくとも私は、聞いてていい感じを受けなかった」
作家の吉川潮氏がこう言った。清原容疑者が覚醒剤取締法違反で逮捕されたのを受けて、4日に“盟友”の桑田真澄(47)が会見。「2人で力を合わせて野球界に貢献できる日を心待ちにしたい」などと話したことに対する吉川氏の感想である。
4~5年前から、清原に関する良からぬウワサが耳に入るたび、本人に忠告を続けていたという桑田は、「小姑のように言い続けた。それが言えるのがボクだと。ただ、小言を言われるのに嫌気が差したんでしょうね。(清原から)『一切、関わらないでくれ』と言われた」とのエピソードを明かし、それが原因で3年前に決別して以来、絶縁状態だったと告白。神妙な表情で「もうちょっとボクが言い続けた方が良かったのかな」と悔いてみせたのだが……。
「事が起きてから、いろいろ言ったって、意味はない。清原から、関わらないでくれ、と言われたのだとしても、恩師や他の友人などの力を借りてなんとかするのが、本当の友達ってもんでしょう。放っておいてくれ、そうか分かった、と手を引いたんじゃ何もやっていないのと同じです。要するに、実際の2人は友達でも盟友でもなんでもなかったということなんだろうね。図らずも、それがよく分かりました」(前出の吉川氏)
そもそも2人は、85年のドラフトでその関係にヒビが入った。PL学園のエースだった桑田は早大進学を表明。ところがいざ巨人に単独1位指名されると手のひらを返して巨人入り。当時の王監督からサインをもらい、巨人からの指名を信じていた清原が涙を流した姿はよく知られている。このドラフトが清原の人生に最初に影を落としたとすれば、そのキッカケをつくったのが桑田だろう。
吉川氏は「2人は友達でもなんでもなかった」との印象を持ったと言ったが、実際、清原は13年10月の日刊スポーツのコラムで、桑田への複雑な思いを吐露している。
「ドラフト当時は、桑田に対して思うところはあった。正直、憎かった時期もある」「桑田が早大を断って巨人に入ったために、PLの後輩は早大進学のルートを断たれた。(中略)これは動かせない事実だ」「PL野球部が衰退していく契機は、間違いなく、あのドラフトにあった。その決断に伴う責任はあるはずだ」「だから桑田の(早大大学院)進学が信じられなかった」「東大の野球部を指導している場合じゃない」「桑田はすぐ母校へ飛んでいき、名門復活の手助けをするべきだ」
そう正論を並べ、桑田の偽善や自己中心的な言動を批判している。
桑田は、小言を重ねて清原に煙たがられたと言ったが、むしろ清原が愛想をつかしたのだ。
覚醒剤に手を出した清原に言い訳の余地はないが、それでも清原逮捕の報に接した球界OBや、かつてのチームメートは一様に言葉を選んでいる。それがかつての仲間へのせめてもの思いやりというものだろう。
「まったくです。桑田は『みんなで彼を支えることも必要』と清原の更生に力を貸すようなことも言ってましたが、そういうものは報道陣の前で公言してするものではない。陰から見守り、人知れず手を貸してやるもの。桑田の言葉からは、自分をいい人に見せようという思惑が透けて見えるようで、残念でしたね」(前出の吉川氏)
これが、まっとうなファンの感想だ。
(日刊ゲンダイ)