本誌前号で報じた清原和博容疑者の元同僚選手で、2006年に覚せい剤取締法違反の疑いで逮捕され、清原事件のキーマンとも目されるX氏の「10年前の480分にもおよぶ証言」は、各方面に大きな衝撃を与えた。だが清原が、いつから薬物に手を染めるようになったかを赤裸々に語るその証言には、実はまだ続きがあった。日を追うにつれ、X氏は実名で登場し、テレビカメラに顔を晒して取材に応じるようになった。状況が大きく変わったため、本誌も実名で報じる。
野村貴仁氏が10年前に語り、これまで封印してきた証言を公開する。今回は、清原が「グリーニー」を使用していたという証言だ。グリーニーとは、アンフェタミン(覚せい剤取締法で規制を受ける覚醒剤に指定)系興奮剤。使用すると興奮状態となり集中力がアップするといわれるが、反動も大きく、強い依存性、食欲減退、不眠などを引き起こすとされている。現在は日米球界ともに禁止薬物に指定されている。
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私が巨人に移籍した1998年頃は、グリーニーは一部の選手の間だけでしか知られていないものでしたが、2000年には他の選手の間でも広まっていました。皆「危ない薬かな」と思いながらも、その頃は罪悪感がなかったというか、痛み止めの薬であるという程度の認識しかありませんでしたからね。
私が巨人でグリーニーに出会ったのは1998年、ある外国人選手からもらったのが最初でした。彼が「眠れない」というので、睡眠薬を分けてあげたんです。すると「お礼に」と、緑のカプセル剤を渡されました。
1999年、開幕直後にケガをして二軍落ちし、なかなか完治せず焦っていた時には、また別の外国人選手から「痛み止めになる」と数カプセルを譲り受けました。飲むと本当に膝の痛みが消え、二軍で好投でき、一軍に呼ばれました。もう二軍には落ちたくない。だから今度は自分で取り寄せるまでになりました。
その外国人選手に相談すると、「母国に野球道具を寄付してくれれば、入手の便宜を図ってあげる」といわれ、少年野球用のバットやグローブを寄付し、60錠のグリーニーを入手できました。
それ以降も私はグリーニーを独自に入手し、飲み続けていましたが、どこから噂を聞きつけたのか、私の元には日本人選手たちが「薬を分けてほしい」といってくるようになりました。2000年の時点では、多くの現役選手がグリーニーを飲んでいたのではないかと思います。
グリーニーはカフェインとの相性が良いので、コーヒーに入れて飲むことが多い。選手が飲み始めるきっかけとしては、中には二日酔いを覚ましたいからという人もいましたが、多くは連戦による疲れを払拭するためです。外国人選手も、痛み止め感覚で持ち込んでいたようです。
常用していたある外国人投手は、先発した試合が延長戦にもつれ込んでも150km近く出ていた。球威がまったく落ちないと思っていたら、8回くらいにベンチ裏でコーヒーを飲んでいました。スポーツドリンクや水ならまだしも、普通は試合中にコーヒーなんか飲みません。仲間の外国人選手が「寒いだろう」なんて言って、試合中に飲ませていたこともありました。もちろん使っていたのは投手だけではありません。野手の間にも広がっていました。
〈野村氏は当時、具体的なエピソードとともに18人の現役選手たちの実名を挙げている。本誌は当時、名前の挙がった選手たちを取材、選手たちは一様に否定するものの、動揺を隠せない様子だった。その18人の選手の中の1人が清原である。〉
清原さんはグリーニーを市販されているビタミン剤の瓶に入れて、ロッカーの上の棚に置いていました。外国人選手は慎重に扱っていましたが、日本人選手は取り扱いが雑でしたね。
清原さんは私ではなく、別ルートから仕入れていました。2000年は試合前には必ずといっていいほどコーヒーに入れて飲んでいたし、自分が試合に出ていない時など、試合中にも先発している後輩投手のために、
「力が落ちてきたな。こりゃ作ったらなアカン」
と、グリーニー入りのスペシャルコーヒーを作っていた。後輩思いの先輩なんですが、照れ隠しから「オレはコーヒー係かよ」と作りながらボヤいていました。後輩の選手もそれを飲むと、即効性があるのか「フーン!」と鼻息まで荒くなっていました。それを見ながら清原さんが「効いとる、効いとる」と喜んでいたのを覚えています。
(週刊ポスト2016年3月4日号)