【台湾ブログ】席を譲った瞬間に起こった奇跡・・・日本のJR中央線で
東京で電車に乗った台湾の男性ブロガーが、同じ車両に乗り合わせた見知らぬ人とのエピソードをつづった。ある出来事を経験し、会話はないながらも妙な連帯感を覚えたようだ。「JR中央線快速電車7号車両の奇跡」というタイトルで、ブログをまとめたのは東京碎片(ハンドルネーム)さんだ。
乗車中の電車が駅に着いた時、筆者の目の前に座っていた人が下車したそうだ。「歩き過ぎていた私はちょっと休みたかった」と筆者、周りを見渡し、座りそうな人がいないことを確認して席に腰を下ろした。筆者の隣にはスーツ姿の若い女性が座っており、「資料を読んでいた彼女は、私が腰かけても全く気にしなかった。彼女のそばに小学生らしき女の子が座っていたので、母と娘なのだろう」と思ったそうだ。
その後70歳前後の老婦人3人が一緒に電車に乗り込み、筆者の目の前に立っておしゃべりを始めた。筆者は、立てない程疲れていないし、座ってパソコンを開くような緊急事態でもないと自分に言い聞かせ、「残念だが幸福な時間はもう終わりにしなければ」と席を譲ろうと立ち上がる気持ちになったそうだ。
だが3人の中の1人に席を譲るのはいかがな物か……と疑問を感じ、「隣の母娘も同時に席を譲れば、すぐに問題は解決する」と気付く。とは言え、母娘が席を譲るのかは分からない。「1人だけに席を譲る結果になっては申し訳ない」などという思いを抱いたそうだ。そんなことを筆者が考えている内に、意外なことが起こった。
「娘と思われる小学生女子が、何も言わずに立ち上がった」そうなのだ。座席を譲られた老婦人は笑顔を見せ、連れの2人に着席を勧めたそうだ。筆者は隣の女性を観察したが「母親らしき女性は席を譲る気持ちがない」と受け取ったという。加えて「小学生が席を譲ったというのに、大人が何もしないのはいかがなものか」と反省。
「自分が老婦人に席を譲ると、隣の女性は気まずくなるだろう」という気持ちもありながら、立ち上がろうと決意。誰にも個人的な事情があるので、「席を譲りましょう、と持ちかけてはいけない」という思いも抱いたそうだ。すると驚いたことに、筆者と隣の女性は呼吸を合わせたかのように同時に同じ行動に出た。2人は1秒のずれもなく腰を上げたのだ。
「どうぞと席を示す手のポーズまでも、同じ瞬間だったと思えた」そうだ。「それは奇跡のようだった」と述べた筆者は妙な連帯感を覚え、女性を褒めたい気持ちになったそうだ。3人の老婦人は仲良く並んで座ることができ、感謝の言葉を述べておしゃべりを再開。その様子に筆者は、「良い行いをした! 理想の結末ではないだろうか」と満足し、その場所から離れていったという。
隣に座り合わせ同じタイミングで老婦人に席を譲った、筆者と女性。単なる偶然だったはずだが、あまりにも息ぴったりの行動に縁を感じたのだろう。筆者は「女性に声をかけたかったが、怪しいおじさんに思われては困るので顔さえ見なかった」と述べ、ブログを締めくくった。
電車やバスで老人や妊婦を見かけると、すぐに席を譲ろうと行動するのが台湾人。彼らからすれば、日本人は席を譲らない印象があるようだ。だがこのブログに書かれたできごとから、日本人の子どもも大人も席を譲るのだと知ることができる。そして日常の何気ない行動が見ず知らずの人と重なった時には、奇跡を感じるのだと教えられる。このブログを読んだ台湾の人たちは、ホッと安心感を覚え良い話を聞いた気持ちになるのではないだろうか。
東京で電車に乗った台湾の男性ブロガーが、同じ車両に乗り合わせた見知らぬ人とのエピソードをつづった。ある出来事を経験し、会話はないながらも妙な連帯感を覚えたようだ。「JR中央線快速電車7号車両の奇跡」というタイトルで、ブログをまとめたのは東京碎片(ハンドルネーム)さんだ。
乗車中の電車が駅に着いた時、筆者の目の前に座っていた人が下車したそうだ。「歩き過ぎていた私はちょっと休みたかった」と筆者、周りを見渡し、座りそうな人がいないことを確認して席に腰を下ろした。筆者の隣にはスーツ姿の若い女性が座っており、「資料を読んでいた彼女は、私が腰かけても全く気にしなかった。彼女のそばに小学生らしき女の子が座っていたので、母と娘なのだろう」と思ったそうだ。
その後70歳前後の老婦人3人が一緒に電車に乗り込み、筆者の目の前に立っておしゃべりを始めた。筆者は、立てない程疲れていないし、座ってパソコンを開くような緊急事態でもないと自分に言い聞かせ、「残念だが幸福な時間はもう終わりにしなければ」と席を譲ろうと立ち上がる気持ちになったそうだ。
だが3人の中の1人に席を譲るのはいかがな物か……と疑問を感じ、「隣の母娘も同時に席を譲れば、すぐに問題は解決する」と気付く。とは言え、母娘が席を譲るのかは分からない。「1人だけに席を譲る結果になっては申し訳ない」などという思いを抱いたそうだ。そんなことを筆者が考えている内に、意外なことが起こった。
「娘と思われる小学生女子が、何も言わずに立ち上がった」そうなのだ。座席を譲られた老婦人は笑顔を見せ、連れの2人に着席を勧めたそうだ。筆者は隣の女性を観察したが「母親らしき女性は席を譲る気持ちがない」と受け取ったという。加えて「小学生が席を譲ったというのに、大人が何もしないのはいかがなものか」と反省。
「自分が老婦人に席を譲ると、隣の女性は気まずくなるだろう」という気持ちもありながら、立ち上がろうと決意。誰にも個人的な事情があるので、「席を譲りましょう、と持ちかけてはいけない」という思いも抱いたそうだ。すると驚いたことに、筆者と隣の女性は呼吸を合わせたかのように同時に同じ行動に出た。2人は1秒のずれもなく腰を上げたのだ。
「どうぞと席を示す手のポーズまでも、同じ瞬間だったと思えた」そうだ。「それは奇跡のようだった」と述べた筆者は妙な連帯感を覚え、女性を褒めたい気持ちになったそうだ。3人の老婦人は仲良く並んで座ることができ、感謝の言葉を述べておしゃべりを再開。その様子に筆者は、「良い行いをした! 理想の結末ではないだろうか」と満足し、その場所から離れていったという。
隣に座り合わせ同じタイミングで老婦人に席を譲った、筆者と女性。単なる偶然だったはずだが、あまりにも息ぴったりの行動に縁を感じたのだろう。筆者は「女性に声をかけたかったが、怪しいおじさんに思われては困るので顔さえ見なかった」と述べ、ブログを締めくくった。
電車やバスで老人や妊婦を見かけると、すぐに席を譲ろうと行動するのが台湾人。彼らからすれば、日本人は席を譲らない印象があるようだ。だがこのブログに書かれたできごとから、日本人の子どもも大人も席を譲るのだと知ることができる。そして日常の何気ない行動が見ず知らずの人と重なった時には、奇跡を感じるのだと教えられる。このブログを読んだ台湾の人たちは、ホッと安心感を覚え良い話を聞いた気持ちになるのではないだろうか。