奈良でぼう然の末に気づいた…、これまで疑いもしなかった歴史の出来事は真実じゃないかもしれない
春節(旧正月)の連休を利用して日本を旅行したという中国河北省在住の男性がインターネットで当時の様子を紹介した。奈良を訪れた時に「いままで真実だと信じてきた歴史上のエピソードは本当に真実なのだろうか」と考えさせられる出来事があったという。以下はその概要。
春節の休みを利用して日本を旅行した私には、たくさんの忘れがたい思い出ができた。中でも奈良ではすっきりしない出来事にぶつかった。それは梁思成(リアン・スーチョン)の像のことだ。建築家の梁思成は戦時中、米国による日本本土の爆撃が始まると米空軍の司令官に手紙を書き、京都と奈良を爆撃対象から外すよう意見した。古い建築物を守るために取った行動で、これは中国で広く伝えられているエピソードだ。米軍は梁思成の意見を聞き入れ、京都と奈良に爆弾を落とさなかったと聞いている。
日本を訪れるまで、私はこの話が真実だと疑わなかった。そして奈良に着いたら最初に奈良県文化会館の広場にあると聞いていた梁思成の像を見に行こうと考えていた。しかし、実際は像などなく、「2010年の報道で像ができると聞いていたのに。どうしてないのだろう」と困惑してしまった。場所を間違えたかと思い、ネットで調べて初めて、「梁思成が奈良の建築物を守ったということを証明できるものがない」という理由で像の設置計画が中断していることを知ったのだ。
私は憤りと失望に襲われた。日本の反中派が阻止したに違いないと考えたのだ。しかし、私は自分に冷静になるよう言い聞かせた。帰国後、梁思成に関する情報をもう1度調べてみてようやく、梁思成のこのエピソードは今も意見が分かれるところであるということを受け入れることができた。残念だと思う反面、実際の状況を知ることができてほっとした気分だった。ここから思うに、私がこれまで「真実だ」と固く信じてきた歴史上のエピソードのうち、「絶対に本当だ」と言えるものはどのくらいあるのだろうか。もちろん、梁思成が中国の古代建築の保護に力を尽くしたということは紛れもない事実だ。奈良での出来事で、私の梁思成に対する印象が変わるわけでは決してない。
・・・梁思成もほかの誰の進言もなく、あったとしても何の影響もなかった!!
(京都、奈良には空襲がなかったのか?)
1945(昭和20)年に3回米軍の爆撃があり、1月16日には東山区の馬町に空襲があり、死者41人、負傷者48人の被害が出た。6月26日には高級織物産地の西陣が標的となって空襲があり、7発の爆弾が投下され、5発が爆発し死者50人、負傷者66人といわれる被害が出た。
. この研究は1995(平成7)年7月に「京都に原爆を投下せよ・ウォーナー伝説の真実」として、角川書店から出版され、さらに2002(平成14)年8月にこの再刊となる「日本の古都はなぜ空襲を免れたか」という朝日文庫本が出版された。吉田教授がこれらの書で述べた推論は、京都人にとっては次のような恐るべきものであった。
1.京都は人口密集度や地形から見て、原爆投下の理想的目標(広島と京都がAA級になっていた)の都市であったため、来るべき原爆投下の威力や効果を正確に測るため、無傷のままにしておく必要があった。目標指定される前は空襲の例外ではなかったため実際何回かの空襲があった。
2.従って軍事上・戦略上の観点から通常の爆撃を禁止していただけであって、文化財の多い古都を守る意図などアメリカには全くなかった。むしろ日本人にとって特別な意味をもつ京都が被爆すれば抗戦意欲が消失するだろうという読みさえあった。広島、長崎のあと、さらに戦争が長引いていれば、京都に3発目の原爆が投下されていたはずである。
3.ウォーナーリストは古都を護るために作られたものではなく、日本が中国などの諸外国から略奪した文化財の返還が必要になった時に、その損害に見合う等価値の文化財で弁償させるための基礎資料として作られたものである。つまりウォーナーと京都が爆撃を免れたこととは何の関係もない。
4.「ウォーナーが古都を護った」といういわゆるウォーナー伝説は、戦後の占領軍の中枢であったGHQ(連合軍最高司令部)が、日本人の懐柔と親米感情醸成のためウォーナーリストをタネにしてウォーナー恩人説を信じるよう、定説に仕立て上げた作り話である。これはその後の米軍戦史やトルーマンの回顧録にも引用された。
5.原爆投下が広島の次が京都でなく長崎だった理由は、京都に原爆を投下した場合、戦後の国際政治の中で日本人がアメリカ陣営を離れ、ソ連に接近しかねないとの、スチムソン陸軍長官の指摘からの決断とされる。京都が戦禍から免れたのは、アメリカの高度な政治判断によるもので、決して文化財の保護が理由ではなかった。
6.奈良や鎌倉が戦禍を免れたのは、人口の少ない小都市であり単に優先順位が低かったに過ぎない。戦争が長引けば必ず爆撃されたはずである。
<まんまとアメリカの作戦に嵌った日本>
吉田教授の分析や推論は非常に精緻で説得性があるので、これに対する有力な反論はないようである。とすれば我々日本人は見事にアメリカの作戦に嵌ったわけであり、GHQに呼びつけられた政府関係者は日本の優れた文化財をアメリカが価値を認めてくれたと自尊心をくすぐられ、ひたすらウォーナー伝説を有り難く受入れ、マスコミもそれに乗ったということになる。
本人が否定しているのに、「ご謙遜を、貴方は日本の文化財を護ってくれたのですよ。」といってウォーナーを顕彰している日本と、敦煌の壁画をはがしてアメリカに持ち帰った悪人・盗人としてウォーナーを語り伝えている中国との間に大きな落差がある。何故日本人はこのことを知っても、アメリカ人は日本人を騙した!と怒らないのだろう?