「日本は大嫌い!」と言っていた友人に小さな変化、私が取った行動と決意―中国人学生
友達の珍ちゃんがデジカメを買った。すごくうれしかったようで、電話で私に教えてくれた。「なんのブランド?」と私は聞いた。「BenQよ。聞いたことある?台湾のブランド」と珍ちゃんは答えた。「ソニーとかキヤノンとかを買ったらいいのに」「なんで日本のを買わなきゃいけないの?」「だって…」。珍ちゃんは「日本のが必ずしもいいとは限らない。とにかく、日本は大嫌い」と激しい感情を込めて言った。
友人の中にこんなに日本を嫌う人がいるなんて、その時初めて気づいた。もはや驚きを通り越して、私をあ然とさせたと言っていい。記憶の糸をたぐって、数年前の自分を思い出した。確かにあの時、日本に対して私も強い反感を抱いていたが、いつの間にその反感が消えたように薄くなったのか。よく考えてみると、それは日本語の勉強のおかげだった。日本語を専攻しているからこそ、日本人と触れ合うチャンスができ、日本文化がだんだん分かるようになって、日本に対する印象もよくなってきたのだ。では、友達にもそんなチャンスを与えてあげたらどうだろうか。
私は図書館から日本を紹介する本を何冊か借りた。そして、夏休みにそれらの本と日本人の先生と遊んでいる写真などを故郷に持って帰った。暇な時、珍ちゃんに私と一緒にその本を読んだり、写真を見たりしてもらった。写真を見る時、珍ちゃんは「日本人と付き合う時、何か不愉快な思いはしないの」と聞いた。「ぜんぜん。先生はやさしいよ。本当に」と私は答えた。「私、認めないわ。日本人がどれほどの中国人を殺したか、一生忘れられない。日本人が優しいはずないでしょう」と珍ちゃんは敵意に満ちた目つきで私を見た。「それは歴史よ。歴史は忘れるべきじゃないけど、そこから汲み取るべきものは経験と教訓で、恨みじゃないでしょう。それに、中国人を殺したのは一部分の日本人で、それですべての日本人を憎んでは不公平だと思わないの」と私。
珍ちゃんは黙ってまた写真を見始めた。「どっちにしても、私、納得できないわ」と珍ちゃんはいきなり頭を上げた。彼女の目つきが前ほどきつくはないと私は感じた。夏休みが終わって学校に帰るとき、珍ちゃんは駅まで私を送ってくれた。「あれから日本に関するもの、いろいろ理解したわ。やっぱりあの国、好きになれない。でも、前ほど嫌でもない」と珍ちゃんは小声で言った。「それでいいよ。私も大好きとは言えないわ。ただ歴史は日中友好を妨げる障壁になるべきではないと思うだけ。日本と中国は助け合って共に前進すべきじゃないかな」と私は微笑んで言った。「うん!」と珍ちゃんも頷いた。
列車が走り出した。窓の外の景色を見て、私は決意した。力を尽くして互いの理解を深め、日中友好の輪を広げるために努力し続けると。