「『謝謝』は日本語で何て言うの?」=反日だった祖母を変えた日本旅行
日中の政治的な関係が冷え込む中、両国国民の相手国に対する感情も芳しいとは言えない状況が続いている。北京大学の馬源営さんは、一緒に日本旅行に行った反日のお婆さんの心の変化について、作文の中で次のようにつづっている。
大学2年生の夏休みに、念願だった日本訪問が実現した。祖母が暇で、「一緒に行こうか」と尋ねると、「うん、いいよ」と返事してくれた。ただ、行き先が日本だと聞くと表情を変え、「日本なんかそんな国、敵の国じゃないか。行きたくない」と言った。懸命に祖母を説得し、ようやく承諾してくれたが、空港で飛行機を待っている間も不満そうな顔でぶつぶつ文句を言っていた。
日本に着いた翌日、私たちはディズニーランドに行った。しかし、祖母と2人きりであんなに大きなテーマパークにいたため、不安だった。ガジェットのゴーコースターを前にし、決して流ちょうとは言えない日本語で係の人に尋ねた。「あのう、祖母でも乗れますか」「おばあさまのお体の調子はいかがでしょうか」「元気です」「それなら、大丈夫です。安全ベルトをしっかり締めて下さい」「ありがとうございます」「いえいえ。日本語がお上手ですね」。ガチガチに緊張していた私に、彼女は素敵な笑顔と温かい言葉を送ってくれた。
また、彼女は私の地図が破れてばらばらになっていることに気づいた。「新しい地図をお持ちしましょうか」「はい、よろしくお願いします」「すみませんが、少しお時間をいただけますでしょうか」。そう言うと、彼女は急いで地図を取りに行った。彼女は戻ると申し訳なさそうに、「お待たせいたしました。誠に申し訳ございません」と言った。炎天下の中、走り回った彼女にお礼を言うつもりだったが、反対に謝られた。
そばにいた祖母は日本語ができなくても、彼女の真心を感じることはできたようだ。「彼女は本当に親切だね。私たちに微笑んで、サポートしてくれた。面倒くさいと思わずに、詳しく説明してくれているみたいだったね」「ええ、そうよ」「『謝謝』は、日本語で何と言うの?」「『ありがとう』だよ」。そう教えると、祖母はすぐに「ありがとう、ありがとう」と繰り返し練習していた。
ようやく私たちの順番が来た時、さっきの係員さんはわざわざ私たちの前に来て、丁寧に祖母の安全ベルトを締めてくれた。孫娘の私よりも優しく、暖かい心遣いだと思った。そして、コースターが動き始めた時、これまで見たこともないような笑顔で私たちに手を振っていた。「いってらっしゃい。楽しい旅を」。私も祖母も胸がいっぱいになり、彼女に手を振り返した。
「楽しかったですか?」。彼女はそう聞きながら、祖母のベルトを解いていた。ずっと黙っていた祖母が「あ、り、が、と」と口にした。それを聞いて私は驚いた。祖母は感謝の気持ちを伝えようとしていた。彼女の優しさが、日本人を恨んでいた祖母の心を変えたのだった。名古屋空港で中国に向かう飛行機を待っていた時、祖母が「また日本に来たいな」と言った。日本人の他人への思いやりを自分の目で見て、肌で感じた祖母から、日本人に対する悪いイメージが綺麗に消えていたことが分かった。
いま、中日両国が抱えている誤解をわだかまりなく解決するには、実際に相手と話し合い、心と心で触れ合うことが重要だと実感した。あの時の一言に応えるためにも、しっかりと日本語をマスターして、日中友好の為に力を尽くしたいと思う。
日中の政治的な関係が冷え込む中、両国国民の相手国に対する感情も芳しいとは言えない状況が続いている。北京大学の馬源営さんは、一緒に日本旅行に行った反日のお婆さんの心の変化について、作文の中で次のようにつづっている。
大学2年生の夏休みに、念願だった日本訪問が実現した。祖母が暇で、「一緒に行こうか」と尋ねると、「うん、いいよ」と返事してくれた。ただ、行き先が日本だと聞くと表情を変え、「日本なんかそんな国、敵の国じゃないか。行きたくない」と言った。懸命に祖母を説得し、ようやく承諾してくれたが、空港で飛行機を待っている間も不満そうな顔でぶつぶつ文句を言っていた。
日本に着いた翌日、私たちはディズニーランドに行った。しかし、祖母と2人きりであんなに大きなテーマパークにいたため、不安だった。ガジェットのゴーコースターを前にし、決して流ちょうとは言えない日本語で係の人に尋ねた。「あのう、祖母でも乗れますか」「おばあさまのお体の調子はいかがでしょうか」「元気です」「それなら、大丈夫です。安全ベルトをしっかり締めて下さい」「ありがとうございます」「いえいえ。日本語がお上手ですね」。ガチガチに緊張していた私に、彼女は素敵な笑顔と温かい言葉を送ってくれた。
また、彼女は私の地図が破れてばらばらになっていることに気づいた。「新しい地図をお持ちしましょうか」「はい、よろしくお願いします」「すみませんが、少しお時間をいただけますでしょうか」。そう言うと、彼女は急いで地図を取りに行った。彼女は戻ると申し訳なさそうに、「お待たせいたしました。誠に申し訳ございません」と言った。炎天下の中、走り回った彼女にお礼を言うつもりだったが、反対に謝られた。
そばにいた祖母は日本語ができなくても、彼女の真心を感じることはできたようだ。「彼女は本当に親切だね。私たちに微笑んで、サポートしてくれた。面倒くさいと思わずに、詳しく説明してくれているみたいだったね」「ええ、そうよ」「『謝謝』は、日本語で何と言うの?」「『ありがとう』だよ」。そう教えると、祖母はすぐに「ありがとう、ありがとう」と繰り返し練習していた。
ようやく私たちの順番が来た時、さっきの係員さんはわざわざ私たちの前に来て、丁寧に祖母の安全ベルトを締めてくれた。孫娘の私よりも優しく、暖かい心遣いだと思った。そして、コースターが動き始めた時、これまで見たこともないような笑顔で私たちに手を振っていた。「いってらっしゃい。楽しい旅を」。私も祖母も胸がいっぱいになり、彼女に手を振り返した。
「楽しかったですか?」。彼女はそう聞きながら、祖母のベルトを解いていた。ずっと黙っていた祖母が「あ、り、が、と」と口にした。それを聞いて私は驚いた。祖母は感謝の気持ちを伝えようとしていた。彼女の優しさが、日本人を恨んでいた祖母の心を変えたのだった。名古屋空港で中国に向かう飛行機を待っていた時、祖母が「また日本に来たいな」と言った。日本人の他人への思いやりを自分の目で見て、肌で感じた祖母から、日本人に対する悪いイメージが綺麗に消えていたことが分かった。
いま、中日両国が抱えている誤解をわだかまりなく解決するには、実際に相手と話し合い、心と心で触れ合うことが重要だと実感した。あの時の一言に応えるためにも、しっかりと日本語をマスターして、日中友好の為に力を尽くしたいと思う。