何度も日本を訪れ、行く度に新鮮な感覚と日本人への強い興味を覚える台湾人が、観察日記をブログにまとめた。「礼儀正しくて清潔な素晴らしい日本人像」がガラガラと崩れ落ちたようだ。2014年は東京に3回行ったという、clouddeep(ハンドルネーム)さん。日本人は“特異な民族”だという思いがどんどん増しているという。
まず気になったのは朝の通勤時間帯の街の様子で、「男性も女性もスーツに白っぽいシャツを着ていて、まるで制服」という光景だったとのこと。スーツ以外の服装でいると逆の意味で目立つとし、「日本人は無言のまま冷たい視線を浴びせるでしょう。アジアの観光客がカジュアルな服装で歩いていると日本人は我々のことを推測し、とがめるかのように自分の中から排除する」と述べた。
そのような態度を取られ、筆者は屈辱的な思いを抱いてしまったのかもしれない。続けて、駅やエスカレーターで日本人同士がよくぶつかっているのを目撃した筆者だが「完全に無視し合うことが奇妙だ」と感じた。対向者と体がぶつかると分かり切っている道をわざわざ歩き、「全く気にかけることなく、列を作る場所できちんと並び始めまるでロボットのようだ」と驚いた。
そういった姿を観察し、「日本のサラリーマンは人体を流れる赤血球のように見える。電車という複雑で巨大な血管によって、体の部位に送られているのだ。会社という器官に栄養や酸素を運んでいるのが赤血球ではあるが、ほかに重要な役割は無い。毎日着る白シャツ同様、特長がないのが赤血球のようなサラリーマンだと言えるのではないか」と書き表した。
個性を持たず、他人にぶつかるような道を歩いていても気にせず反応もせずに、ピストン輸送でただ会社に送られているかのような日本人の姿が滑稽に映ったようだ。そんな面白味もない日常生活を過ごしながらも、表面的には礼儀正しく装っているように見受けられ「人に知られたくない何かを隠している」と結論付けたそうだ。
また外国人が日本語を学ぶのは簡単で、役所が応対するような言葉を覚えたら「ほとんどの会話が成立する。礼儀正しくて機嫌を伺えたら、日本人との対話は完結だ」と確信を持っているそうだ。その上、規律に従い礼儀正しく物事をこなせば日本人らしく振る舞えるとし、「行儀よく列に並んだり、レストランの店員を装えば良い」と例を挙げた。それらは抑圧された日本人を表していると思えたそうだ。
筆者は買い物中に納得がいかなかった経験も持っている。割引商品の表示があったにも関わらず、レジ支払い時に割引対象外だと言われたそうなのだ。「確認で10分以上待たされ、少しも安くしなかった。最後は日本の慣用と言えるお辞儀で終わりにされた」という。台湾人を含めた外国人旅行者の立場では納得いかず、「商売が成り立っているとは思えない」ほど、奇妙に感じたそうだ。
外国人を単に困らせたかった、とさえ思ったようである。台湾人の感覚では、お詫び代わりに値引くのがマナーだと言わんばかりである。続けて個性のないサラリーマンと比較して、特徴ある人々が集まる渋谷の街に違和感を覚えたとも述べた。「日本で唯一リラックスできる場所ではないか」と思えたと同時に、日本人の価値観は「何を許して何を許さないのだろう!?」と、理解に苦しんだとのことだ。
そして池袋に滞在した時の感想として、「朝の街並みは清潔だ。歩行者や車も整然とし、交通指導の模範映像かのような街だった」と述べた。だが夜時間になると、柄の悪そうな若者が路上でお酒を飲み空き缶を捨てるなど、街が別の顔になった」と衝撃を受けたそうだ。同じ街でも朝と夜は関係性がなく、「日本人の有様を描く、2枚の浮世絵を見ているかのよう」な気分になったそうだ。
「日本という国そのものが巨大なテーマパークで、そこで働く従業員が日本人だ」と、好奇心を込め筆者はそう言い切った。日本社会には「着飾り上手」が集まり、似たような服装をし個性を封じている、外国人を排除する一方で洋風化を追求している矛盾を抱えていると、とにかく訴えたかったようである。
「外見は高級スーツ姿だが、心はチョンマゲを結っている武士のまま」と表現し、そこが日本人の面白さだとまとめた。今後はさらに日本人を深く観察していきたいという。「特に集団意識に興味がある」とブログを締めくくっており、日本旅行記と共に観察結果を再公開する可能性がありそうだ。