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高倉健没後半年――遺骨やお墓をめぐる養女と親族たちとの「水面下の」事情

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映画俳優・高倉健が亡くなって半年が経過した。

今も、テレビの追悼番組、雑誌の特集記事が続いており、「高倉健」という存在が、俳優の枠を超え、「理想の日本人」のひとりとして、国民の胸に刻まれていることがわかる。

■高倉健の「お墓」はどこにあり、「遺骨」はどうなったのか

NHKのBSプレミアムで、俳優の柳楽優弥がリポーターとなって、「高倉映画」の足跡を追うドキュメンタリー番組『高倉健が残したもの~人を想う心の旅~』が、5月16日、放映された。

そこで柳楽が、高倉に強く惹かれたのは、撮影現場で役を演じるだけでなく、スタッフや地元の人々との関係を大事にし、その後も律儀に交流を続ける高倉の「人への想い」だった。

共演者やスタッフに贈る時計やバッグ、世話になった人に欠かさない礼状、付き合いのあった少なからぬ人たちの命日に贈っていた「高倉」という名入りの線香――。

「想い」を伝えるエピソードには事欠かないが、一方で、プライバシーを大切にし、孤高を貫いた。

高倉健に、もう一歩近づき、親しくなろうとして、多くの人が「壁」にはばまれた。立ち入らせない領域があったという。

「遺骨」と「お墓」を封印したのは、「記憶に残しても、形あるものは残さない」という高倉が最後に発した強烈なメッセージのようである。

高倉の「お墓」はどこにあり、「遺骨」はどうなったのか。

私は、高倉の死後、昨年末から今年初めにかけて『週刊ポスト』に「高倉健・菅原文太と暴力団」というタイトルで4週にわたって連載、その間、ずっとそのことが気になっていた。

記事の趣旨は、高倉健とその後を追うように亡くなった菅原文太と暴力団との関係を、2人が演じた「任侠映画」と「実録映画」を軸に考察、「暴力団の盛衰と日本の変化」を論じるもので、プライバシーに踏み込む必要はなかったが、「健さんのお墓はどこにあるのか」と、話題にする人が多く、その行方は私も気になっていた。


■養女の手記で明かされなかったこと

高倉の全てを引き継いだのは、『週刊文春』が正月合併号でスクープした養女・小田貴(高倉の本名は小田剛一)だった。

記事のなかで、「妻であり、母であり、娘でもあったかも知れない」という33歳年下の貴を、高倉が13年5月に養女にしたこと、葬儀に関わる高倉の意向が、「戒名なし、葬式なし、散骨を希望する」というものだったことが明かされた。

貴は、文春ムック『高倉健』のなかで「高倉健というプライド」と題する手記を寄せている。そこで初めて高倉の「闘病の日々」が綴られているが、貴の高倉を想う気持ちは、「肉体は消え落ちても、心魂は空に向かって飛んでいく」という趣旨の手記の最後に紹介された詩に表れている。

貴が選んだのは、一切を封印すること。それが「高倉の気持ちであり、プライドである」ということのようだ。だから、相当に親しい友人、長年の付き人も、「遺骨」の行方も「お墓」の場所も知らない。

このことについては、少なからぬ違和感があった。取材の過程で高倉らしさを示す次のようなエピソードを聞かされたからだ。

75年に封切られた『神戸国際ギャング』という東映映画で、高倉は山口組が全国制覇する際の原動力となった菅谷組の菅谷政雄組長を演じた。菅谷は81年11月に死去。晩年は山口組から絶縁処分を受け、寂しい日々だったが、高倉は菅谷の7回忌まで、毎年早朝、墓参りを欠かさなかった――。

それだけ義理堅い人が、自分への墓参りを拒否するだろうか。

私は、貴の代理人弁護士に、「遺骨と遺品とお墓はどうなっているのか。既に散骨されたのか」と、そのことに絞って質問書を送った。しかし、「一切、お答えできない」というのが回答だった。

では、親族はどうだろうか。

高倉は、31年2月、福岡県中間市に4人兄弟の次男として生まれた。既に長兄はなく長兄の子、2人の妹とその子供たちが親族となるが、親族もまた、「プランバシーを大切にした故人の意思を尊重する」として、取材に応じることはなかった。

ただ、故郷には親類縁者も多く、菩提寺の中間市「正覚寺」には「小田家」の墓もあり、もう少し詳しい事情を聞くことができた。

■「高倉健というプライド」を守る親族、友人そして養女

まず、遺言通りに葬儀はなく、都内の葬儀場で、亡くなって2日後の11月12日、火葬にされた。その時の出席者は、貴の他、映画会社社長や映画監督、マスコミ関係者など8名。事前の連絡はそれ以外になく、全て、親族も含め、事後に報告された。

年が明けると、仕事関係の整理に入り、版権などを握り、スケジュール管理などを行ってきた高倉プロダクションは、貴以外の役員が退任し、4月1日、本社は都内・赤坂のマンションから千代田区の代理人弁護士の事務所に移された。

遺産は貴が相続、妹や甥や姪といった親族には遺留分もなく、世田谷の豪邸、赤坂のマンション、長野の別荘地といった不動産、有価証券類などは、遺影や遺品も含めて、すべて貴が引き継ぎ、管理している。

親戚筋がため息をつく。

「遺産トラブルのように受け取られるのが嫌で、小田家の人は黙っていますが、遺骨がどうなったか、お墓はどうなっているのか、といったことすら知らされていません。養女に接触しようとすれば、『弁護士事務所を通じて欲しい』となる。お線香の一本もあげられない親族はつらいものです」

お墓の場所はわかっている。生前、高倉は鎌倉霊園(神奈川県鎌倉市)に27平方メートルの一区画を求めており、晴れた日には富士山が眺められる。

そこには、59年に結婚した歌手の故・江利チエミとの間にもうけながら病気のために中絶を余儀なくされた子供のための水子地蔵が建立されている。だが、遺言に従えば、ここにも納骨されていないわけで、故郷の菩提寺の墓に分骨されているわけでもない。

高倉が残したのは、205本の映画作品だけ。ファンの心のなかに、残ってくれればいい――。

それが、養女・貴が、親族、親類、友人などの一部と、水面下のせめぎあいをしつつも、「高倉健というプライド」を守るためにやっていることなのである。




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