「一衣帯水の国」と言われる日本と中国は、似ているようで異なる部分も大きい。今日まで緊張が続く日中関係について、北京語言大学の王健蕾さんは違いを受け入れつつ、近いことの「縁」をより大事にすべきだと訴えている。
もし、誰かに「中国と係わりのある国を一つ挙げなさい」と言ったら、恐らく多くの人が日本だと答えるであろう。少なくとも留学生や親戚を含めて、周りの人に聞いてみたところ、やはりそうだった。今日の日中間のさまざまな出来事は言うまでもなく、さらに身近なことから言えば、次のようなエピソードもある。
終戦間際、友達の曾祖母の家に、ある見知らぬ日本の若い兵士が入ってきた。慌てて撤退していたため、途中でガソリンが切れてしまった。それを知った友達の曾祖母はかわいそうだと思い、家の小さな工場にあるガソリンを彼に渡した。コミュニケーションもうまく取れなかったが、その若い兵士は「必ずお返しします」と言っていたようで、深くお辞儀をして出ていった。その後、何年も経ち、そのようなことがあったことすら忘れてしまっていた時に、日本から新しいガソリンが届けられたそうだ。私はこの話を聞いた時に、戦争って何だったのだろうかと思った。
私の祖母がとてもかわいがっていた日本人の女の子がいる。大学で知り合った彼女が私の故郷へ遊びに来たときのことだ。樹氷の花が咲き誇るマイナス30度の厳寒に彼女は耐え切れず、39度もの高熱を出して寝込んでしまった。祖母がすぐ彼女はズボン1着であることに気づき、私の毛糸のズボンを彼女に穿かせた。「中国の東北人が寒さに強いとは聞いていたけど、みんな私と同じようなジーパン姿だし、まさか下に何枚もズボンを穿いているとは思わなかったもの。おばあさん、心配かけてごめんなさい」。彼女は帰国するとき、私より祖母との別れが惜しかったようだ。祖母もまた祖母で、よく「あの子、かわいいね」と微笑みながら今でも私に言う。
なぜか個人的な付き合いはスムーズで、人間味にあふれているのに、国や民族間となると、何だか微妙な所が多い。
友達が故郷へ来て初めて中国人がジーパンの下に何枚かのズボンを重ね着していることを知ったように、勘違いや考え方の違いは当然あるのではないだろうか。柔軟な考え方というか、何かの方法で両国間の隔りとなっている壁を突き破ることはできないものか。ハイレベルの交流はもちろんのことだが、ソフトパワー、民間交流も欠かせない。日中両国、歴史の縦軸に沿って振り返ってみれば、2000年余りの交流史があり、先を眺めてみれば未来は果てしなく広がっている。横軸から考えても、計り知れない宇宙の中で両国は近隣である。その縁を大事にすべきだと思う。