写真家・土門拳は原爆投下から16年後の長崎を撮影していた。写真の一部はかつて雑誌などに掲載されたが、別のカットを含む400点余りのコンタクトプリント(ベタ焼き)が東京都内の元事務所で保管されていた。原爆投下から70年となった今夏、土門の長女・池田真魚(まお)さん(74)から朝日新聞が提供を受けた。
保管されていたのは、23歳の時に長崎で被爆した詩人・福田須磨子(1922~74)や長崎市の街並み、浦上天主堂(同市)の近くで横たわる石像などのコンタクトプリント。コンタクトプリントとは、フィルムを印画紙に密着させて焼き付けたもので、元のフィルムは見つかっていない。
約400点のうち、福田須磨子の写真を含む14点は61年に「女性自身」(光文社)の特集「原子野に生きる 長崎の16年め・この苦しみをどこへ」に、石像の写真2点は85年に「土門拳全集13 傑作選下」(小学館)に掲載された。
一方、コンタクトプリントには、これらとは別のカットが多数含まれていた。さらに長崎の街並みなど残りの写真についても、土門拳記念館(山形県酒田市)の担当者は「発表された形跡がない」としている。