国内最大の指定暴力団山口組(総本部・神戸市灘区)の分裂問題は、脱退団体が新組織「神戸山口組」を立ち上げ、水面下で山口組と勢力争いを続けている。いまのところ、双方による文書戦が中心だが、「山口組」を名乗る組織が2つ存在する前代未聞の状態に警察当局は抗争に発展する恐れがあるとの見方を強めるとともに、山口組壊滅の好機と捉え、取り締まりに全力を挙げている。そんななか、組員の更生活動に取り組む元山口組系組長は「いまこそ足を洗う絶好のチャンスだ」と夕刊フジに極道の内幕を告白した。
「渡辺芳則5代目組長時代の山健組と、篠田建市(通称・司忍)6代目組長時代の弘道会の立場が逆転した状況が10年続き、積もり積もったものがあるのだろう。離脱した組長は幹部がほとんどで、大半が高齢。弘道会の新陳代謝が進めば、いずれ自然淘汰(とうた)される。自分の組織の行く末に危機感を抱き、極道(ヤクザ)人生最後の賭けに出たのでは」
竹中正久4代目組長が立ち上げた竹中組の生え抜きで、竹中組長のボディーガードも務めた元山口組系組長の竹垣悟氏(64)は今回の分裂問題について、こう切り出した。
竹垣氏は、山口組と離脱した古参組長らが立ち上げた一和会との大規模抗争「山一抗争」後、竹中組から中野会に移籍。1997年の宅見勝若頭射殺事件で中野会が山口組から絶縁処分を受けた後は古川組に移ったが、2005年に足を洗い、現在は兵庫県姫路市のNPO法人「五仁會(ごじんかい)」の代表として組員の更生活動を続けている。
今回の山口組の分裂劇の引き金になったのは、人事とカネへの不満だったとされる。篠田組長が05年、6代目に就任して以降、出身母体である弘道会(名古屋市)が影響力を強め、ナンバー2の若頭など重要ポストを弘道会出身者が占める一方、弘道会に批判的な古参組長らを容赦なく切り捨てた。さらに直系組長に毎月課せられる約120万円の「会費」のほか、100万円単位で雑貨の購入など金銭的負担への反発も強かったとされる。
竹垣氏は「この不況の中、暴力団排除条例も全国に広がり、シノギ(経済活動)が難しくなっている。高額の金銭的負担が続けば、傘下の組織は立ち行かない。会費は組の運営費用の名目で集められるが、使途が示されなければ『組長が自由に使える金ではないか』と反発する幹部もいただろう」と推し量る。
「山口組」を名乗る2つの組織が存在する前代未聞の状況下、抗争事件に発展する恐れが高まっている。竹垣氏は「暴力団対策法などで締め付けが厳しくなるなか、ただちに市民が巻き込まれるような大規模な抗争は起きないだろうが、安心はできない。堅気になった私の自宅に銃弾が撃ち込まれるのだから…」と危惧する。
竹垣氏は引退後、生まれ育った姫路市の自宅を事務所にして五仁會を設立。自身の経験を生かし、組員の更生に向けた相談活動や繁華街の清掃、小学生の登下校の見守り活動などを続けていたが、8月13日未明、自宅玄関に向けて5発の銃弾を撃ち込まれ、兵庫県警が捜査している。
竹垣氏は法人のブログで暴力団社会の異常さを指摘し、組員の更生を促す記事を定期的に掲載してきた。事件後は家族の安全を考え、ブログの更新を中止するとともに、周辺住民や子供たちへの安全配慮から見守り活動も休止しているが、訴え続ける。
「組織再編が進む今、組員にとっては極道の世界から足を洗う絶好のチャンスだ。『必要悪』としての存在意義をなくした極道にはもう夢も希望もない。若い者はすぐにでも引退し、堅気の人生を歩むべきだ。こんな私にでもできたのだから」
ただ、活動を通して、暴力団と縁を切ることの難しさも身に染みて感じている。
「元組員には仕事が長続きしない者が多く、服役中につけた知恵で生活保護を受けたり、再び組の世話になったりする者も多い。国は暴力団への締め付けを強めるだけでなく、離脱者を支援、更生させるための受け皿をつくる必要がある」
取り締まりとともに組員の離脱を促し、支援する。山口組壊滅の近道かもしれない。