今年8月に大阪の寝屋川市で中学1年生の男女の死体が発見された事件で、殺人等の罪に問われた山田浩二被告(45)。公判による真相解明が待たれる中、山田被告が投稿していた「不敵手記」を入手した。
〈1日も早く運命の女性と出会い結ばれて、遠いどこかで『早よ、産んでくれやぁー!』と叫んでいる未だ見ぬ子供をこの世に誕生させてやりたいです〉
山田被告の手記には、こんな「子作り願望」がつづられていた。寄稿文のタイトルは「未だ見ぬ悠紀へ」。そこには、すでに決めているという子供の名前を記していた。計3回にわたる手記の第1回が掲載されたのは、03年6月発行の同人誌。主な購読者は刑務所や拘置所の在監者で、当時の山田被告は大阪拘置所に収容されていた。社会部記者が言う。
「02年に寝屋川市内で男子中高生を標的に卑劣な犯行を繰り返していた。男子高校生2人を粘着テープで縛りつけ、顔をライターであぶるなど手口は残虐。別の男子中学生には道案内を装って近づき、手錠をかけて現金を奪うなどして、被害者は7名に上りました」
男子中学生から奪ったレンタルビデオ店の会員証を使って足がつき、山田被告は強盗・監禁・傷害等の罪で逮捕された。
「幼少時から窃盗に手を染め、10代では小学生の男児にいたずらをして鑑別所送りになっている。30代で起こした連続監禁事件も性的な衝動が犯行の引き金のようだ」(前出・社会部記者)
そんな“鬼畜”の素顔を手記からあぶり出したい。
〈自分は今回、拘置所生活を送るのは6回目です。現在32才ですが、この年令で6回目というのは多いみたいで、皆びっくりしています〉(第1回手記より)
累犯者であることを自慢げに明かす一方で、量刑への不安をのぞかせている。
〈今までの刑期は1~2年程の小便刑だったのですが、今回は初めて罪名に『強』がつきました。まだ求刑は出ていませんが、起訴事実5件有りなので5~6年と少しを務めることになりそうです(涙)。考えただけでゾッとします〉(第1回手記より)
だが、03年5月に下された判決は、予想をはるかに上回った。
〈懲役12年ですわ、12年。ちなみに求刑は15年。自分ではもちろん弁護士もあまりの厳しい判決に驚いていました。ホンマ思わず鼻から牛乳どころか鼻血がブーっと吹き出しそうになりました‥‥〉(第2回手記より)
第1回では「渡利浩二」の名で寄稿していたが、第2回で別の姓になっていることについては、
〈現在、青森刑務所で受刑(木工工場)をしておられる兄貴‥‥養子縁組をしたので今は親父ですが‥‥〉(第2回手記より)
刑が確定し、徳島刑務所に収監されたのちも、コロコロと姓を変えた。
「別の刑務所に服役していた女性と獄中結婚して、刑務所でも別名を名乗っていた。すると今度は年齢が少ししか違わない年上の男性と養子縁組みした。『山田浩二』として出所したのは昨年10月のことです」(前出・社会部記者)
約11年間の服役でも更生することなく、出所からわずか1年足らずで今回の凶行に及んだと見られる。あらためて今回の手記を読むと、まさに再犯の予兆とも言うべき無反省ぶりが確認できる。
03年12月発行号の第3回手記では、不正物品であるタバコを拘置所内に持ち込んで処分されたことをひけらかす始末だ。
〈大阪警備隊の皆様、これ以上自分の様なおとなしい被告をいじめないで下さい。これから長い懲役に行くんやし、ちょっとくらい見逃してくれよ!! えっ、身から出た錆っすか? Fuck You!〉
山田被告にとって、同誌はみずからの心情を公表できる唯一のメディアだった。だが、被害者に対する謝罪の言葉は見当たらない。
〈自分でもこの病気は一生直らないなぁ~と思います〉(第3回手記より※原文ママ)
こんな身勝手な男に、未来ある中学生の命が奪われなければならなかったのか。無念でならない。