南座(京都市東山区)の「吉例顔見世興行」。劇場正面は役者の名前が書き込まれたまねき看板がずらりと掲げられ、「歌舞伎の正月」らしい、晴れの空気に満ちる。11月25日朝の「まねき上げ」が知られるが、準備も含めると、その作業は前日午後から夜通し行われる。師走の装いを整える仕事を眺めた。
24日午後4時 まずは劇場玄関に上演演目の「絵看板」が据え付けられる。「河庄」「土屋主税」などを描いた8枚が並ぶと、早くも顔見世ムードがぐっと高まる。
午後7時 まねき看板を設置する下地となる竹垣「竹矢来」の設置が始まる。職人たちが劇場のひさしや飾り屋根に上がり、まずは土台となる木枠を組む作業から。
午後7時40分 劇場前のランドマーク・大提灯(ちょうちん)も、顔見世に合わせて付け替える。作業は劇場の照明さんたちの担当だ。
午後8時半 竹矢来に使う竹材(長さ約5・4メートル)200本が到着。職人たちが「はいよっ」「はいっ」と声をかけながら、地上から足場の上へと手際よくリレーしていく。
午後9時50分 枠組みに竹を斜めに渡し、格子状に組み始める。縄で互いをしっかりと結びつけていく。1時間あまりかけて、竹矢来がその姿を現す。
午後10時 劇場1階ロビーでは、職人がまねき看板に固定用のワイヤを付ける作業の真っ最中。3階でも松飾りに金銀の短冊を付ける作業が行われていた。外から見えないところでも準備は続く。
25日午前1時 竹矢来の仕上げに、最上部に松飾りを設置する作業などを経て、しばし休憩。今年は直前まで別公演が行われていたため、作業はややスローペース。劇場側が夜食に用意した豚汁やおでんが振る舞われ、職人たちが暖を取る。
周辺で作業を興味深げに眺める人も。勘亭流の書家の男性(40)=川崎市=はまねき看板独特の書体に魅せられ、10年ほど前からほぼ毎年、通っている。「同じ勘亭流でも、空間いっぱいに四角く詰まったような書体は、ここにしかありませんから」
午前2時5分 冷え込みが厳しくなる中、「まねき上げ」がスタート。職人たちはまねき看板を1枚ずつ足場の上に上げては、竹矢来にしっかり結わえ付けていく。四条通を挟んだ向かいから、作業を統括する頭領(65)=右京区=が全体のバランスを確認、無線で配置の指示を出す。
「全体に『場外』」、「もうちょい『高島屋』」。それぞれ東西をはっきり示すため、劇場近くの施設の名を当てた符丁だ。「OK、オッケー!」。中央の小さな「竹本連中」のまねきを基準に1枚、また1枚。大看板と並んで、名題昇進で今回初めて上がる役者のまねきも。
午前3時 劇場最上部にある櫓(やぐら)に新しい「梵天(ぼんてん)」が立てられる。神が劇場へと降りてくる目印という縁起物で、櫓を飾る幕とあわせて、毎年新調される。
午前3時半 作業がほぼ終了。50枚あまりのまねき看板が上下二段に分かれてずらりと並ぶ。「今年で45年目。きれいに並べるコツは長年の経験しかないね」と頭領。名前を尋ねると「『工務店の職人』とだけしといて」と照れ笑いを浮かべた。「今年も誰もけがなく進められてよかった。それが一番」
午前9時 夜が明け、報道のカメラがずらりと並ぶなか、式典がスタート。足場に上がる職人たちは“正装”の法被姿だ。最後に顔見世で襲名披露する「中村鴈治郎」のまねき看板が上がると、大きな拍手がおこった。
鴈治郎(56)は自身のまねきを見上げ、「『鴈治郎』の名が(父の)『坂田藤十郎』と並んで上がっている。本当に感慨深い」。見物人と手締めをして、晴れの装いが整った。