警視庁は23日、清原和博容疑者(48)を覚醒剤取締法違反(使用)容疑で再逮捕した。さかのぼること1年前の15年2月、清原容疑者の元タニマチで会社社長のA(45)が覚醒剤所持で逮捕された。週刊文春が清原容疑者の薬物疑惑を報じたのは、その約1年前の14年3月。Aが、密売人の小林和之容疑者(45=群馬県みどり市)を清原容疑者に紹介したのが、さらにその1年ほど前だ。そこで、清原容疑者と“上州ルート”が結びついた。
「5年ほど前に飲食店を畳んだ小林は、ある指定暴力団の下部組織に出入りしていたようで、そこから清原にブツを流したと当局はみている。小林自身は一売人に過ぎません」(捜査事情通)
となると、疑問が生じる。腐っても「清原」だ。球界や芸能界など幅広い人脈を持っていたはずなのに、なぜ、そんな小物からシャブを譲ってもらっていたのか。
「もう群馬しか残っていなかったのかもしれません」と、清原容疑者をよく知る関係者がこう明かす。
「Aの紹介で小林と知り合った時点で、すでに清原は重度のシャブ中だったようです。それ以前に付き合っていたヤクの売人たちに、とんでもないグラム数の覚醒剤を発注するようになっていた。『清原はもうヤバいぞ』なんてウワサが広まり、売人たちも『自分の身が危うい』からと、清原と距離を置くようになっていったんだとか」
総スカン状態だったわけだ。こんな話もある。
「清原が面識のない新宿の売人にいきなり電話をかけ、シャブを頼んだことがあったらしい。いくら清原とはいえ、信用取引の世界です。電話一本で売ってもらえるわけがない。新宿の売人も当然断ったそうですが、『清原は切羽詰まっている』と話題になった。それだけではありません。清原は偶然知り合ったある俳優に、元暴走族という理由だけで『(覚醒剤が)手に入らないか』と頼み込んだそうです。その俳優も面食らったといいます」(別の知人)
まさに“溺れる者は”で、最後にすがりついたのがAだったようだ。
「Aと清原は巨人時代からの知人といっても、金銭トラブルでずっとケンカ別れしていた。プライドの高い清原が、絶縁状態のAに頭を下げてまでシャブを手に入れようとしたのは、ほかの売人から相手にされず、そこまでシャブにのめり込んでいたからともいえます」(前出の関係者)
そしてAに紹介されたのが、清原容疑者の大ファンという小林。多くの売人に見放された揚げ句に行き着いたのが、“上州ルート”だったのだ。
「清原は東京・北千住駅方面から来た密売人とも接触していたと報じられましたが、関東の指定暴力団につながる足立区や港区の“卸屋”にも声をかけていたらしい。シャブ欲しさで、別の新たなルートを自ら開拓していたのでしょう」(前出の捜査事情通)
最後の最後に行き着いた場所は、塀の向こう側だった。
(日刊ゲンダイ)