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親を看取った太田光、深津絵里、中居正広、宮沢りえの体験

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平成23年に国際長寿センターが行った「理想の看取りと死に関する国際比較調査」によると、「死についてよく考える」という割合が日本は圧倒的に高かった。ちなみに、アメリカ0%、イギリス11.6%、フランス7.1%などのなか、日本は31.4。さらに、「がんの終末期、自宅で看取られるのが理想」という回答は79.2%にも及んだ。そうした日本人の意向だが、芸能人たちは、親をどう見送ってきたのだろうか?

 爆笑問題・太田 光(50才)のケースを見てみよう。

 父・三郎さん(享年83)は2011年1月に脳梗塞と心筋梗塞で倒れ、入院。以来、寝たきりとなり、2012年3月19日、急性循環不全のため、この世を去った。葬儀で喪主を務めた太田は「ぼくは不肖の息子で親不孝だった」と挨拶した。

 しかし太田は父が倒れてから約1年、忙しいスケジュールは変わらなかったが、父が入院していた埼玉の病院へ足繁く通い、一緒に落語を聞くなど、これまで持つことがなかった男同士の時間を大切にした。葬儀では「そんな時間を持てたことがぼくのなかではよかったと思っています」とも語った。

 女優、深津絵里(43才)は、母をどう見送ったのだろう。

 深津の母・諭美子さん(享年66)は、2014年11月に、肺がんを患い、余命3か月、長くて1年と宣告されたことを自身のブログで公表した。

「入退院を繰り返すくらいなら、何もしなくていい。副作用で朦朧とするくらいなら、最後まで書道家としての活動をしたい」――そんなふうに延命治療を拒む母を、深津はしっかり受け止めた。

 そして2015年6月、諭美子さんは逝去。多忙な深津だったが、ちょうどスケジュールが空いており、母の最期に立ち会うことができた。

 さらに、SMAP中居正広(43才)と父・正志さん(享年79)は、「ヒロちゃん」「親父」と互いを呼び合い、一緒にゴルフや野球をする友達のような関係だった。

 その正志さんが2年間のがん闘病の末、亡くなったのは2015年2月19日。病床の正志さんは、咽頭がんの手術を繰り返したことで、飲まず、食わず、しゃべれずの日々で、体重も最期は40kg台になっていた。そんな父のもとへ中居は、慣れない腕をふるっておにぎりやとん汁、カレーにスープなどを届けていた。

 宮沢りえ(42才)は、「女優宮沢りえ」をつくりあげた母をどう看取ったのか。ステージママとしても有名だった母・光子さん(享年65)が肝腫瘍で亡くなったのは2014年9月23日早朝。

 一卵性母子といわれ、恩讐を乗り越えてきたりえ。《最期に、生きるということの美しさと、凄まじさと、その価値を教えてもらいました。そういった全ての宝物を胸に、私は、役者として、母として、女として、惜しみなく生きようと思います》とコメントを寄せた。

 その日りえは、舞台があったが、母を看取ったあと、毅然としてステージに立った。
(女性セブン 2016年3月17日号)





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