日本の仕事は楽じゃない!ただ、「人生」は変えられる
陝西省西安市の50代女性は、1999年から3年間日本に出稼ぎ。毎日10時間以上の労働に加え、毎日約5時間日本語を勉強していた。
中国で紡績関連の仕事をしていた彼女は日本でも関連の企業で仕事した。日本と中国の違いに、「中国では毎日2~3時間仕事すると、残りの時間は定時になるのをただ待っているだけだった。一方、日本では定時まで忙しく働いた」と語っている。日本では残業なども多かったが、残業代も支給されるなど給料は良かったという。「日本での出稼ぎ3年間で22万元(約430万円)貯めた。日本に行かず、西安で働いていたら同じ金額を貯金するのに30年間はかかっていたはずだ」と日本への出稼ぎが大きな収入になったと語った。
日本での出稼ぎで、収入のみならず自身の人生も大きく変わったと話している。かつての同僚は現在、月収が2000元(約3万9000円)だが、彼女は企業の日本語教師として活躍し、かつての同僚の数倍稼いでいる。これについて彼女は「(日本に行ったことで)生活環境も大きく変わった」と感慨深げに語っていた。
中国国際航空、ドアの外側ハンドルゆるめたまま離陸、手抜き点検が明らかに
2015年3月9日、中国日報網によると、ある航空ファンが撮影した写真の中に、前方扉の外側ハンドルが十分に閉まっていないまま飛び立った中国国際航空の機体が写っていたことが分かった。
機体はボーイング737型機で、撮影したのは先月16日。この問題について専門家は「外側ハンドルが十分に閉められていなくても機内の与圧に影響はなかった。しかし、離陸前の確認作業をおろそかにしていたことが、これではっきりとした」と指摘した。
日本のサービスに否定的だった中国人、訪日して考えが一変
日本に行く前、私は同僚や友人が日本人のサービスを褒め称えるのを何度も聞いていた。私は、「ただペコペコして、ニコニコしているだけでしょ?何がすごいのよ」と納得がいかなかった。しかし、実際に体験してみると、日本のサービスは私の予想をはるかに超えていた。時におおげさじゃないかと感じることもあったが、それは確かに人を気持ちよくさせる。
全日空の飛行機に乗ったそのときから、私たちは“ペコペコ”を体感した。その上、ひざまずくことも。私の横に座っていた客が欲しがった飲み物が無くなってしまった。すると、キャビンアテンダント(CA)は地面にひざまずいて(かがんで)、長いこと何かを説明していた。聞き取れはしなかったが、謝罪し許しを求めていることは容易にわかった。笑顔も“秘技”である。
日本人の接客は、彼らの細やかさをよく表している。そして、そうした客を思うサービスは、時に予想を上回る喜びと驚きをもたらす。レストランで畳の席を利用したとき、私たちが入口で脱ぎ散らかした靴が、店を出るときにはきちんとこちら向きにそろえられていたということは、一度や二度ではない。
有馬温泉のホテルのロビーではこんなことがあった。一組の老夫婦がソファに腰かけ、窓の外の景色を楽しんでいると、窓から差し込む日差しが強いことに気付いた従業員が、景色が隠れない程度に少しだけブラインドを下げた。庭に出ると、カメラの三脚が置いてあった。誰かが忘れていったものかと思ったが、実際はホテルが記念撮影をする客に使ってもらうために設置したものだ。思いつくことはすべて形にしている。本当に行き届いたサービスだ。
ほかにも、日本での買い物は店の大小にかかわらず、不快になることはない。たとえ水を1本買っただけでも店員は「ありがとうございました」と言い、道を尋ねれば手元の仕事を中断し、店の外まで出てきて説明してくれる。三越デパートでは、中国のように“親切すぎる(おせっかい)”ことはないものの、店を出るときは深々とお辞儀をする。何も買わなかったのが申し訳なくなるほどだ。
日本は競争のプレッシャーが大きいため、従業員に対する要求が厳しいのだと言う人がいる。しかし、私はそれは複数ある要因のうちの1つに過ぎないと思う。社会全体の発展レベル、国民の素養、歴史や文化などの伝統が、こうしたサービスの基礎となっているのだ。