【台湾ブログ】日本人の社交辞令、「表と裏の顔」があることを学んだ
日本で暮らして半年が過ぎたという台湾人女性が、「珍しかったり失望したり、いろいろな出来事がある」と、素直な思いをブログに載せた。日本人の礼儀正しさを他人行儀に受け取り、「本心は薄情ではないか」と疑いを持ち始めたようだ。来日し就職を希望したohivy(ハンドルネーム)さんは、履歴書などを持参し数社の面接を受けたという。
それらの面接官は「キャリアや英語力を大いに褒め、出社日時の希望を具体的に聞いてきた。1週間以内に連絡しますと微笑んだ」そうだ。採用決定の会社があると確信していた筆者だったが、結局連絡は来なかった。「不採用ということだ。そのつもりなら、褒め言葉なんか要らなかった」と筆者は落胆した。だが就職活動をまだ始めたばかりと思い直し、「免疫ができた」と受け止め前進できたそうだ。
面接官の表と裏の顔を知った筆者は、友人たちとの会話にも本音と建前があると知り、さらに傷ついた。「また会おう、今度食事に行きましょうなどと言われても、“また”とか“今度”という機会は来ない」ことを学んだそうだ。何度か言われて経験を積んで、それらの言葉が挨拶のような社交辞令であると気付いたようだ。
加えてLINEアプリのメッセージでも既読スルーをされるなど、日本人の知人友人の態度や言葉で嫌な思いを重ねた筆者だが、「言語交換の場だと思おう」と自身に言い聞かせたとのこと。日本人と接することで日本語の練習になっていると考え、「彼らのおかげで私の日本語力は進歩した。心からお礼が言いたい」と述べ、再会の機会や返信がなくても感謝の気持ちを持ちたいと思ったそうだ。
そのような経験から筆者は現実を認識し、「大きな期待を持たずに日本人に接しよう」と決意したとのこと。一方で話す機会があれば質問を続けるなど、コミュニケーションをとる努力を自ら続けているそうだ。語学力を磨くためだろうが、かなり前向きな性格の女性であることが伺える。
居住歴1年を待たずして日本人の冷たい面を知り、「台湾人の長所ばかりを思い出すようになった」という筆者。故郷が恋しくなると同時に、国民で固められた輪の中に外国人が入り込む難しさを思い知ったそうだ。「日本人よりも上手に日本語会話ができれば、良い面が見えるだろう」と述べており、難易度の高さ、いや良さを実感するのは不可能に近いと伝えている。
最後には「日本にいると、台湾人の優しさが消されてしまう可能性がある」と、心配しながらブログを締めくくった。自分の本来の姿を見失うほど、日本人との付き合いは難しいということだ。台湾の人は世話好きでオープンな性格の人が多い印象があり、そのような国民性からすれば日本人は、本音を隠しプライバシーを重要視し過ぎていると映るのだろう。憧れや縁があって日本に住み始めた筆者だろうが、その思いは早くも崩れ落ちたようだ。