AKB48、台湾でメンバーオーディション受付開始「笑顔を忘れず挑戦して」
女性アイドルグループAKB48の高橋みなみ、川本紗矢、向井地美音の3人が17日、台北市内で行われたイベントに登場し、台湾での新メンバーオーディションの開催および応募受付開始を発表した。応募の主な条件は、台湾在住で年齢が11~23歳までの女性。向井地は「笑顔を忘れず挑戦してほしい」とアピールした。
同グループが海外でメンバーを募集するのは今回が初。応募はウェブサイトや郵送、台北のAKB48公式ショップで来月16日まで受け付ける。書類や面接での審査を通過した応募者は8月中旬に台北市内で予定されている最終審査に参加。合格者は同グループの一員として日本で芸能活動を行っていく。
関係者によると、この日のイベントに集まったファンは約600~700人。高橋ら3人はファンの野太い“AKBコール”でステージに迎えられた。3人は「恋するフォーチュンクッキー」など2曲を披露。同曲では前奏部分を台湾風にアレンジして「ショーロンポー」(小籠包)と繰り返し、会場を盛り上げた。
また、3人がおすすめする日本の観光スポットに、多くのファンが行ったことがあるとの反応を見せると、高橋が「私たちより日本のこと知ってますよね」と驚いた表情を浮かべる場面もあった。
イベントに参加したファン歴5年という男性は生AKBを目にし、「映像で見るよりずっと可愛い。ファンに気を配ってくれていると感じた」とはにかんだ笑顔で話した。
台湾歴史博物館、日本人が撮影した「乙未戦争」の特別展開催へ
台湾が日本に割譲された下関条約の締結から120年となる17日、国立台湾歴史博物館(台南市)は乙未戦争(台湾平定作戦、1895年)をテーマにした特別展を来月から開催すると発表した。
展示されるのは、従軍カメラマン・遠藤誠氏の「征台軍凱旋記念帖」(1896年出版)に収録されたモノクロ写真約130枚の一部。当時の台湾の様子や、新たな植民地に対する日本人の好奇心などを垣間見ることができるという。
乙未戦争は、下関条約で日本への台湾割譲が決まった後も抵抗を続けた清の一部勢力がつくった「台湾民主国」と旧日本軍の間で行われたもの。台湾民主国は戦争開始から半年足らずで瓦解し、日本は名実ともに台湾を手に入れている。
台湾の胃薬消費量、年間22億錠 医療関係者は病院での診察呼びかけ
総人口約2300万人の台湾で2013年に消費された胃薬の量は22億錠。胃腸の不調を市販薬に頼る人が多い実情が一因だとみられているが、医療関係者は3日服用して改善が見られない場合、病院で診察するよう呼びかけている。
衛生福利部(衛生省)食品薬物管理署の調べでは、国民の約2割が3カ月以内に1度以上胃薬を服用していた。また、およそ7割が胃薬を長期間飲み続けるとかえって胃に負担をかける副作用を知らなかったという。
ある薬剤師は胃潰瘍や十二指腸潰瘍患者は胃への負担を減らすために、特に医師の診察が必要と語る。また、専門家は暴飲暴食や刺激物の摂取を避け、規則正しい食生活を心がけることが、胃をめぐるトラブル予防につながると指摘している。
台湾鉄道、レール破断で列車に遅れ 溶接の不手際が原因か
19日午前7時45分頃、台湾鉄路縦貫線嘉義―南靖間を走行中だった列車の運転士から、異常な揺れがするとの連絡があり、同局で調べたところ同区間でレールが約20~30センチにわたって破断しているのが見つかった。同局関係者はレール溶接の不手際で構造上弱かった箇所が、気温の変化で伸縮し破断したのではとみている。
現場では復旧作業が行なわれ、同8時46分までに運転を再開。列車9本、1790人の乗客に影響が出た。このトラブルによる人的被害はなかったが、破断した部分が長ければ、列車が脱線する恐れもあった。
台鉄では現場と同時期にレールの溶接が行なわれた箇所の点検作業を行ない、運行の安全を確保するとしている。
暑さで? 台湾桃園空港の窓ガラス突然割れる けが人なし
台湾桃園国際空港第1旅客ターミナルで19日、廊下の窓ガラスが突然割れる騒ぎがあった。これによるけが人はいない。桃園市ではこの日、最高気温31.6度を観測。空港関係者は冷房で冷やされた室温と外気の差でガラスが割れたのではとみている。
水不足の台湾 北部や東部で大雨も中南部はカラカラ状態続く
深刻な水不足が続く台湾。大気の状態が不安定になった18日、北部や東部で大雨となった。だが、一部のダム周辺でわずかに貯水量が増加した一方、南部の高雄では昨年7月の台風以降、大雨が降っておらず、渇水状態が解消する見通しは立っていない。
経済部水利署によると、翡翠ダム(新北市)、鯉魚潭ダム(苗栗県)、烏山頭ダム(台南市)でそれぞれ水位がやや回復したものの、そのほかのダムでは軒並み貯水量が低下。すでに計画断水が実施されている桃園市の石門ダムの貯水率は24.52%。嘉義県の曽文ダムはわずか18.27%に下がった。
水利署などは来月4日にも渇水対策会議を開き、今後について話し合う予定。同署の関係者は引き続き国民に節水を呼びかけている。
神社復活、蒋介石像の撤去…台湾に広がる“媚日”
台海網は記事「倒された蒋介石像と引き起こされた日本神社」を掲載した。
4月17日は日清戦争の講和条約である下関条約の締結から120周年の記念日だった。日本駐台交流協会には日本軍国主義の復活を抗議するデモ隊が押しかけた。だがその一方で台湾には“媚日”の動きが広がっている。
3月、台中市の林佳龍市長は200万台湾ドル(約766万円)を投じて、台中神社の鳥居を引き起こすと発表した。台中神社は1911年、植民地期台湾に創設された。敗戦後、神社は廃座されたが、鳥居は倒された状態で保管されていた。
鳥居が引き起こされた一方で倒されたものもある。今年2月、3月には台湾各地で蒋介石像を倒す運動が広がった。1947年に軍が民衆蜂起を鎮圧して多くの犠牲者を出した二・二八事件が起きた。その責任者である蒋介石元総統への抗議と説明されているが、本質的には反中国の動きと見てよい。
台湾独立派の反中と媚日の動きに台湾内部からも批判の声が上がっている。日本を憎む必要はないが、媚日は間違った考えであり、日本と連携して独立を目指す動きは中国人のアイデンティティーと尊厳を損なう行為だと、ある台湾メディアのコラムは指摘している。
日本統治時代に設立の小学校、先住民語由来の校名に変更
南部・屏東県三地門郷にある三地小学校が18日、校名を台湾原住民(先住民)語のひとつ、パイワン語由来の集落名称を用いた「地磨児小学校」に変更し、記念式典が開かれた。
同小学校は日本統治時代の1909(明治42)年、原住民の子供たちを対象にした初等教育施設として開校。当時は治安面の問題から警察官が日本語の指導にあたった。戦後は三地門小学校に改編され、2008には付属幼稚園も併設された。
今回の改称は原住民文化の伝承などを目的に実施。同県では初の事例となった。パイワン語に本来文字はないが、中国語の音訳表記「地磨児」には「大地の恵みに育まれ、健やかに成長する子供たち」の意味も含まれている。
式典に参加した潘孟安県長は、パイワン族の祖先が太陽から生まれたとする神話に触れ、「真の太陽の子に育ってほしい」と期待を寄せた。県では今後も原住民文化を尊重する政策を進めるとしている。
刑務所が飽和状態に、馬総統が戦勝70周年に合わせて恩赦か
台湾NOWNewsによると、国民党の呂学樟・立法委員(国会議員に相当)が16日、馬英九総統と国民党立法委員との食事会に出席し、抗戦勝利70周年を記念して、台湾全土の軽微犯罪者に恩赦を与えるよう提言した。17日付で台海網が伝えた。
呂氏によると、何か理由を探して恩赦を与え、刑務所の飽和状態を緩和させる必要がある。抗戦70周年とは直接関係はないものの、治安に影響しないことを前提に、特別な日に合わせて台湾全土で恩赦を与えるべきだとしている。
これに対し、馬総統は即座に法務部に検討、行政院(内閣に相当)に対処を求めた。遠くない将来に良い知らせがあるだろう。
台湾、バシー海峡で戦没将兵10万人を慰霊
台湾とフィリピンの間のバシー海峡で先の大戦中に戦没した将兵を慰霊する式典が18日、台湾の南端、屏東県恒春の潮音寺で営まれた。
潮音寺は1981(昭和56)年、自身も輸送船が撃沈され同海峡で生死をさまよった中嶋秀次氏=故人=が、私財と寄付金で海峡を見下ろす高台に建てた。この日は、大阪日台交流協会の有志約20人が参列。同協会の野口一会長は「今日の日本の平和と繁栄がバシー海峡での犠牲の上に成り立っていることを後世に伝えていく」と述べた。
同海峡では戦時中、米軍の潜水艦により多数の艦船が撃沈され、少なくとも10万人が死亡したとされる。台湾南部の海岸にも、多数の遺体が流れ着いたという。
潮音寺では8月に戦後70年の慰霊祭が行われる予定で、寺が建てられる経緯を著書「慟哭(どうこく)の海峡」にまとめた作家、門田隆将氏の講演などが企画されている。