旅客船沈没:船長無期判決、涙で声を詰まらせた裁判長
沈みゆく旅客船「セウォル号」に乗客たちを置き去りにしたまま、真っ先に脱出したイ・ジュンソク船長(70)に対し、控訴審で殺人罪が認められ、無期懲役が言い渡された。一審はイ被告に対し殺人罪を適用せず、懲役36年を言い渡したが、控訴審は一審とは異なり、イ被告による退船命令が「なかった」と判断し、殺人罪を適用した。光州高裁刑事5部(ソ・ギョンファン裁判長)は28日、セウォル号の乗務員15人と、法人としての運航会社・清海鎮海運に対する控訴審で、上記のような判決を下した。一方、一審で懲役5?30年の判決を言い渡されたほかの乗務員14人に対しては、懲役1年6月?12年の判決を下した。高裁は「人命救助の措置を決定できる権限や地位を有する者は、法律上も事実上も船長しかいない。その船長たる被告人による救護措置の放棄、乗客の放置と自らの退船(不作為)は、殺人行為の実行(作為)と同様に評価すべきだ」として、「未必の故意」による殺人罪を認定した。
殺人罪を認定すべきか否かは、一審から控訴審に至るまで最大の争点だった。検察は、イ被告と一等航海士のカン・ウォンソク被告(43)、二等航海士のキム・ヨンホ被告(48)、機関長のパク・キホ被告(55)の4人に、乗客に対する殺人罪を適用し起訴した。一審と控訴審で殺人罪を認定する決定的な判断基準となったのは、船長のイ被告が脱出直前、二等航海士に退船命令を指示したか否かという点だった。一審は、船員たちの証言や無線交信の内容などを根拠に、イ被告が脱出前、二等航海士に退船命令を指示した事実があると判断した。またこれを根拠に「被告人らが、乗客たちが死んでもいいと考えていたと見なすのは困難だ」として、殺人罪については無罪とした。
だが控訴審は、イ被告による退船命令の指示はなかったと判断した。高裁はその根拠として、当時の船長による「船内待機」の指示は事務員に伝えられた一方、退船命令の指示は伝えられなかったという点について「納得しがたい」と指摘した。また、退船命令と同時に行われなければならない(人命救助関係機関に対する)乗客の救助要請や退船の確認などの措置が全く講じられず、「退船命令の指示があった」という船員の証言にも信ぴょう性がないと指摘した。
事故当日の午前9時37分ごろ、二等航海士が珍島海上交通管制センター(VTS)に対し「今脱出できる人たちだけが脱出を試みるようにと放送したが…」と報告した内容についても、一審とは正反対の判断がなされた。一審はこの交信内容を、退船命令の指示があったことを示す有力な根拠と見なしたが、控訴審は「脱出できる人たちだけ脱出を試みる」という表現について「乗客全体に対し行われなければならない退船命令とは符合しない」と結論付けた。
控訴審はさらに「イ被告は船長としての役割を放棄しただけでなく、退船後も乗客の救助に対し何ら関心を示そうとせず、海洋警察の艦艇の船室内に閉じこもり、現場を離れて珍島の病院に到着後、船長であることが判明するまで、その身分を明らかにしなかった」と指摘した。また「イ被告の行動は、高層ビルの火災現場に出動した消防隊長が、ビル内に残された人たちの救助を行わず、屋上からヘリコプターに乗って先に脱出する行為に匹敵するものだ」と批判した。
■涙見せた裁判長、遺族は反発
この日、裁判長は「船内待機の放送に従い、整然と待機していた高校生など304人を放置し、むごたらしい苦痛の中で死に至らしめながら、自分は真っ先に脱出した」と判決理由を説明した際、感極まって涙を見せ、声を詰まらせた。そして震える声で「船長の無責任な行為は、これからというときに夢を実現できないまま短い生涯を終えた高校生たち、元気だった子どもたちを失い、怒りと挫折感の中でうめく親たち、将来の希望を持てないまま彭木港(全羅南道珍島郡)にとどまり続ける行方不明者の家族、後遺症に苦しむ生存者たちに、癒やすことのできない深い傷を与えた」と指摘した。さらに「セウォル号が若い高校生たちと共に沈みゆく様子を見守った国民は、恐怖と悲しみ、そして集団的なうつ状態に苦しみ、国家機関や社会秩序に対する信頼を崩壊させ、共同体の分裂や混乱につながった。また事故が全世界に報道され、韓国の国格を奈落の底に落とした」と述べた。
これに対し被害者の家族は法廷で「300人以上も死んだのに、こんな裁判はあり得ない」と怒りをあらわにした。死刑が言い渡されなかったことが不満だったというわけだ。「4・16セウォル号惨事家族協議会」は判決直後に記者会見を行い「殺人罪の認定は当然だが、判決は受け入れられない。特別調査委員会の活動などで新たな証拠や資料が出てくれば、政府を相手に行動を起こす」とコメントした。