高雄に日本ラーメン店が続々オープン
日本のラーメン店が、台湾・高雄市に次々と出店。南部に位置する台湾第二の都市で、日式ラーメンブームが巻き起こりそうだという。地元メディアが報じた。
日刊紙「中國時報(チャイナ・タイムス)」は、「今年の夏休みシーズンに、日本のラーメン店が積極的に高雄に進出。2つのデパート、漢神巨蛋に“一風堂”、新光三越に“らあめん花月嵐”がオープン。それぞれ年間売り上げ1億台湾ドル(約3.3億円)超えを目指している」と伝えた。
続けて「台北市には20以上の日本ラーメン店があるが、高雄市は先日オープンした“らあめん花月嵐”が初。今後“麺屋武蔵”と“山頭火”のオープンも予定されている」という情報を掲載。「日本ラーメンの味は比較的に塩からく、台湾では少々薄味になっている。台湾人の口に合わせていて、食材も台湾産だ。だが本場の作り方を守っているので、味は日本で食べる時とほとんど同じ」とのこと。
加えて「高雄にはラーメン屋がたくさんあるが、すべて台湾人が作った味。これからは、日本のラーメンを味わっていただきたい」という一風堂スタッフのコメントを紹介。「高雄市には日本ラーメン界の、大きなビジネスチャンスがありそうだ」と、報道を締めくくった。
2012年5月に台北市に台湾第一号店をオープンした一風堂は、台湾人の注目を集め行列ができる人気店になった。13年2月には台北市内に二号店ができ、8月3日に高雄・漢神巨蛋がオープンしたばかり。こちらも大勢の人が詰めかけていることだろう。日本旅行の際にラーメンを食べることを楽しみにしていた台湾人は多いはずだが、地元で食べられるようになり喜んでいるのだろうか。日本旅行の楽しみがなくなったと、嘆く人もいそうである。
澎湖諸島の旧日本軍要塞を観光資源に
台湾と中国間の台湾海峡に浮かぶ澎湖諸島は、日本統治時代に要塞(ようさい)化された。戦後も中国との軍事対立を背景に台湾軍が施設を活用していたが、中台交流が進む中、軍事利用されなくなった施設が、数年前から段階的に観光客に開放されている。軍事遺跡としての整備も進み、現地では日本人客向けの新たな観光資源として期待が高まっている。
大小約90の島からなる澎湖は1895年、日清戦争の勝利により台湾島と共に日本に割譲され、終戦まで50年間、日本に統治された。日露戦争開戦(1904年)の前年に要塞司令部を設置。当時は、ロシアのバルチック艦隊の東洋接近情報が相次ぎ澎湖の警備が重視され、急速に要塞建設が進んだ。41年に太平洋戦争に突入すると、日本は南方に戦線を広げ、台湾は重要な中継地となった。
こうした軍事遺跡は島南部に数多い。澎湖の中心都市、馬公市から島々をつなぐ橋を渡って約40キロ先の島、西嶼(せいしょ)を訪れた。
坂道を上がっていくと木々がうっそうと茂る中に海岸防衛施設「西堡塁(ほうるい)」があった。1904年に完成。直径28センチの大砲や直径90センチのサーチライト、偵察塔などを備えている。
海を望む丘には、コンクリート製のダミー砲が残る。解説員の辛海鈴さんによると「別の場所にある大砲を米軍機から守ろうと偽物の餌砲(じほう)を造った」という。別の丘を登ると、隠れるように造られた防衛施設「五孔頂(ごこうちょう)」があった。1905年に完成。厚さ1・2メートルの外壁に砲門孔が五つあるのでこう呼ばれている。五孔頂にほど近い基地跡は今も軍事管制区で立ち入り禁止だ。ここは太平洋戦争末期、爆薬を積んで敵艦に体当たりする特攻艇「震洋」の基地だった。
一方、馬公から湾をぐるりと南側に進むと「大山砲台」がある。最も早い1902年に造られた。砲台施設は島の強固な玄武岩で造られ、兵舎には陶製の排水管や通気孔を備えていた。辛さんは「構造がしっかりしているので110年たっても保存状態がいい」と話した。
澎湖は夏季を中心に年間約80万人の観光客が訪れるが、日本人を含め外国人は3%と少ない。「澎湖国家風景区管理処」の陳順序課長は「歴史を学ぶことができ、日本人には興味深いはず」と日本人客増に意気込みをみせる。管理処は昨年、軍事遺跡の小冊子を作製するなど観光客誘致を進めている。
台湾の原発、放射性物質を含む水が流出か
台湾第1原子力発電所で、過去3年にわたって放射性物質を含む水が流出していた可能性があることが、行政機関などを監督する監察院が出した報告書で分かった。
同原発は、台湾北部の新北市石門区の沿岸にあるが、人口密集地である台北からも30キロほどしか離れていない。監察院によれば、1号機と2号機の使用済み核燃料貯蔵プールから汚染水が漏れ出していたという。
一方、原発を運営する台湾電力の匿名の関係者は、水は貯蔵プールから漏れたのではなく、清掃用水などが漏れ出したのかもしれないと説明。「監察院には説明したが受け入れられなかった。他の原因が関係していないか調査するよう命じられた」と語った。
台湾は総発電量の18.4%を原発に依存。現在は第1から第3までの原発3カ所で計6基が稼働しているが、第4原発の建設は住民の反対で何年も中断したままとなっている。
馬総統、11日から中南米5カ国訪問 初の米NYトランジットも
馬英九総統は11日から12日間の日程で、2008年の就任以来8度目の外遊を行う。これまでは米西部かハワイでトランジットしてきたが、今回は東部のニューヨークに初めて立ち寄り注目を集めている。
中華航空(チャイナエアライン)の専用機で11日午後出発、米東部時間11日夕ニューヨークに到着後、華僑と、翌12日は米政府要人や財界トップとの食事会のほか、現地の華人団体からなる「中華公所」訪問も予定されている。
13日午前アメリカを離れ、2010年大地震が発生したカリブ海の友好国ハイチを初めて訪れ、同日夜、パラグライに到着、15日はオラシオ・カルテス新大統領の就任式典に出席。その後、友好国へのインフラ整備支援状況の視察で、同じくカリブ海に浮かぶセントルシア、セントビンセントおよびグレナディーン諸島、セントクリストファー・ネーヴィスの3カ国を初訪問。
一行は米西部時間19日、ロサンゼルスに立ち寄った後、台湾時間22日午後桃園空港入りし、馬総統はこの時、外遊の感想を述べる予定。
対日窓口トップ、「台湾は東北のことを忘れていない」
6日間の日本訪問を終えた台湾の対日窓口・亜東関係協会の李嘉進会長が9日、離日前の東京記者会見で、台湾と日本の強い絆を実感した実り多いものだと、今年5月の就任以来初の訪日の感想を述べた。
李氏は、自分が“台湾は東北のことを忘れていません”と書かれたTシャツを着て宮城県を訪れた際、地元の人々が感動の涙を流し、村井嘉浩知事はその場で同様のTシャツに着替えて自分たちを歓迎したとふり返り、涙ぐんだ顔を見せた。
台日間の自由貿易協定(FTA)や観光協力協定締結への期待も示した李氏はまた、国立故宮博物院(台北市)の美術品による日本への貸出し展について確認するなど、実りある訪問だと喜んだ。
李氏によると、故宮日本展は来年6月24日〜9月15日まで東京国立博物館で、10月7日〜12月30日までは九州国立博物館(福岡県)でそれぞれ開催されるが、これに先立ち、3者は9月25日、故宮博物院で正式に調印するという。
日本が出展を望む「翠玉白菜」(白菜をかたどったヒスイの彫刻)と「肉形石」(豚の角煮の形をしたメノウの彫刻)に関しては故宮で最後の調整段階にあるもよう。
ライオンズの張泰山、2000安打達成 台湾プロ野球初
台湾プロ野球、ライオンズの張泰山(チャン・タイシャン)が9日のエレファンツ戦(台中インターコンチネンタル球場)に「4番・指名打者」で先発し、6点を追う9回に通算2000本目の安打を打った。
今年で24年目を迎えた台湾プロ野球だが、2000安打達成者は張の1人のみ。
先住民アミ族出身の36歳で1996年のプロ入り以来、リーグを代表する強打者として活躍。2009年9月11日のエレファンツ戦では史上9人目のサイクル安打を達成した。280本塁打や1270打点、1033得点などの通算記録も歴代最高。
試合はエレファンツが9−4で勝ち、連敗を5で止めた。先発登板した元楽天の林恩宇(リン・オンユ)は5回2失点(自責点1)で7勝目を挙げた。
台湾、「高温休暇」実施を検討 記録的猛暑で
行政院の江宜樺院長(首相)は9日、労働者団体が求めている「高温休暇」の実施について「検討しても良い」との考えを示した。これは8日、台北で過去117年来、最高となる39.3度が観測されるなど、記録的な高温が続いていることによる。
台湾では、台風や地震など自然災害に備える臨時の休校や出勤停止が実施されてきたものの、高温で人々が会社や学校を休むことはない。
このため、江院長は「高温休暇」実施の可能性について中央気象局や衛生福利部などに検討を指示したが、商工団体は経済への影響を考慮し、慎重な対応を求め、行政院労工委員会(労働委)も実施に困難があり、「不適切だ」と反対の意見を示した。
一方、行政院・人事行政総処では、来週にも気象、労働条件、法律、医療などの専門家を招き関連省庁と意見交換するとしながらも、全国民を対象とする「高温休暇」の実施に向けた法整備は難しく、それより気温が36度を超えた際、各企業がそれぞれ休業の判断基準を確立したほうが良いだろうと提言した。
台北市のカク龍斌市長は、政府の決定に従うとしつつ、気候変動による高温は人体に害を加えるとして「高温休暇」の発想を支持する考えを示した。(カク=赤におおざと)
台湾・新竹県長、ハネト姿で青森ねぶた祭に参加
邱鏡淳・新竹県長(知事)率いる訪問団が、7日に閉幕した青森県のねぶた祭に参加し、両県の文化交流を深めた。
一行は6日夜、白と青・ピンク色のたすき姿で現れ、「ラッセラー」とかけ声を上げながら、約3キロのコースを練り歩いた。この日は台湾からの見物客も多く集まり、迫力満点の大型ねぶたに圧倒されつつも、訪問団のメンバーが手に持つ中華民国(台湾)の国旗に目を奪われ感動したという。
イベントを盛り上げるハネト(跳人)の参加者数は、今年は7万1000人と昨年より4000人も増えたことについて、鹿内博・青森市長は、「新竹でのランタンフェスタ参加は人気回復につながったのでは」と喜んだ。
新竹でこの2月下旬から約2週間にわたって開催された「台湾灯会」は、250年の歴史を誇る青森ねぶたの初登場もあり、過去最多となる約1150万人の来場者を記録、成功裏に幕を閉じた。
邱県長は今回の訪日で今月17日から始まる「義民祭」など県の文化イベントをアピールしたほか、「ぜひ来てほしい」と青森各界の参加を希望した。これに対し、平山誠敏・五所川原市長は、イベント参加に合わせる、三国志の関羽をモチーフにした立佞武多(たちねぷた)の制作など前向きな姿勢を示した。
日本統治時代の「新北投駅」駅舎、台北へ里帰り
台北市と彰化県はこれまで「台湾民俗村」(彰化県)に移され保存されていた新北投駅の駅舎を元あった台北市北投区に戻すことになったと発表した。彰化では8日、北投出身の音楽制作者で台湾語歌手、チェン・ミンジャン(陳明章)の「心愛的老車站」(愛しの古い駅舎)の歌声が響く中、記念式典が行われた。
北投(ほくとう/ペイトウ)は台北市北部に位置し、日本統治時代から温泉地として有名。台鉄・新北投駅は1988年に廃線となった台鉄・淡水線(北淡線)の新北投支線の終点駅で、ヒノキ建築の駅舎は屋根に換気用の窓が8つある。1916(大正5)年に建てられたもので、日本統治時代の台湾を代表する建物の一つといわれる。
1997年に開業した台北メトロ淡水線は1988年、すでに建設が開始されていたが新北投駅は取り壊される運命にあった。当時、「台湾民俗村」の経営者、施金山さんはこれを知り、たった1元(3円)とただ同然で駅舎を買い取り、解体・分解して番号をふり、彰化で組み立て復元、「民俗村」敷地内で展示した。
施さんが亡くなった後、「民俗村」は経営が行き詰まり資産の売り出しを始めた。新北投駅も再び取り壊されることになったが、今度は北投の住民らの間で取り壊しを阻止して地元に取り戻そうという動きが広がった。その後、彰化県が新北投駅駅舎、北斗奠安宮など「民俗村」の資産を同県の暫定古跡(文化財)として認めたため、新北投の旧駅舎を北投に取り戻す計画はいったん夢と消えた。
そしてこのほど、「民俗村」の文化財を管理している会社から台北市に新北投駅駅舎を寄贈したいとの連絡が入り、彰化県も暫定古跡の登録を解き、駅舎は20年余りを経て帰郷することになった。
台南基地一般開放 台湾国産「経国号」の航空ショーも
台湾の空軍ではあす10日、台南基地を一般に開放、航空ショーのイベントもあり、8日、曲技飛行隊、「(レイフー)」による飛行リハーサルが行われた。この飛行チームにとっては空軍士官学校(高雄市)に拠点を移して以来、24年ぶりの台南でのショーとなる。
チーム「雷虎」は1953年に台南基地で創立、1989年空軍士官学校に移籍した。創立60周年にあたる今年、24年ぶりに“故郷”の台南基地に戻っての展示飛行となり、今回参加する7人のパイロットは誇らしく思うとともに最高のパフォーマンスを台南市民の皆さんにぜひとも披露したいと意気込んでいた。
台南基地は10日、午前9時から午後4時まで一般開放され、軍事兵器や武器の展示が行われるほか、午前10時からはIDF経国号、F-16、ミラージュ2000といった戦闘機による航空ショーが行われ、「雷虎」の勇姿を目にすることができる。