漁業署:日本の水産物問題は主管機関が判断
日本の福島第一原子力発電所の汚染水問題を受け、行政院農業委員会漁業署が、日本の水産物の輸入を禁止するかどうかは政府の主管機関が決めるとしている。汚染水の問題で、韓国では日本の水産物の輸入を全面的に禁止する可能性がとりざたされている。
これについて漁業署の沙志一・署長は5日、日本で放射能の汚染があるとされる県や市の水産物の輸入は禁じているが、それを全面的な禁止に拡大するかは、衛生福利部食品薬物管理署が判断することだと述べた。
また、韓国が輸入禁止を検討しているのは、日本との歴史的な問題があることと関係あるかどうかについて、沙志一・署長は、我々がとやかくいうことではないとした上で、中華民国台湾では食品薬物管理署が判断するとして、あくまで安全性を根拠にする姿勢を強調した。
台北市、10日と13日に日本で投資誘致説明会
台北市政府が日本で投資誘致のプロモーションを行う。台北市産業発展局では、台湾証券取引所、台湾の証券店頭売買センター(グレタイ証券市場)、台北市コンピューター商業同業組合、理律法律事務所などの企業代表、及び行政院世界企業誘致合同サービスセンターの代表らからなる訪問団を率いて訪日、東京と大阪で投資誘致のセミナーを開催する。
この「台日産業連携セミナー/新しいビジネスチャンスの創出に向けて」 は10日に東京のホテルオークラ東京で、午後2時から4時半まで、そして13日には大阪のスイスホテル南海大阪で、午後2時から4時まで行われる。
また、今回の訪日で、台北市は日本の企業2社と投資意向書を交わす予定だということ。
呉・IOC理事:五輪開催地での差別は認めず
IOC国際オリンピック委員会の次期会長に立候補している呉経国氏が、オリンピックの開催地ではいかなる差別も許されないとしている。中華民国籍の呉経国氏は、国際オリンピック委員会の理事で、来週行われる次期会長選挙に立候補している6人のうちの1人。
ロシアでは冬季オリンピックを来年ソチで行うが、同性愛の主張を禁止する法律を制定したことで一部西側の外国政府の批判を受けている。呉経国氏はロイターの取材に対し、「オリンピックの開催権を得た都市は、種族、国籍、そして性的な傾向のすべてにおいて差別はしないという態度を明確に示すべきだ」と述べた。そしてさらに、かりにオリンピック憲章を守らない場合、開催地を変更して大会を行うべきだと主張した。そして、「ソチオリンピックについては双方が受け入れられる解決策を見つけられたが、今後二度とこのような問題は起こさせない」と強調した。
台湾法相、司法干渉騒動で辞任 支持率低迷、馬政権に打撃
台湾最高検の特別偵査組(特捜部に相当)は6日、王金平立法院長(国会議長)らによる司法干渉があったとする捜査結果を発表、関与を指摘された曽勇夫法務部長(法相)が同日夜、騒動の責任をとる形で辞任した。司法干渉については否定している。
特別偵査組などによると、最大野党、民主進歩党の柯建銘立法委員(国会議員)が6月、会計法違反などの罪に問われた自らの裁判で無罪判決が出た後、王院長に、検察側が上訴を断念するよう口利きを依頼。王院長は曽部長、陳守煌高検検察長を通じて検察側に働きかけたとされる。
結局、検察側は上訴せず、7月、柯氏の無罪が確定した。
王院長の違法行為には罰則規定がなく、特別偵査組は曽、陳両氏を弾劾や譴責(けんせき)を行う機関に書類送付、今後調査が行われる。
馬英九総統は7日、私用でマレーシアに滞在中の王院長に早期帰台を促した。王院長は与党、中国国民党の重鎮で、一部メディアは与党内抗争の一環との見方を報じている。
台湾では7月、兵役中に急死した陸軍下士官の死因は「虐待死」だったとして社会的批判が噴出し、国防部長(国防相)の更迭や辞任も続いている。
支持率が低迷する馬政権にとって、第4原発の建設工事続行の可否をめぐる住民投票や、中台相互の市場を開放するサービス貿易協定の審議など課題が山積する中、さらなる打撃となりそうだ。
日本人が見た台湾人、お金と浮気が好きで男性の地位が低い
6日、台湾在住の日本人作家・酒井亨氏は著書のなかで、多くの日本人が抱く台湾人のイメージについて述べている。写真は台北。
2013年9月6日、台湾・東森テレビのウェブサイトは、台湾滞在12年の日本人・酒井亨氏の著書を紹介した。
酒井亨氏は早稲田大学政治経済学部卒。2000年の離婚を機に仕事を辞め、台湾に移住した。12年間の歳月で感じた台湾人の印象を本にしている。それによると、台湾の女性は男を操縦するのがうまく、恋愛関係になると、男はひたすら女性に尽くさねばならない。酒井氏が最も不思議に思うのは、恋人のいる男女が他の人とも仲良くすることだ。これについて同氏は「台湾人は気が多いので、恋人同士になっても安心できない。だから男は恋人の行動をしっかり把握しようと必死になっている」と語る。
日本人の目に映る台湾人は少し変わった人々だ。酒井氏はユーモアあふれる文章で、台湾人の欠点について述べている。「お金が大好き、することがいい加減、公衆トイレが汚い、浮気が好き、男性の地位が低い」などだが、愛すべき点も多く「韓国と比べるとその差は一目瞭然」だという。
特に台湾人の人情に厚いところは日本人を上回る。公共交通機関に乗っている台湾人はボーっとしているように見えるが、お年寄りや体の不自由な人を察知する能力は極めて高く、すぐに席を譲る。
酒井氏の著書の要約を読んだネットユーザーの多くが、「やたらと台風休校が多い」「トイレが臭い」などの指摘に深い賛同の意を示しているが、一部には「上から目線が鼻につく」「台湾人をバカにしているとしか思えない」と批判的な意見も寄せられている。
日本統治時代の“発掘”がブーム 台湾、若年層に親日感情
大正ロマンにヒントを得た漫画や、戦前に甲子園で準優勝した野球部を描いた映画−。
台湾の若い世代が、日本統治時代を題材にした作品を次々と生み出している。政治的状況から、この時代は学校教育では詳細には触れられないが、日本のポップカルチャーの影響を受けた世代が歴史的資料を基に自由な発想で作品に仕上げている。中国との関係改善が急速に進むなかで、現在の台湾社会の文化的背景のひとつとして日本時代への興味が強まっているようだ。(台北 吉村剛史、写真も)
8月上旬、台北市内で漫画「台北高校物語」の出版記念会が開かれた。著者の陳中寧さん(24)と、資料を提供した台湾師範大学台湾史研究所、蔡錦堂准教授(62)の話に大学生ら約40人が聞き入った。
作品は、日本統治時代の台湾のエリート養成校、旧制台北高校の歩みを擬人化した異色の歴史漫画だ。主人公「台高」は学生マントにげた履きという典型的な旧制高校生の装いだ。
台北帝大などの仲間に加え、台高に「自由自治」の校風を根付かせた三沢糾(ただす)校長ら実在の人物も登場し、開校の経緯や当時の自由な学生生活、第二次世界大戦に至る暗雲が描かれる。
台高の校舎を受け継ぐ台湾師範大の美術学部出身の陳さんは、在学中に蔡准教授の講義で母校の“前身”に感動し、漫画のリポートを提出したのがきっかけで作品制作に乗り出した。
「当時の教育のユニークさを、漫画の発信力で多くの人に紹介したい」という陳さんは現在、東京の専門学校でアニメーションについて勉強している。「台高の戦中や戦後も描きたい」と続編制作にも意欲的だ。
「日本時代の台北の写真を見て、街並みの美しさに感動した。近代の日本と台湾文化の融合の上に開花した“大正ロマン”的な世界も魅力的だった」
台湾大出身で「AKRU」というペンネームの漫画家、沈穎杰さん(31)は代表作「北城百画帖」を手がけた動機をこう語る。
漫画の舞台は、台湾総督府が始政40周年を記念し、昭和10年(1935年)に台北で開催した「台湾博覧会」の時代だ。
カフェーの主人を軸に、日本軍の航空兵を志した台湾少年や、日本の台湾先住民研究者に協力したタイヤル族の少女の幽霊などを女性らしい視点で幻想的に描き、今年、日本の外務省主催の第6回国際漫画賞で入賞を果たした。
「学校の授業では日本時代にほとんど触れなかったから、大学で学んだ考古学的手法で発掘してゆく過程も楽しかった」という。
かつての台湾の歴史教育は「中国史」が中心で、民主化のなかで「台湾史」が見直されたのは、1997年に登場した中学生用教科書「認識台湾」からだ。それでも日清戦争の下関条約(1895年)から半世紀に及ぶ日本統治時代の分量は、多いとはいえない。
イラストレーターの呉旭曜さん(41)は「教育はどうあれ、日本は常に身近にあった。同居していた祖父母は日本語を用いていた」という。
そんな呉さんのイラストは、日の丸が翻る台南駅前の男女学生や、鳥居を背にした乃木希典ら歴代台湾総督など、日本時代に関係する人物や風俗が主要なテーマだ。
だが、どの人物も宇宙服のような服を着ているのが特徴で、「昭和少女」と題した一連の作品では少女が旭日旗の鉢巻き姿で日本刀を構えているなど、近未来と復古調が同居したような異色の作風だ。
呉さんの作品群は雑誌で取り上げられ、昨年は個展も開くなど話題を呼んだ。
今夏、日本時代をさす用語として、「日治」(日本統治)と「日據(にっきょ)」(日本による支配)のどちらがふさわしいかが論争となった。呉さんは「台湾は多様な価値観が混在する民主社会なので両方あっていい。日本時代に関して学術、芸術面では自由な表現が残ると思う」
台北市の政治大の世論調査によると、中国との関係改善に着手した2008年の馬英九政権発足以降、自分を「台湾人」と考えている人が急増している。
また、日本の対台湾窓口機関、交流協会の2012年度の対日世論調査では、尖閣諸島(沖縄県石垣市)問題がくすぶるなかでも、「最も好きな国・地域」で日本が43%で前年度から微増し、首位を堅持した。
「日本」と回答したのは20代が54%、30代が50%と、40〜80歳(39〜36%)を上回る。若者の親日感情の強さが際立った形だ。
1931(昭和6)年、夏の甲子園大会で準優勝に輝いた嘉義農林学校(現嘉義大)の野球部の活躍を描いた来年公開予定の映画「KANO」(嘉農)の魏徳聖プロデューサー(44)は、「台湾で自分たちの足下を見つめ直すとき、日本時代は避けられない」と語る。“発掘”は今後も続きそうだ。
■日治と日據(にっきょ) 戦後台湾では日本の台湾統治に関し、「日本による支配」を意味する「日據」という表現が主流だった。しかし、1990年代以降の社会的変化の中で日本統治時代を評価する動きもあり、教科書では「日治」(日本統治)などの表記が一般的となった。台湾の民間出版社が今年、「日據」表記の高校歴史教科書を申請し、識者らが「日治」に改めるよう求める一幕があった。教育部(日本の文科省に相当)は「学問の自由」を理由に両方の表記を認めたが、行政院(内閣に相当)は公文書では「日據」に統一するとの見解を出した。