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国有化1周年 尖閣問題の本質は「台湾問題」

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王・立法院が会見「特捜が職権乱用」「不法行為ない」


司法介入問題で進退を迫られる中、王金平・立法院長(国会議長)が10日夜、家族の結婚式が行なわれたマレーシアから台湾に戻り、桃園空港で会見を行なった。王氏はまず曾勇夫法務部長(辞任)との接触は「口利きに当たらない」と弁明、その上で「私が出国しているタイミングを狙って『口利き』問題を表面化させた」と特捜部を強烈に批判した。辞任や離党など進退に関する質問に対しては明言を避けつつ、「私は常に(国民)党と一つだ」と答えた。

王・立法院長、馬・総統との全面対決は避ける

王金平・立法院長は空港で6項からなる声明を発表したが、特捜班の盗聴に対する批判のみで、馬英九・総統に対する非難はなかった。しかし、馬・総統の政敵追い落としの決意は固く、国民党綱紀委員会がどのような決定を下すかにかかっているが、王氏にとっては分が悪い。声明文の推敲ではいろいろあったが、馬・総統を非難することは避け、特捜班のみをターゲットにして司法での反論に止め、対決姿勢をとらない策をとった。

陳菊市長「高雄の外資系企業、日本が最多」

高雄市の陳菊市長は9日、熊本県・市との国際交流促進覚書に調印し、今後貿易・投資、観光、教育などの分野で協力し熊本−高雄間の定期航空便就航実現に向けて協力していくことで一致した。また覚書締結の際、現地の外資系企業に占める日本企業の割合は最も高く170社に達すると語った。陳市長は「市の港湾施設や道路、鉄道建設などは日本統治時代に計画されたことから、高雄は歴史的にも日本と深い関係にある」と話したほか、2020年の東京オリンピック開催決定について祝福、震災後の日本が本格的に復興できることを希望すると激励した。

APEC首脳会議の特使に蕭・前副総統

総統府の李佳霏報道官は9日、馬英九総統がインドネシア・バリ島で10月に開かれる2013年アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の特使として蕭万長・前副総統を派遣することを決定したと発表した。李報道官は蕭前副総統任命の理由について、経済貿易や外交業務に熟知しており過去にもAPEC関連の会議に4度出席していることや、シンガポールのリー・シェンロン(李顕龍)首相とも友好な関係を築いていることから専門知識や人脈があり、アジア太平洋地区の経済貿易で一定の影響力を持っていることを挙げた。

10〜12月の雇用意欲、日本を上回る世界2番目の高

人材派遣大手の米マンパワーグループが10日発表した今年第4四半期の世界雇用予測で、台湾は雇用意欲の高さがインドに次ぎ世界で2番目に高く、日本はアジア太平洋地域では最下位から2位の低さとなっている。同調査は42カ国・地域の企業6万5000社を対象としたもので、台湾企業は1085社。台湾企業の41%が人員を「増加する」と回答、「削減」は4%、「変化なし」が54%、「不明」は1%。雇用を増やすと答えた割合から減員の割合を差し引いた純雇用予測は前年同期比3ポイント高い37%と、インドの40%を下回るものの、日本の12%よりはるかに高い。

ロンブー・田村淳が観光局宣伝番組撮影で来台

人気お笑いコンビ・ロンドンブーツ1号2号の田村淳が、台湾観光局のインターネット宣伝番組撮影のため台湾を訪問している。日本人観光客誘致のためにグルメ、ショッピング、ロマン、ロハスをメインテーマにしたインターネット台湾観光宣伝番組「台湾心旅行」で、第5弾となる今回は田村を旅人として起用し、台湾で活躍する佐藤麻衣をナビゲーター役に台湾の魅力を紹介する。

「台湾十景」の選定進む、暫定1位は野柳

行政院農業委員会林務局が実施中の「台湾『十大風景』投票活動(9月15日まで)」が残り一週間を切り、上位の顔ぶれが判明しつつある。10日正午の時点で1位野柳、2位日月潭、3位玉山主峰。このほか上位入りしそうなのは金山、金瓜石、大小霸尖山、藻礁など。林務局は「参加者はよく知られた名勝を選ぶ傾向が強いようだ」と分析。一方で同局は「台湾はほかにも特殊な地質、地形、景観は数多い」として、これまでに澎湖玄武岩、苗栗三義火炎山、屏東阿塱壹古道海岸など341の特殊景観地を選定したことを紹介している。

台湾で決裂…馬英九総統と王金平議長、同じ国民党の「なぜ?」

 台湾の馬英九総統と王金平立法院院長の決裂が決定的になった。馬総統は10日夜、検察への介入があったとして王院長の辞任を求める声明を発表した。王院長は検察の職権乱用を食い止めるためと反論している。台湾の立法院は日本で言えば国会、院長は国会議長に相当する。これまで「二人三脚」で選挙を勝ち抜いてきた2人だけに、今後の台湾政局に大きな影響を及ぼす可能性がある。中国新聞社などが報じた。(写真は「CNSPHOTO」提供。王金平院長)
 台湾の馬英九総統と王金平立法院院長の決裂が決定的になった。馬総統は10日夜、検察への介入があったとして王院長の辞任を求める声明を発表した。王院長は検察の職権乱用を食い止めるためと反論している。台湾の立法院は日本で言えば国会、院長は国会議長に相当する。これまで「二人三脚」で選挙を勝ち抜いてきた2人だけに、今後の台湾政局に大きな影響を及ぼす可能性がある。中国新聞社などが報じた。(写真は「CNSPHOTO」提供。王金平院長)

 王院長は1941年に高雄州岡山郡(現在の高雄市)で生まれた。1975年から立法院選挙で連続当選している。99年には立法院院長、2000年に国民党副主席に就任した。

 馬英九総統は父親が湖南省の出身だが、本人は1950年に香港で生まれた。米国留学経験があり、台北市市長を経て05年−07年、09年以降は国民党主席、また08年からは中華民国総統を務めている。

 台湾では事実上の二大政党制がほぼ定着している。馬総統の前任者は民進党の陳水扁総統だった。馬総統と王院長は国民党の政権奪回のために、二人三脚で多くの選挙を戦ってきた仲だ。

 「決裂問題」が急浮上したのは9月6日だった。最高法院(最高裁)検察署特別捜査チームが、王院長と民進党の議員団責任者を務める柯建銘議員の電話会話の監視記録を発表したことだった。王院長の発言に、柯議員に絡む裁判で、検察に対して「無罪判決が出た場合には上告しないよう」に告げたと説明する部分があったという。

 馬総統は「司法に介入した」と批判し、「立法院機構の責任者として不適切」、「国民党の尊厳を保つためにも辞任をしてもらいたい」などと述べた。王院長は「台湾の検察は職権を乱用して上告する」ことが問題と反論し、台湾の司法改革チームも毎年のように、検察の職権乱用による上告の事例を発表していると指摘した。

 さらに、「電話の監視」も正規の手続きを経ていないとして「職権乱用であり違憲だ」と批判し、辞任勧告には応じず、徹底的に“抗戦”する考えを示した。

 国民党上層部の「決裂」について、馬総統と王院長の間には以前から対立が深まっていたとの見方もある。王院長は民進党との対決では比較的柔軟で、立法院院長に就任したのも民進党からの信頼を得たことが大きな理由だった。ただし、議会運営では国民党が重視する法案が通らないことがしばしば発生していた。馬総統はいらだっており、“王院長切り”を図っていたとの見方がある。

 台湾の有権者の間で、王院長への「同情」が高まり、馬総統の支持が低下する可能性があるとの分析もある。

**********

◆解説◆

 第二次世界大戦で日本が敗戦したことにより、中華民国が台湾を統治することになった。蒋介石が率いる国民党が大陸で共産党に敗北したことにより、国民党政府は台湾に拠点を移した。大陸部からは大量の国民党員と支持者が台湾に逃れた。1995年の調査では、台湾の人口2100万人のうち、戦後になって台湾に移った、いわゆる「外省人」は124万人で、それ以前から台湾に住む「本省人」と「外省人」の間に生まれた人は358万人とされている。

 「本省人」は1645万人と圧倒的に多いが、「外省人」は国民党政府とともに台湾に来たとの経緯があり、今も台湾社会の上層部では、外省人の占める割合がかなり大きい。

 国民党は1945年に台湾に移って以来、「圧政」を敷いた。それ以前の台湾住民は「大いなる違和感と失望」を感じたという。台湾原住民パイツ・ヤタウヨガナさんは蒋介石の前に出た人がナチス式の敬礼をするので「なに、これ? 馬鹿みたい」と感じたという(ドキュメンタリー映画『台湾アイデンティティー』より)。パイツ・ヤタウヨガナさんの父親は地域の指導者で、住民社会の向上のため尽力したが、国民党当局に「問題分子」とみなされ、銃殺された。

 国民党は共産党との内戦を進めるために、台湾を経済的に搾取した。そのために、人々の不満はなおさら高まった。47年2月28日には台北市内でヤミたばこを売っていた女性に、取締官が暴行を加えたことがきっかけで国民党政権に対する蜂起が発生。国民党側は軍を動員して徹底的に弾圧した。この2.28事件の犠牲者は2万8000人とされるが、今なお真相は分かっていない。

 2.28事件にともない台湾では戒厳令が出され、約40年にわたり「恐怖政治」が続いた。台湾ではその後も、裁判を経ない逮捕や処刑が続いた。

 台湾では1970年になり、民主化運動が盛んになった。蒋介石の跡を継いだ蒋経国総統は民主化と開放政策に着手。87年には戒厳令を解除した。背景には、米中が関係を改善させていったので、「独裁体制を続けていたのでは、米国にとって、台湾を支援するイデオロギー面での理由が希薄。切り捨てられる可能性がある」との危機感もあったとされる。

 次の李登輝総統はまず、台湾省、台北市、高雄市での首長選挙を実現させ、2期目となる1996年の総統選挙では民選選挙(直接選挙)を実施して当選した。2000年の総統選挙では民進党の陳水扁主席が当選した。

 1996年の総統選挙は中華系民族の安定した実質的国家において、初めての民選選挙による国家指導者の選出、2000年の選挙は初めての「平和裏に実施された選挙による政権交代」となった。

 台湾では選挙制度がほぼ定着したと言ってよい。しかし、司法については「関係者の思想などで結末が変わる」との見方もある。総統府機密費の不正流用などで実刑判決を受け服役中の陳水扁前総統は「不当な扱い」と主張しつづけている。

 民進党支持者の中にも「国民党の有力者だったら、あのように厳しい判決はなかった」との声がある。台湾の司法については、まだ不信感も根強いと言わざるをえない。


台湾でイヌへの狂犬病感染を確認、予防接種の呼び掛け強まる

台湾の保健当局は10日、イヌへの狂犬病の感染が確認されたことを受け、ペットに予防接種を受けさせるよう飼い主に改めて呼び掛けた。台湾では数十年ぶりに狂犬病が流行しており、さらなる感染拡大の阻止に向けた努力が続けられている。

 イヌへの感染が確認されたのは、南東部台東(Taitung)県にある海端(Haituan)。生後45日の子犬がイタチアナグマに襲われたあと、狂犬病の症状を見せ始めたという。

 1959年以来となる狂犬病の発生を昨年5月に確認して以来、これまでに計124匹のイタチアナグマと1匹のトガリネズミへの感染がわかっている。

台北駅ホール、「寝転がる、飲食する」は禁止へ

台北駅のホールで、床に寝転がったり、ものを食べたり飲んだりする行為が禁止される。台北駅では2011年に、中心にあるホールが美しく整備されて以来、一部の人が床に座り、おしゃべりをしたり、ものを食べたりしている姿が見られるようになっている。


台北駅では、清掃と景観への影響を考慮し、2週間前からホールで寝転ぶ人たちに床には座らないよう注意してきた。そして近日中に、正式にホールで寝転んだり、ものを食べたりすることは禁止する広告を貼り出すという。ホールの両側にはベンチが設けられており、ものを食べる人にはその場所に移動してもらう。

台北駅では8月に、ホールの東側の壁際、東西二ヶ所の通路に合計64個の椅子を設置。10月末にはさらに、ホールの南北の柱6本の周りに36個の椅子を設ける。

一方、一部の鉄道専門家は、1階のホールを横切る人は実はそう多くなく、人々が自由に休んだり、ものを食べたり、ちょっとした集会をしたりすることが可能ならば、フレンドリーなスペースになるとして駅側に再考を促している。台北駅を利用する人は1日に延べ20万人。ホールを行き交う人はピーク時で1時間に500人だという。




台北101が十周年のセール、101階も一部に初公開

台北市にある高さ508メートルの高層ビル、台北101のショッピングモールがオープン10周年となることにあわせ、9日から10月6日までの間、さまざまな優遇プランを打ち出す。特定のクレジットカードで一定の金額を消費した場合のクーポン券や、日本の東京への往復航空チケット、自動車などが当たる抽選活動が行われる。

台北101の高層ビルは2004年12月31日に開業したが、下層にあるショッピングモールは2003年の11月にオープンしている。それから今年で10年となることを記念して、毎年この時期に行われる「周年慶」と呼ばれるバーゲンセールを拡大して実施する。

また、台北101は101階建てながら、展望台は89階にあり、101階のフロアはこれまでまったく公開されていなかった。台北101ではこのほど、10月6日までに台北101のVIPカードを利用して、台湾元101万元(日本円約340万円)を消費した場合、今年12月に101階のフロアで行われるクリスマスパーティーに参加する権利を与えることにした。

台湾では9月以降、大手百貨店やショッピングモールが、開店から何周年を記念するという意味の「周年慶」というバーゲンセールを相次いでスタートさせる。

総統が日本の小泉議員らと会見、台日提携強化希望

馬英九・総統は10日、日本の自民党の小泉進次郎衆議院議員率いる、同党青年部青年局幹部会外研修訪問団一行と会見した。小泉氏は青年局長。馬・総統は、台湾と日本の関係は密接で、過去5年あまりに顕著な進展があったとし、青年ワーキングホリデー協定、台日投資取決め、オープンスカイ協定、並びに来年、国立故宮博物院の収蔵品の日本での展示が実現することはいずれも重要な異議を持つと説明した。

馬・総統はまた、中華民国台湾も将来的には日本と同じように、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)やRCEP(東アジア地域包括的経済連携)に加われるようになり、中華民国が地域の経済統合の一部となれるよう希望した。その上で、馬・総統は、台湾と日本が徐々に自由貿易協定締結に向かい、双方の経済貿易分野での関係をよりレベルアップできるよう期待した。

ロンブー・田村淳が台湾観光局宣伝番組撮影で来台

人気お笑いコンビ・ロンドンブーツ1号2号の田村淳が、台湾観光局のインターネット宣伝番組撮影のため台湾を訪問している。台湾特産のお茶や夜市のグルメを紹介する番組で、観光局はさらなる日本人観光客を取り込みたいとしている。

観光局では日本人観光客誘致のためにグルメ、ショッピング、ロマン、ロハスをメインテーマにしたインターネット台湾観光宣伝番組「台湾心旅行」を制作しており、第5弾となる今回は田村を旅人として起用、台湾で活躍する佐藤麻衣をナビゲーター役に台湾の魅力を紹介する。開業百年の老舗茶屋ではお茶の知識や味を学び「聞き茶」に挑戦するほか、夜市では先月上旬に発表されたばかりの屋台グルメランキングに選ばれた美食を楽しみ、実際に屋台で“お手伝い”もするという。

田村はオファーを受けてとてもよろこんだといい、2泊3日のスケジュールで9日に来台した際には短文投稿サイトに「今天来到台湾了(今日台湾に着きました)」と中国語でメッセージを書き込んでいた。

観光局によると、撮影された番組は今後オフィシャルサイトや動画投稿サイトなどで視聴することができ、旅行者やファンに台湾の魅力を伝えるとしているほか、パックツアーを扱う日本の旅行会社にも配布するとしている。また、これ以降も台湾と日本で活躍する芸能人らを招き台湾各地の観光スポットを紹介する予定だという。

今年1月〜6月に台湾を訪れた日本人旅行者の数は昨年同期比で8%減少しており、観光局では日本人旅行者誘致に力を注いでいる。

台湾の呉経国理事、IOC会長選に落選

国際オリンピック委員会(IOC)で2期12年を務めたジャック・ロゲ会長の退任にともなう新会長選挙が台湾時間10日深夜、アルゼンチンのブエノスアイレスで行われ、IOC理事で台湾の呉経国候補(66)が落選した。新しい会長にはドイツ出身で副会長のトーマス・バッハ氏(59)が6人の候補者から選ばれた。

選挙は過半数を獲得する候補者が出るまで得票数の最下位を除外する方式で行われ、呉氏は1回目の投票でシンガポール出身のセルミャン・ウン副会長と同じ最下位で同数となったが決選の末敗れた。

昨2012年に台湾初のIOC理事に選ばれた呉氏は1988年からIOC委員を務めるなど候補者6人の中で委員歴最長。また66歳と最年長だがこれが敗因となったとみられている。

呉氏は会長選では敗れてもIOC委員として今後新会長を補佐していくと感想を述べた。

IOC会長の任期は8年で再選により4年間の延長が可能。2020年の東京オリンピックは新会長のもとで行われることになる。

両岸の華僑団体、横浜中華学院の用地問題で合意

台北駐日経済文化代表処横浜分処と華僑の代表者は10日、横浜中華街において中華民国(台湾)と中国大陸に分かれている華僑団体の間で60数年来の懸案となっていた華僑学校の用地問題が今年になって合意に達したと明らかにした。

横浜中華街のほぼ中央に位置する中華民国系の華僑学校、「横浜中華学院」の土地は1948年、まず横浜華僑総会会長、張方広氏の名義で登記が行われ、その後学校への名義換えが行われる予定だった。しかし、当時の国共内戦や1949年の中華民国政府の台湾移転を背景に、華僑は大陸支持派と中華民国支持派の左、右2派に分かれ、用地問題は未解決のまま残されることに。1952年には親大陸派教師らが同校追放となり大陸系「横浜山手中華学校」が新たに創立され、横浜には2つの華僑学校が存在することになった。

横浜華僑の代表者の1人によると、2008年、馬英九氏が総統に就任後、台湾と大陸の両岸関係緩和が進むと横浜華僑の間でも対立から協調ムードへと変わり、左派・右派間での接触も増え、学校用地問題では今年7月、同意書にサインが行われた。現在は張氏遺族の署名押印と名義書き換えを待つのみだという。

横浜中華学院は築50年近くで老朽化が進んでおり、一昨年の震災では校舎の一部が損壊、華僑から多額の寄付金を集めて補修工事が行われている。校舎改築の声はかねてより上がっていたものの、これまでは用地問題で頓挫してきた。台湾文化経済代表処の横浜分処では、今回の用地問題についての合意を基にもし改築再建がかなうなら中華文化と華僑教育の一層の普及に役立つに違いないと話している。

対日窓口トップ、台日関係の実質的強化に意欲

台湾の対日本窓口機関「亜東関係協会」の李嘉進会長(=写真)は10日、蒲島郁夫熊本県知事をはじめとする訪問団と座談会を開き、今後は双方の相互利益達成や理解強化のため、日本との交流プラットフォームとして同協会の機能を積極的に発揮していきたいとの考えを示した。

李氏は台日の努力で投資取り決めやオープンスカイ協定、漁業協定などが締結されたほか漁業委員会も発足、これらはいずれも日本との交流成果だと述べた。また、国立故宮博物院が来年6月と10月にそれぞれ東京と九州に出展することについては、日本との文化交流において重要な意義を持っており「ぜひ見てほしい」と訪問団に呼びかけた。

今年5月の会長就任後、日本の自治体首長との会談に前向きな姿勢を見せている李氏はすでに宮崎、香川、神奈川、山梨、宮城などの関係者と、高校生の相互訪問や観光、文化、経済などについて意見交換を行っており、これらを通じて日本との経済、文化、観光交流を促進し双方の実質的な関係の強化につなげたいとしている。

台湾・陳菊高雄市長が湿地で優雅な朝食会

「アジア太平洋都市サミット」(APCS)を開催中の高雄市で10日、陳菊市長(=写真前列右2)が各都市首長らを招き「中都湿地公園」で美しい風景を楽しみながらの朝食会を開いた。大都市の中に作られた自然豊かな公園での朝食会に、過去に重工業で栄えた高雄の緑地化や自然環境への取り組みをアピールした。

朝食会には深セン市、福州市(いずれも中国大陸)、美濃市(日本)、コロンボ市(スリランカ)などの首長らが参加し、早朝の高雄の美しい風景の中で台湾式の朝食を楽しんだ。

「中都湿地公園」は約30年前から休閑地になっていた場所を高雄市政府が中心に自然、生態、教育、景観の機能を擁する多機能公園として再整備した公園で2011年4月に完成したもの。陳市長は参加者に対して、「無償で公園用地を取得し、全ての人に憩いの空間を楽しんでもらえる場所」として紹介したほか、今後はより広く快適な緑地空間を提供したい考えも示した。

園内では海水と淡水が交じり合い、ヒルギモドキや海茄苳などのマングローブの育成にも成功している。

台湾10〜12月の雇用意欲、日本を上回る世界2番目の高さ

人材派遣大手の米マンパワーグループが10日発表した今年第4四半期の世界雇用予測で、台湾は雇用意欲の高さがインドに次ぎ世界で2番目に高く、日本はアジア太平洋地域では最下位から2位の低さとなっている。

同調査は42カ国・地域の企業6万5000社を対象としたもので、うち台湾企業は1085社。台湾企業の41%が人員を「増加する」と回答、「削減」は4%、「変化なし」が54%、「不明」は1%。雇用を増やすと答えた割合から減員の割合を差し引いた純雇用予測は前年同期比3ポイント高い37%と、インドの40%を下回るものの、日本の12%よりはるかに高い。中国大陸は14%、シンガポールは21%だった。

またこの調査によると、金融・保険・不動産業、製造業、鉱工・建設業、サービス業、運輸・公益業、卸・小売業などの調査業種のうち、雇用意欲が最も高い上位3位は順にサービス業、鉱工・建設業、金融・保険・不動産業となっている。

国有化1周年 尖閣問題の本質は「台湾問題」

 昨年9月11日に、日本政府が尖閣諸島の国有化を決定してから1年が過ぎた。その間日中交流は停滞し、尖閣諸島の周辺海域では双方の法執行機関の船がにらみ合う緊張状態が続いた。中国海軍による火器管制レーダー照射や、領空侵犯事例も発生した。

 中国側は日本政府が「国有化」を発表した9月10日を屈辱の1周年とみなしており、新設された国家海警局の8隻の監視船を領海に侵入させるだけでなく、爆撃機や無人偵察機を使った空における示威行為も繰り返している。サンクトペテルブルクで開かれたG20首脳会議で、安倍晋三首相と習近平国家主席が初めて挨拶を交わしたが、日中関係がこれによって急速に改善するというのは早計であろう。

 尖閣諸島をめぐる日中の主張は真っ向から対立しており、これが簡単に解決することはあり得ない。日本政府としては、不測の事態が武力衝突につながることがないよう現状を管理しつつ、中国との対話を重ね、一方で日本の立場の正当性を国際社会に理解してもらう努力を続けなければならない。

 そのためには、まず尖閣問題の本質をしっかりと見極める必要がある。その上で、適切な政策を立てていくのだ。

中国より早かった台湾の主張
 尖閣問題は日中間の資源をめぐる対立だと考えられがちだが、その本質は台湾問題である。台湾政府が尖閣諸島の領有権を初めて公式に宣言したのは1971年の6月で、その年の12月に主張を始めた中国政府より半年早い。

 台湾が主張を始めた理由は資源である。台湾は特に漁業資源に強い関心があり、米軍統治下の尖閣周辺でも不法操業を行っていた。加えて、1968年に国連極東経済委員会が石油資源埋蔵の可能性を指摘した後、1958年に調印された大陸棚条約の批准をし、アメリカの企業と試掘の契約を結ぶなど、海底資源にも深い関心を持っていた。

 台湾側の主張は、尖閣諸島は元々台湾の一部であり、日清戦争を終結させた1895年の下関条約で台湾と一緒に日本に割譲されたとしている。このため、1943年のカイロ宣言、1945年のポツダム宣言、1952年のサンフランシスコ講和条約と日華平和条約に基づき、日本は台湾及び澎湖諸島を放棄したのだから、尖閣諸島も一緒に返還すべきだ、というのが台湾の主張のポイントである。

 しかし、公開された台湾側の外交文書や『蒋介石日記』の記述からは、これとは反対の事実が浮き上がってくる。台湾側の史料によれば、台湾が当初尖閣諸島を琉球の一部と明確に認識していたことが確認できるのだ。

台湾で決裂…馬英九総統と王金平議長、同じ国民党の「なぜ?」

 台湾の馬英九総統と王金平立法院院長の決裂が決定的になった。馬総統は10日夜、検察への介入があったとして王院長の辞任を求める声明を発表した。王院長は検察の職権乱用を食い止めるためと反論している。台湾の立法院は日本で言えば国会、院長は国会議長に相当する。これまで「二人三脚」で選挙を勝ち抜いてきた2人だけに、今後の台湾政局に大きな影響を及ぼす可能性がある。中国新聞社などが報じた。(写真は「CNSPHOTO」提供。王金平院長)
 台湾の馬英九総統と王金平立法院院長の決裂が決定的になった。馬総統は10日夜、検察への介入があったとして王院長の辞任を求める声明を発表した。王院長は検察の職権乱用を食い止めるためと反論している。台湾の立法院は日本で言えば国会、院長は国会議長に相当する。これまで「二人三脚」で選挙を勝ち抜いてきた2人だけに、今後の台湾政局に大きな影響を及ぼす可能性がある。中国新聞社などが報じた。(写真は「CNSPHOTO」提供。王金平院長)

 王院長は1941年に高雄州岡山郡(現在の高雄市)で生まれた。1975年から立法院選挙で連続当選している。99年には立法院院長、2000年に国民党副主席に就任した。

 馬英九総統は父親が湖南省の出身だが、本人は1950年に香港で生まれた。米国留学経験があり、台北市市長を経て05年−07年、09年以降は国民党主席、また08年からは中華民国総統を務めている。

 台湾では事実上の二大政党制がほぼ定着している。馬総統の前任者は民進党の陳水扁総統だった。馬総統と王院長は国民党の政権奪回のために、二人三脚で多くの選挙を戦ってきた仲だ。

 「決裂問題」が急浮上したのは9月6日だった。最高法院(最高裁)検察署特別捜査チームが、王院長と民進党の議員団責任者を務める柯建銘議員の電話会話の監視記録を発表したことだった。王院長の発言に、柯議員に絡む裁判で、検察に対して「無罪判決が出た場合には上告しないよう」に告げたと説明する部分があったという。

 馬総統は「司法に介入した」と批判し、「立法院機構の責任者として不適切」、「国民党の尊厳を保つためにも辞任をしてもらいたい」などと述べた。王院長は「台湾の検察は職権を乱用して上告する」ことが問題と反論し、台湾の司法改革チームも毎年のように、検察の職権乱用による上告の事例を発表していると指摘した。

 さらに、「電話の監視」も正規の手続きを経ていないとして「職権乱用であり違憲だ」と批判し、辞任勧告には応じず、徹底的に“抗戦”する考えを示した。

 国民党上層部の「決裂」について、馬総統と王院長の間には以前から対立が深まっていたとの見方もある。王院長は民進党との対決では比較的柔軟で、立法院院長に就任したのも民進党からの信頼を得たことが大きな理由だった。ただし、議会運営では国民党が重視する法案が通らないことがしばしば発生していた。馬総統はいらだっており、“王院長切り”を図っていたとの見方がある。

 台湾の有権者の間で、王院長への「同情」が高まり、馬総統の支持が低下する可能性があるとの分析もある。

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◆解説◆

 第二次世界大戦で日本が敗戦したことにより、中華民国が台湾を統治することになった。蒋介石が率いる国民党が大陸で共産党に敗北したことにより、国民党政府は台湾に拠点を移した。大陸部からは大量の国民党員と支持者が台湾に逃れた。1995年の調査では、台湾の人口2100万人のうち、戦後になって台湾に移った、いわゆる「外省人」は124万人で、それ以前から台湾に住む「本省人」と「外省人」の間に生まれた人は358万人とされている。

 「本省人」は1645万人と圧倒的に多いが、「外省人」は国民党政府とともに台湾に来たとの経緯があり、今も台湾社会の上層部では、外省人の占める割合がかなり大きい。

 国民党は1945年に台湾に移って以来、「圧政」を敷いた。それ以前の台湾住民は「大いなる違和感と失望」を感じたという。台湾原住民パイツ・ヤタウヨガナさんは蒋介石の前に出た人がナチス式の敬礼をするので「なに、これ? 馬鹿みたい」と感じたという(ドキュメンタリー映画『台湾アイデンティティー』より)。パイツ・ヤタウヨガナさんの父親は地域の指導者で、住民社会の向上のため尽力したが、国民党当局に「問題分子」とみなされ、銃殺された。

 国民党は共産党との内戦を進めるために、台湾を経済的に搾取した。そのために、人々の不満はなおさら高まった。47年2月28日には台北市内でヤミたばこを売っていた女性に、取締官が暴行を加えたことがきっかけに国民党政権に対する蜂起が発生。国民党側は軍を動員して徹底的に弾圧した。この2.28事件の犠牲者は2万8000人とされるが、今なお真相は分かっていない。

 2.28事件にともない台湾では戒厳令が出され、約40年にわたり「恐怖政治」が続いた。台湾ではその後も、裁判を経ない逮捕や処刑が続いた。

 台湾では1970年になり、民主化運動が盛んになった。蒋介石の跡を継いだ蒋経国総統は民主化と開放政策に着手。87年には戒厳令を解除した。背景には、米中が関係を改善させていったので、「独裁体制を続けていたのでは、米国にとって、台湾を支援するイデオロギー面での理由が希薄。切り捨てられる可能性がある」との危機感もあったとされる。

 次の李登輝総統はまず、台湾省、台北市、高雄市での首長選挙を実現させ、2期目となる1996年の総統選挙では民選選挙(直接選挙)を実施して当選した。2000年の総統選挙では民進党の陳水扁主席が当選した。

 1996年の総統選挙は中華系民族の安定した実質的国家において、初めての民選選挙による国家指導者の選出、2000年の選挙は初めての「平和裏に実施された選挙による政権交代」となった。

 台湾では選挙制度がほぼ定着したと言ってよい。しかし、司法については「関係者の思想などで結末が変わる」との見方もある。総統府機密費の不正流用などで実刑判決を受け服役中の陳水扁前総統は「不当な扱い」と主張しつづけている。

 民進党支持者の中にも「国民党の有力者だったら、あのように厳しい判決はなかった」との声がある。台湾の司法については、まだ不信感も根強いと言わざるをえない。







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