去る6月26日、出版卸業で業界第4位の栗田出版販売が民事再生を申請した。取引する出版社が約2000社もあったため、出版界はもっぱらこの話題一色に染まった。しかしその裏で、実は同日に、もっと出版界に衝撃を与えるビッグニュースが流れていた。それは、アマゾンが出版社6社と手を組んで、110タイトルの書籍を、期間限定で2割引で販売するという話である。
これを報じたのは日経新聞と東洋経済オンラインだった。
日経の記事は「低価格で集客したいアマゾンと、返品を減らしたい出版社の思惑が一致した」とその狙いを指摘。一方の東洋経済オンラインは、「アマゾンの狙いは、期間限定キャンペーンをやることではなく、恒常的に自由な価格で販売できるようにすることだ。『価格の柔軟性があれば返本率を減らすこともできる。マーケットを活性化させることができると信じているため、なるべく早く、"自由な価格で売れること"を普通のことにしたい』(種茂本部長)」とさらに深い分析を掲載した。
他業界の人からすれば、「割引販売をすることが衝撃のニュース?」とまゆをひそめるかもしれないが、再販制度の下、定価販売が慣習となっている出版業界では「ついに日本でも価格競争が始まるのか?」と思った人も少なくないのである。
しかし、これらの記事が出るや否や、件の出版6社の中の主婦の友社が「アマゾンとは時限再販契約を結んでいない。日経とアマゾンに猛抗議した」という文章を突如、ホームページにアップした。
翌日には、日経が「『アマゾンと出版社の間で時限再販と呼ぶ契約をして、対象書籍を一定期間後に再販制度の枠組みから外すことで、値引きできるようにする』とあったのは『アマゾンと出版社の合意に基づき値引きできるようにする』の誤り」とする訂正記事を出した。
東洋経済オンラインも、「取次である日販も協力」という文言を、「取次である日販にもこの取り組みを説明し、通常の商流を維持する」と訂正した。
なぜ、主婦の友社は突如、猛抗議したのか。なぜ、東洋経済オンラインは、あまり重要にはみえない日販のくだりを訂正したのだろうか。
これについてある出版社の営業マンはこう見立てる。
「紀伊國屋書店の高井昌史社長がそれらの記事を見て、大激怒したようだ。その日のうちに6社が呼び出しを受け、アマゾンで割引販売する110タイトルの書籍全点を、すべての紀伊國屋書店から返品すると通告されたそうです。リアル書店でナンバーワンの紀伊國屋さんを怒らせるのは、営業にとっては絶対のタブー。それで、主婦の友社さんはあれだけ過剰に反応したんですよ。『時限再販契約はしていない』といっても合意はあったんでしょうから、紀伊國屋さんとしては、許せないでしょう」
また別の出版社の営業幹部が話す。
「東洋経済オンラインの初出の記事で、『日販が協力』と書いてあったことで、日販もとばっちりを受けたようです。『紀伊國屋さんから、お叱りの電話をうけた』と聞きました。高井社長のアマゾン嫌いは、業界でも有名な話です。記事が出た翌週の7月1日には、出版流通イノベーションジャパン(紀伊國屋書店と大日本印刷の合弁会社)が新たな出版流通のビジネスモデルを提示する説明会がありました。内容は直取引や時限再販の活用などでした。きっと、自分たちの発表前に、アマゾンに邪魔されたと思ったのでしょう」
時限再販とは、再販制度の弾力運用の一環で、期間や場所を限定して出版社の価格拘束を解き、小売が自由価格で販売できる制度のことを言う。東京国際ブックフェアや神保町ブックフェスティバルなどで、出版社自らが読者謝恩を目的に、2~5割引で書籍を販売しているのが、その最たる例だ。
ただ、この時限再販にはきちんとしたルールがある。出版社が時限再販に指定した書籍はすべての書店が割引販売をしていいのである。では、紀伊國屋書店も怒って返品せずに、割引けばいい――そう思う人も多いだろう。しかし、紀伊國屋がそうできない理由がきちんとある。
今回のアマゾンの20%割引は、出版社が10%、アマゾンが10%を負担して実施している。事前交渉でアマゾンは「割引負担はすべて出版社の負担で」と強引に言ってきたという話もあるようだ。しかし、それもそのはずで、そもそも書店の粗利は約20数%と低いのである。早い話、20%しかないのだから、20%引きで売ったら、利益はゼロ。ゆえに、出版社がある程度のバックマージンを支払わないと値引き販売はしない・できない構造になっているのだ。それが、制度上は、再販制度の弾力運用が可能であっても、業界に広がらない原因なのである。ネット上で時限再販がこれから広がるなどと安直に書いている人がいるが、この構造を知らないがゆえ、であろう。
さて、もうお分かりいただけたであろう。紀伊國屋が怒ったのは、今回の6社が、アマゾンだけにバックマージンを支払って割引販売を奨励しているにも関わらず、多くの書店が同じ商品を定価でしか売れない状況を放置したからである。
取次関係者は言う。
「この一件は、完全に出版社の勇み足ですね。この6社はすべてアマゾンと優遇マーケティングの契約をしている会社です。古い書籍なら他の書店に迷惑をかけないと思っていたのかもしれませんが、完全に見誤っています。事前に一言、説明しておけば、これほどの大事にはならなかったでしょう。紀伊國屋さんが各社を呼びつけたのも、出版社がアマゾン一社を優遇するような流れにくさびを打ちたかったのでしょうね」
では、書籍を値引き販売することで出版社の売上・利益は上がるのだろうか? アマゾンは、今後も出版社との事例を積み上げて、割引販売の有効性をデータで示そうと考えているようだが、今回の件を受けて協力する出版社はまず少ないだろう。
6社のうちのある1社に勤務する人物は話す。
「実際、アマゾンの割引販売ですが、それほど売れていません。参考になるデータは取れないでしょう」
「売れない本は安くしても、売れない」という業界の定説は覆されることはないのだろう。