台北の桜、もうすぐ満開 台湾でお花見のミニトリップを!
日本は桜の美しい国として知られるが、台北市でも1月から桜のシーズンが始まる。はるばる日本に赴かなくても桜を鑑賞できればと3日、市内の桜の名所トップ10が発表された。
トップ10に選ばれたのは、陽明山平等里・平菁街42巷(カンザクラ)、思源街・台北自来水園区(カワヅザクラ)、仰徳大道・花卉試験中心(ヤマザクラ)、陽明山桜花林区(ヤマザクラ)、中正紀念堂(ヤマザクラ)、北投・復興高校裏門(ヤマザクラ)などで、開花時期は1月上旬〜3月中旬と予測されている。
また、市民に旬の桜の名所を把握してもらおうと、今年リニューアルオープンしたばかりの花見情報提供サイト「台北新花漾」でも特別に桜の鑑賞専用ページ(http://flowers.taipei.gov.tw/Sakura/)が開設された。(中国語のみ)
この中では、台北市で見られる寒桜や山桜、八重桜、昭和桜、染井吉野などの場所や本数、開花時期の予測、交通アクセスなどの情報が北投、士林、大同など市内12の行政区域別に紹介されており、人々は自分の好みに応じたお花見ツアーを組むことができる。
台湾当局、日本輸入のイチゴなどから農薬検出と発表
中国メディア・中国新聞社は2日、台湾の食品管理当局が同日発表した輸入食品不合格リストのなかに、日本から輸入されたイチゴや抹茶が含まれていたと報じた。いずれも基準値を超える農薬が検出されたという。
記事は、台北市の企業が日本から輸入したイチゴ2ロットから規定に反する農薬含有量や農薬物質が検出され、そのうち1ロットではフルフェノクスロンなど複数種類の農薬含有量が基準値を超えたと伝えた。
また、同じく日本から輸入された抹茶ミルク粉末からも基準値を超えるテブコナゾール、フロニカミドなどの農薬成分が、別の抹茶パウダーやグリーンティーからも基準値を上回る農薬がそれぞれ検出されたとした。
いずれの食品も、すでに廃棄または返送処理が行われた。
桃園空港前で観光バス同士が追突事故 日本人10人けが
桃園国際空港前の連絡道路で昨夜7時40分頃、観光バス同士の追突事故があり、日本人旅行客10人がけがをした。いずれも軽い打撲だという。警察では事故原因を調べている。
桃園県消防局119救災救護指揮センターによると3日夜、桃園空港(大園郷)第1ターミナルビル前の航勤北路で観光バス同士の追突事故があったとの連絡が入り、ただちに救急隊を派遣、けがをした10人を林口長庚病院(亀山郷)と経国敏盛病院(桃園市)に搬送した。けがをしたのは57歳から77歳までの男性3人、女性7人でいずれも軽い打撲。病院で手当てをした後、台湾観光を続ける。
事故は台湾に到着したばかりの日本人観光客20人と台湾人ガイド2人を乗せていたバスが前のバスに追突して起こったもので、前のバスに乗客は乗っていなかった。
ジャカルタ知事、台湾の鴻海精密に工場用地提供の意向=通信社
インドネシア・ジャカルタ首都特別州のジョコ・ウィドド知事は、台湾の電子機器受託製造大手、鴻海精密工業(フォックスコン)<2317.TW>に対し工場用地として最大200ヘクタールの土地を提供する用意があると表明した。
知事は台湾の中央通信社とのインタビューで、フォックスコンの会長に対し、用地に加え、必要なインフラと労働力も提供することを約束したと明らかにした。
知事室に確認は取れていない。
フォックスコンはインドネシアでの投資についてインドネシア政府と1年以上協議を続けてきたが、税をめぐる問題で協議は停滞していた。
フォックスコンは12月にカナダのブラックベリー<BB.TO>とインドネシアでの携帯電話の開発と販売について提携を発表している。インドネシアに工場を設立するまでは、フォックスコンは中国の工場でブラックベリーの携帯電話を製造する。
台湾“国宝級”音楽家の李泰祥氏死去
1970年代の台湾のフォークソング「橄欖樹」(オリーブの木)、「告別」(別れ)などで有名な作曲家の李泰祥(リー・タイシャン)氏が2日夜、入院中の新北市内の病院で死去した。享年72歳だった。長年、幅広い分野で台湾の音楽に貢献し、2008年に第12回国家文芸奨、2013年には第32回行政院文化奨を受賞している。
李氏は台東出身のアミ族で1941年生れ。日本人教師にバイオリンの手ほどきを受けたと言われ、1956年に芸術専門学校に入学、のちクラシック音楽の道に進む。1970年代に入って創作活動の幅を大きく広げ、クラシック歌曲からポップスや当時若者に人気だったフォークソング(校園民歌)へ、さらに台湾民謡・客家民謡の編曲、原住民歌謡、映画音楽やドラマのテーマ曲、コマーシャル音楽まで手がけた。その他、室内楽、交響楽、舞台音楽、前衛音楽など各分野で活躍を続け、ドイツ、アメリカ、日本などにも招かれ研究や発表を行っている。
李氏が手がけた台湾ポップスのうち最も親しまれている曲の1つが台湾の作家・三毛(サンマオ)の作詞によるフォークソングの名曲、「橄欖樹」。歌手・斉豫(チー・ユー)が1979年にアルバムを出し、その優しいメロディーが台湾のみならず中華圏全体を風靡した。
李氏はその後1988年にパーキンソン病を患っていることがわかり、以来、25年間の闘病生活の中でも創作に打ち込み続けた。去年4月の文化奨授賞式では車いすで会場に姿を見せ、許景淳、唐暁詩、殷正洋、李建復、潘越雲らベテラン歌手らが勢ぞろいし黄韻玲(ケイ・ホァン)のピアノ伴奏で「橄欖樹」と「一條日光大道」を歌うのにあわせ、李氏は両手を振りかざし指揮を取った。
馬英九総統は3日、李氏の家族に電話で哀悼の意を表したほか、インターネット上でも、李氏は出身や世代を越えた音楽の創作に取り組み、後輩の指導や公益活動にまで力を尽くす“国宝級”の音楽家だったとしてその功績を称えしのんだ。また、龍応台文化部長も取材に対し、数カ月前見舞いに行った際の様子に触れ、口のきけなくなった李氏はなおも創作に意欲を燃やしているようだったと惜しんでいた。