冷え込んでいた英中関係の修復を喫緊の課題とする英国政府が、習主席の宿泊先にバッキンガム宮殿を提供し、英国両院議会での演説に招請するなど破格の厚遇で迎えた習主席の英国公式訪問は、総額7兆円超と言う巨額契約を結ぶ事でキャメロン政権の望む結果を生んで終った。
然し、英国が習主席歓迎一色で塗りつぶされた訳ではなく、エリザベス女王主宰の習主席歓迎公式晩餐会には、チベット解放運動に熱心なチャールス皇太子が欠席するなど、人権や民主主義の価値を共有していない英中両国の関係深化を懸念する声も多かった。
中でも、英国式議会民主主義の真骨頂を発揮したエピソードとして、バーカウ下院議長の上下両院議会に於ける習主席紹介演説を挙げたい。
同じ保守党に属するとは言え、キャメロン首相のもろ手をあげた習主席歓迎姿勢に苛立ちを抑え切れずに居たバーカウ議長は、そのキャメロン首相をはじめとする上下両院議員が見上げる中で、短い言葉で中国の問題点を鋭く突いた「レクチャー(お説教)」で上下両院議会を開幕した。
この演説は、長い歴史を持った近代国家と言う英中両国の共通点に触れながら、習主席が内心最も触れて欲しくないと思っていた自由と民主主義に触れ:
「本議会には、人権と自由の世界的シンボルであるミャンマーのアウン・サン・スー・チー女史も演壇に立ち、来月は世界最大の民主国家であるインドのナレンドラ・モディ首相の演説も予定されている」とスー・チー女史を弾圧したミヤンマー軍事政権を支持して来た中国を皮肉り、中国の敵対的ライバルで、ダライラマの亡命を受け入れたインドを礼賛した上で、中国については「暗いと不平を言うより蝋燭に火を灯した方が良い。(In all this, we can usefully reflect on the wise Chinese words that it is better to light a candle than to curse the darkness)」と言う中国に古くから伝わる言葉を引用しながら「今回の本議会訪問が、中国が強い国としてだけでなく、道徳的な指導国になる道を灯す助けとなる事を切望して止まない」と述べて終えたものであった。
興味深い事に、英語が苦手な筈の習主席は下院議長の演説の最中も同時通訳機をつけないでいつもの仏頂面を変えなかったが、中国語が全く出来ないキャメロン首相までが同時通訳機を使用せずに11分間辛抱していたのは、お互い聞きたくないからそうしたのではないかと疑われるくらい不思議な現象であった。
自由奔放な発言で知られるバーカウ議長だが、英国のマスコミも「習主席は、想像もできなかったお説教で議会に迎えられた」と報道した位だから、メンツを重んじる中国と習主席の内心は想像に余るものがある
肝心の習主席の演説への反応は「退屈で内容が無いと言う点では完璧だった」とか、「国民の手に権力があって法治で運営される英国のシステムと社会主義の法に基づいた中国式モデルを比較するのは滅茶苦茶だ。」などと皮肉られ、歴史に関しても「自分たちに有利なところだけをつまみ食いしている」などと散々だった演説内容だけでなく、シェークスピアやベーコンの引用の解釈も間違っているなどと事実の誤りまで指摘されては、演説のゴーストライター(代筆者)は、帰国後処刑されるのでは?と余計な心配もしたくなる。
然し、東亜日報(電子版)の「習主席の屈辱、英議会演説で拍手は一度も起こらず 」と言う見出しは、「演説中の拍手は禁止はされてはいないが控える」事が伝統とななっている英国議会のしきたりを知らない誤った記事である。
その証拠に、異常な雰囲気で行なわれた習主席演説と熱狂的に迎えられたアンサン・スーチー女史の演説は共に演説中の拍手はなく、違うのはスーチー女史の演説前後には総員起立して拍手が贈られたのに比べ、習演説の前後に贈られた拍手は総員着席のままの儀礼的拍手であったことである。
労働党議員から「自分を噛んだ犬の手を舐めるような行動だ」と激しく非難されたキャメロン首相の習主席への手厚い歓迎だが、英国大手新聞のテレグラフ紙が行なった世論調査では、英国民は今後20年間に最も重要な貿易相手国として中国を1位に上げ、2位の欧州同盟国を10%以上引き離し、中国が今後20年に更に強い経済大国になると考える国民が過半数を占め、大半の国民が中国とのより密接な関係を望んでいると言う結果が出ている様に、英国民が現実的な見方をしている事は明らかである。
英国が欧州主要国でAIIBに最初に参加したり、英国インフラの中核であるヒンクリーポイント原発建設について中国が60億ポンド(約1兆1千億円)を出資し、事業の株式33.5%を取得することで合意したキャメロン首相の積極的対中姿勢の裏には、この様な国民的な支持に対する自信が有ったに違いない。
欧州が強い発言権を持つ国際通貨基金(IMF)が、国際通貨として人民元を採用する方向で調整していると報じた様に、英国に限らず欧州勢には中国の人権問題に関する批判を封じて実利外交に転換している国が多い。
背に腹は変えられないとは良く言ったもので、人権重視の欧州諸国も「ハート」より「懐」を重視する現実政策に傾いている昨今、日本の政策の舵の取り方の難しさを痛感させられた習主席の英国訪問であった。