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絵文字の元祖、江戸時代に 庶民の言葉遊びか

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最近時たま街で見かける「〼(□に/)」という文字は江戸時代にあふれていました。天下泰平の世に大衆が好んだ戯作や、当時の言葉遊びの一種である「判じ物」に登場します。何とも古めかしい風情を醸し出す〼(□に/)の源流は、文化爛熟(らんじゅく)の時代にあるのかもしれません。

■寺子屋で識字率向上背景

 弥次さん喜多さんが道行く十返舎一九の「東海道中膝栗毛」の滑稽本や、山東京伝や為永春水が色恋をつややかに描いた洒落本、人情本が江戸庶民の心をつかんだ。こうした戯作の中に〼(□に/)が出てくるという。「文の終わりで『ます』と読ませる形で登場します」と、戯作に詳しい早稲田大の棚橋正博・非常勤講師(近世文学)は話す。

 戯作には、実際には無い漢字を創作した「嘘字」も多数登場するという。例えば「にんべん」に「春」で「浮気」、「かねへん」に「母」で「へそくり」といった具合だ。

 「こうした言葉遊びは、武家よりも庶民が書く文章に多く見られる」と棚橋講師は指摘する。ちょっぴり風刺の効いた言葉遊びは江戸時代の文化水準の高さとともに、豊潤な日本語の魅力に気付かせてくれる。

 多様な日本語の書き言葉が市井にあふれた背景には当時、識字率が向上したことが影響しているようだ。棚橋講師は「8代将軍徳川吉宗が享保の改革で学問を奨励し、寺子屋が増えて庶民の読み書き水準が上がった。単に文字を書くだけでは飽きたらず、絵と文字を組み合わせて面白がっていたのではないか」と推測する。

 豊かな書き言葉が次々と編み出される中で生まれたかもしれない〼(□に/)は本の中だけでなく、江戸の町にも姿を現していたようだ。十返舎一九の「夷曲東(いきょくあずま)日記」に載っている浅草の市のにぎわいを描いた絵には店の屋号と思われる「本〼(□に/)や」ののぼりが確認できる。

■「肘」+「木」=「ひじき」

 江戸時代の言葉遊び「判じ物」の中でも特に興味深いのが、現在のなぞなぞのような「判じ絵」だ。一見、意味不明に見える絵から読み方を考える。

 例えば稚児が「い」の文字を持って「いちご」、肘に木がのって「ひじき」といった愉快な遊び。長屋で絵を囲んで笑い合う江戸の家族の光景が思い浮かぶ。

 当時の上方にも同じような遊びはあったのだろうか。著書「江戸の判じ絵」(小学館)がある石神井公園ふるさと文化館(東京都)の岩崎均史館長は「江戸の町で盛んになる前に上方では判じ絵を題材にした出版物があり、流行の中核は京都や大阪にあった」と語る。

 例えば、江戸初期の1658年に出版された中川喜雲の京都名所案内本「京童」の挿絵には「鎌の絵」と「○(輪)」と「ぬ」で「かまわぬ」と読ませる意匠の着物を着た男性が登場している。のちに7代目市川団十郎が舞台で着て以後、今なお使われているこの意匠も、江戸初期の都で流行していたようだ。

 上方で判じ絵が盛んになったのはなぜか。岩崎館長は平安時代の貴族による言葉遊びが土台にあるのではないかとみる。和歌を絵で表現した「歌絵」や、絵に文字を潜ませる「葦手(あしで)絵」といったものだ。京都をはじめとする関西の分厚い歴史をあらためて思う。

 判じ絵の文化は大正から昭和初期の子ども雑誌に影響を与え、現代も広告や漫画の世界に形を変えて姿を現している。現在、携帯電話のメールなどで単なる文字だけでなく、さまざまな絵文字や画像のスタンプが使われていることも、判じ絵の文化と何か通じるものがあるのだろうか。

 〼(□に/)の出現も、こうした水脈の延長線上にあるのかもしれない。





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