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理加―日蘭の抗争を生き抜いた台湾原住民のリーダー:台湾

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高雄と墾丁、アジア新興観光都市上位10入り


ホテル予約サイトの「アゴダ」が発表した、2014年度のアジア新興観光都市ベスト10に、高雄と墾丁が入選した。高雄は台湾第2の都市で年中温暖な気候に恵まれた場所として、最南端の墾丁は台湾を代表するマリンスポーツのメッカとして内外から大きく注目されている。昨年は花蓮と南投も選ばれており、外国人旅行者の間での台湾の魅力の広まりがうかがえる。一方、日本からは昨年の箱根に続いて今年は沖縄と大阪が入選した。

漢方医、大ブームのソフトクリームに警鐘

台湾のコンビニなどでソフトクリームの売り上げが飛躍的に伸びている中、台北医学大学病院の漢方専門医、陳玉娟さんが「身体機能に影響を及ぼすため、お勧めしない」と注意を呼びかけている。

陳さんの話によると、ソフトクリームやかき氷などの温度は体温と30度以上の差があるとした上で、それを食べると血管が収縮し、循環器系の機能低下につながるだけでなく、呼吸器・消化器・生殖器系にも影響をきたし、便秘や冷え性の原因になるという。

台湾ではコンビニ業界第2位の全家便利商店(ファミリーマート)が昨年3月、最大手の統一超商(セブン・イレブン)は同年10月からソフトクリームの販売を始め、大きな収益を上げている。今月14日からはファミリーマートがバレンタインデーに合わせたいちごミルクソフトの期間限定販売を行い話題を呼んでいる。

このブームを背景に、前出の2社ではソフトクリームの販売を今年末までに2000店舗にまで拡大させる計画で、両社合わせて20億台湾元(約67億5500万円)規模の経済効果を見込んでいる。


静岡県と台湾6県市、災害時の相互応援協定結ぶ

台湾の6県市が17日、静岡県と防災に関する相互応援協定を締結した。消防署では、情報交換や交流の推進を通じて、自主防災組織を養成し住民の防災意識を高めたいとしている。静岡県と協定を結んだのは、台北市、新北市、台南市、桃園県、基隆市、今後は連絡窓口の設置や平時の業務提携、災害時の相互サポートおよび被災後の復興・再建支援などを含んだ相互応援協定で、双方の交流の強化と拡大が図られる。

沖縄県公社が資策会と提携、IT企業の交流促進

沖縄県産業振興公社と財団法人・資訊工業策進会(資策会=III)は17日、台北市内で連携協定を結んだ。双方のIT関連企業同士の交流を促進し、技術・業務提携の実現を後押しする。沖縄のIT関連企業では、モバイルサイトの開発運営などを手がけるフィールドシステム(那覇市)と台湾上場のIC設計メーカー・威盛電子(VIAテクノロジーズ)が業務提携を決めた。このほか、ソーシャルゲーム・アプリ開発などのブリブサー(同)やITインフラサービスの沖縄クロス・ヘッド(同)が、台湾企業との共同開発や技術交流などを始めることになっている。

李元総統の博物館建設へ=新北市淡水で

李登輝元総統をテーマとする文化教育施設「総統博物館文教設施」が新北市淡水区に建設されることになった。退任した中華民国総統の博物館としては初めてとなる。約3ヘクタールの敷地のうち、1ヘクタールは地下1階地上2階の図書館が建設される予定。李元総統がテーマの書籍エリアや図書室、李氏の治国思想・文物展示エリアなどが含まれる。建設費は5億台湾元以上とされ、順調なら年内にも着工する見込み。

労働部が発足、総統は企業に賃上げ要求

行政院労工委員会が格上げされ、労働部が17日に発足した。馬英九総統は、台湾の昨年の経済成長率が2・19%と予測を上回り、景気が回復基調にあることを指摘。さらに多くの企業の賃上げを求めた。初代労働部長に就任した潘世偉氏も、企業との対話を増やし賃上げを促していくとした。

元阪神・林威助、中信兄弟に入団決定

昨年オフに阪神タイガースから自由契約となり、台湾のドラフトで中信兄弟エレファンツに指名された林威助が17日、入団の記者会見を行った。林は2年契約・計約900万台湾元で契約した。さらに、活躍に応じてインセンティブが生じる。台湾で対決したい投手を問われると、ラミゴ・モンキーズに入団した許銘傑(ミンチェ=元オリックス)を挙げた。

2大コンビニ、ソフトクリーム販売で争う

セブンイレブンとファミリーマートにおけるソフトクリームメーカー設置店舗が倍増している。年内には両社の設置店舗数は2000店を超える見通しで、今年の販売額は20億台湾元に達するとも見られている。ファミマでは昨年3月から販売を開始。現在は2月いっぱいの期間限定いちご味で人気が沸騰中。累計売上高は1000万元を超える。セブンでも昨年10月から販売を開始し、試験販売期間には1日1万個を売り上げたという。

日本人観光客専門のタクシーが大人気

タクシー運転手の王?民さんは日本語に精通しているうえに、人と知り合うことが好きなことから、仕事に役立てようと台湾の歴史を猛勉強した。はじめは全く知らなかったという古跡などの由来を解説できるまでになった。その後、得意の日本語を活かして日本人観光客を相手にガイドを交えたサービスを始めた。すると人気を博し、今では多くの日本人から指名を受けて台湾の津々浦々を駆け巡っている。

馬・総統、地域経済統合参加に向けて檄飛ばす

馬英九・総統が地域経済統合への参加に全力をあげるよう檄を飛ばした。外交部はこのほど、TPP環太平洋パートナーシップ協定、ならびにRCEP東アジア地域包括的経済連携にかかわる国に駐在する中華民国大使と駐在代表を帰国させ、17日に研修キャンプを開催した。

馬英九・総統はこれに出席して挨拶し、自分は今年1月1日に発表した談話で、政府は国内で自由経済モデルエリアを推進し、対外的には、TPPとRCEPへの参加を目指すと宣言したと説明。その上で、今回大使や駐在代表、ならびに経済部参事を帰国させたのはこの政策を全面的に理解させ、具体的な計画を立てさせるためだと強調、これは総力戦であり、皆が総合的な計画をまとめて、中華民国台湾の決意と準備ぶりを各国に知らしめようと檄を飛ばした。

馬・総統はまた、これらへの参加には自ら貿易自由化への準備を整えておく必要があるとし、「ギブ」と「テイク」の間でいかにバランスをとるかが重要だと指摘した。馬・総統は、「TPPもRCEPも無料の食事券ではない。交渉過程においては譲るものと得るものの間でバランスをとることが必要になる。貿易協定はすべて、基本的に双方共に利益あるものでなければならず、他国が我々を貿易面で優遇したり、市場を開放したりするなら、我々も同じようにせねば合意できない」と話した。

馬・総統は、過去6年の努力によりいくつかの貿易協定が結べ、台湾はなんとか孤立しないですんでいる状態だとし、台湾経済は貿易自由化に耐えられるので皆自信を持って準備を整えようと呼びかけた。

陸委会:両岸トップの対面「交渉」物別れにあらず

行政院大陸委員会(陸委会)が、台湾海峡両岸のトップ同士の対面に向けての「交渉」は物別れではないとしている。中華民国政府で対中国大陸政策を担当する、行政院大陸委員会の王郁?・主任委員はさきごろ中国大陸を訪れ、上海では中国大陸で対台湾政策を担当する中共国務院台湾事務弁公室の張志軍・主任と、両岸のトップ同士の対面について意見交換した。

王・主任委員によると、この際、双方はそれぞれの立場を伝え、王・主任委員が期待を寄せた、今年11月に中国大陸の北京で開かれるAPECアジア太平洋経済協力非公式首脳会談での対面に中国大陸側は反対した。

王・主任委員は17日、これについて、中国大陸側は馬英九・総統と中国大陸の指導者、習近平氏の対面に反対したのではなく、今年のAPECの席では難しいと考えているに過ぎないと説明した。王・主任委員は、「張・主任は最後まで反対すると言ってはいない。我々との違いは、APECという場についての考え方だ。ただ、我々にも代案がない」と話し、今後、さらに検討していく考えを示した。

なお、与党・国民党の連戦・名誉主席は17日に中国大陸の北京を訪問、18日には習近平氏と会談する。王・主任委員は、台湾の対中国大陸窓口機関・海峡交流基金会が中国大陸に事務機構を設けた場合、この事務機構に、中国大陸側で拘束される台湾の人に人道的な面会ができる権利を付与するよう求める立場を習近平氏に伝えるよう要請済みだと話している。

労働部が発足、馬・総統「尊厳ある労働を」

行政院労働者委員会が日本の省レベルに昇格、労働部と改められ、17日に発足のセレモニーが行われた。行政院労働者委員会の主任委員だった潘世偉氏が労働部の初代部長に就任。

セレモニーに出席した馬英九・総統はあいさつの中で、世界景気の回復により、昨年の経済成長率速報値は予想よりよく、国家発展委員会の景気警告信号も景気の安定を示す緑色信号に改善され、失業率も下がっている他、雇用の拡大と賃金上昇も始まっていると強調した。

馬・総統は、「多くの企業が人材を募集している。募集人数は少なくない。また、一部では賃金を引き上げる企業も現れた。ここで改めて、賃金を据え置いている企業に、昨年の利益を職員と分かち合うよう呼びかけたい」と述べた。馬・総統はそして労働部に対し、尊厳ある労働を実現するよう引き続き努力することを求めた。

潘世偉・労働部長は、法定労働時間の短縮、週休二日制の徹底に取り組んでいくと話した。潘・労働部長によれば、現在、週休二日制を採っている企業は台湾全体の5割から6割だという。

「カエル王子」、歌手の高凌風が63歳で死去

「青蛙王子(カエル王子)」の愛称で親しまれたベテラン男性歌手、高凌風さんが17日夜、入院先の新北市新店の病院で白血病のため息を引き取った。63歳だった。高さんは1974年に歌手デビュー。歌手、番組司会者、俳優として活躍する一方、三度結婚していずれも離婚するなど女性関係や過激な発言、風俗店への投資、暴力団との関係などで話題を振りまいた。代表作は、『冬天裡的一把火』、『燃焼吧!火鳥』など多数。2012年末に急性骨髄性白血病と診断され、その後は化学治療や漢方など様々な治療を試みたが17日に病状が悪化、帰らぬ人となった。3月8日にはデビュー40周年のコンサートを予定していたが、追悼コンサートに変更される可能性が。

ASUSの13年売上高2%増、経営分離後で最高[IT]

パソコン(PC)大手、華碩電脳(ASUS)の昨年通年の連結売上高(非ブランド事業除く)は前年比2%増の4,213億8,000万台湾元(約1兆4,159億円)で、2010年の和碩聯合科技(ペガトロン)との経営分離以来、過去最高を更新した。ノートPCの新機種の好調などが全体をけん引した。今年は第2四半期にスマートフォン「ZenFone」シリーズをはじめ、ノートPCやタブレット端末の新機種を相次ぎ市場に投入する予定で、製品ラインアップの充実で業績のさらなる押し上げを狙う。

先ごろ開いた13年第4四半期の業績説明会で明らかにした。華碩が発表した昨年の純利益は前年比4%減の214億5,000万元。昨年第4四半期の純利益は56億9,100万元で前期比15%増。売上高は1,194億8,000万元で12%増えた。

ノートPC市場が縮小する中で、キーボードを着脱してノートPCとしてもタブレット端末としても使える「トランスフォーマー・ブックT100」の販売が伸びて全体を支えた。沈振来執行長は「T100以外のノートPCの販売台数も前年比で増えた。今年のノートPC出荷量は昨年の1,880万台をさらに上回る」と述べ、さらなる成長に自信をみせた。

今年第2四半期には新機種の「New EeePC T200」を発売予定。T100と合わせた通年の販売台数は200万〜400万台に上るとみている。沈執行長は「メーカー別で世界トップ3入りを維持する」と述べ、同業大手の宏碁(エイサー)をさらに引き離す方針も示した。

同社は第2四半期に、T200のほかスマホや変形端末の新製品を立て続けに市場に投入する方針。ZenFoneシリーズを4月から欧州、アジア、南米で相次ぎ発売するほか、6月には米通信大手のAT&Tと提携して、タブレットとスマホを組み合わせて使う変形端末の最新機種「PadFone X」を発売する予定だ。このほか、米グーグルから企業向け動画会議システム「クロームボックス」を追加受注し、第2四半期から出荷を開始する予定とも報じられている。

華碩は今年のスマホ出荷量目標を500万台に設定している。ZenFoneの販売に力を入れ、スマホメーカーとしての知名度を高める方針で、PCメーカーから「モバイル機器メーカー」への転換を目指す。同社の張偉明財務長は「昨年のスマホ事業が10億元を超える赤字だったが、今年は出荷量が500万台を超えれば黒字化する。タブレットと部品を共用し、価格を最低99米ドル(約1万円)に抑えられる優位性を生かす」として、発売にかける意気込みを示した。

スマホメーカー大手の間では知財をめぐる争いが激化しているが、沈執行長は「これまで10年にわたりスマホの研究を進め、既に相当な数の第3世代移動通信システム(3G)と第4世代移動通信システム(4G)関連の知財権を擁している。世界トップ10社に入る規模で、万が一に備えて裁判に備えた費用も確保している」と述べ、対策が十分であることを強調した。

今年第1四半期は例年の不需要期に当たるため、ノートPCの出荷量は480万台で前期比12.7%減ると予測。タブレットの出荷量は33.3%減の240万台、マザーボードは3.8%減少の500万枚を見込んでいる。

小保方さんの「STAP細胞」論文に“ねつ造”疑惑、理研が調査に乗り出す

台湾紙・自由時報は18日、弱酸性の刺激を与えるだけという簡単な方法で万能細胞「STAP細胞」の作製に世界で初めて成功した日本の理化学研究所の小保方晴子・研究ユニットリーダーらのチームが発表した論文の画像データに不自然な点があると指摘されていると報じた。

論文は英科学誌ネイチャーで発表され、瞬く間に世界中の注目を集めた。だが、最近になり、外部から「画像データに不自然な点がある」との指摘が寄せられ、理研が17日、調査を始めていることを明らかにした。「研究成果そのものは揺るがない」としている。

論文で使われた一部の画像が過去に発表された画像と酷似しているほか、マウスの胎盤の写真も重複して使われていると指摘された。このほか、画像に不自然な線がみられることから、加工の疑いもあるとの指摘も上がっている、と記事は伝えている。

寒波襲来 日中はぽかぽか陽気も今夜から天気下り坂

台湾では前線の南下と寒波の襲来にともなって今夜から全国的に気温が下がると見られており、中央気象局は19日夜から21日早朝まで台南以北や宜蘭、金門、馬祖などで気温が10度以下になる恐れがあるとして、低温特報を発令し注意を呼びかけている。

台北市では18日午前に晴れ間がのぞき気温が上昇、午前11時30分に最高気温23.7度を観測したが、正午過ぎから分厚い雲に被われ、肌寒くなっている。予報では19日には全国的に雨模様となり、中部以北と東北部では夜にかけて気温が10度に下がると見られているほか、20〜21日は寒波の影響が最も強まり、中部以北で最低気温が8度に達するところもあるだろうとしている。

また、台北市の19日の日中予想最高気温は18日よりも10度前後低い12〜13度となるほか、21〜22日には中部で放射冷却の影響により朝の予想最低気温が8度まで下がると予想している。

気象に詳しい専門家は台北市における気温の変化を昨年12月は寒く、今年1月は暖かかったと指摘。また、今年2月には3日に最高気温26.8度を観測した一方で、8日と9日には日中でも14.3度と、寒暖の差が大きくなっており、最近10年来、台湾では極端な天気の変化が生じている見解を述べている。

韓国でやけど負った台湾の人気司会者、「、『愛国裁判』に立ち向かう」

台湾の人気司会者・郭子乾(グオ・ズーチエン)が2年前に韓国のホテルでやけどを負った問題で、韓国ソウルの高等裁判所に自ら出廷することを明かした。17日付で東南網が台湾メディアの報道として伝えた。

郭は17日に会見を開き、「正義を勝ち取るため」、2日後にソウル高等裁判所に出廷することを明らかにした。昨年9月に韓国で行われた一審では敗訴。ホテル側からは謝罪も賠償も受けていない。郭の弁護士によると、韓国側から出廷要請があったのは郭本人のみで、当時一緒にいた家族は呼ばれていない。「判決書では責任はすべて郭に押し付けられていた。『愛国裁判』に全力で立ち向かわなければならない」と語っている。

郭は一昨年の1月、家族と韓国Ramadaホテルに宿泊した際、ポットの底が抜けて体に熱湯を浴びた。この時のホテル側の誠意のない態度を不服として、韓国の裁判所に訴えたが、「やけどは本人の不注意。意図的にポットを壊し、ホテルにぬれぎぬを着せようとした」と一蹴されていた。

台湾映画「KANO」プレミア上映会、嘉農投手の記念像がお披露目へ

台湾南部・嘉義で、日本統治時代の1931(昭和6)年に夏の甲子園野球大会に出場し、準優勝を果たした嘉義農林学校野球部の当時の投手、呉明捷さんの投球フォームをイメージした像が作られ、台湾映画「KANO」のプレミア上映会が行われる今月22日にお披露目される。

「翼を広げた鷹−KANO1931」と名付けられたこの作品は、独特な投球フォームで日本の選手に衝撃を与えた呉さんの姿を再現。嘉義市文化局によると、像は中山路の中央噴水に設置され、午後2時からの記念パレードで除幕式が行われるという。

プレミア上映会は嘉農野球部が当時練習場として使用していた嘉義市立球場で実施し、直前には嘉義市吹奏楽隊によって嘉農の校歌も披露される。映画「KANO」は台湾では27日から一般公開の予定。

競争激しいコンビニ王国台湾、店の形態も多様化

関連業者の調べによると台湾のコンビニは店舗数1万の大台を突破したといい、総人口2340万人の台湾で2000人あたり1軒の出店と密度は世界一。10年ほど前、飽和状態を迎えたと言われたコンビニはその後も成長と競争を続けている。中国時報など台湾の複数メディアが伝えた。

決して広くはない店内に食べ物・飲み物はもちろん、衣類をはじめ生活必需品を取りそろえ、鉄道乗車券の予約、駐車料金支払い、宅配便、店舗間配送サービス、淹れたてコーヒー、Wi-Fiにイートインコーナー、お手洗いの提供まである。店ぞれぞれが周囲の環境に適応しつつ、衣食住・交通から娯楽まで何でもカバーしており、24時間営業、年中無休で人々の生活になくてはならない存在となっている。

台湾各地をめぐる海外からの観光客にとっては貴重な“物資補給ステーション”となるばかりでなく、山間部でのお花見や台湾南端で休憩できる店、みやげ品を売る店など特色あふれるコンビニも多い。

南投県の仁愛・高山青店は“雲の中のコンビニ”と称され、毎年2月の花見シーズンには500坪の山に広がる桜の花が1杯の“あったか〜い”コーヒーとともに楽しめる。また、台東県達仁の台9線・安朔店は屏東県四重渓から県道199号線と南回公路を通って山や丘を越えやっとたどり着いたところにあり、サイクリング愛好者らにとってはオアシスのような存在だ。

台北市内の超高層ビル「台北101」内のコンビニは常時多数のパイナップルケーキを用意しているが、中国大陸からのツアー客が来る度、あっという間になくなる。同じく台北市内の内湖のコンビニでは人民元での支払いもOKで店内には当日のレート表が掲げられている。購入したものをすぐに大陸各地へ宅配するサービスもあり、書類に記入し手続きするだけで配送され、台湾から大陸の自宅に戻った時にはみやげ物も届いている。また、大陸からのツアーに人気の景勝地・日月潭では、金門高粱を販売する魚池・伊達邵店が“コウリャン酒のコンビニ”と呼ばれ人気となり、現地で蚊よけ用に売られていた“緑油精”(グリーンオイル)が一躍人気おみやげ商品となって急激に売り上げを伸ばしたこともある。

台湾では統一(セブンイレブン)だけで5000軒近く、全家(ファミリーマート)は約3000軒、莱爾富(ハイライフ)とOK便利(サークルK)を合わせて2000軒余りのコンビニが出店。1本の通りに各社のコンビニが何軒もひしめき合っていることも珍しくない。それだけに競合する店に後れを取り、お客が流れていかないようにと、コンビニコーヒー戦争、ミニフィギュアやおもしろ文具、人気俳優などを起用してのイメージ戦略など、サービスはエスカレートするばかりだ。

東京の不動産に「台湾オーナー」が急増中

17日、円安により台湾で日本の不動産投資が過熱している。利益率が台湾の不動産よりも高いため、日本の不動産に投資する人が増え、日本の台湾系銀行もその恩恵を受けているという。資料写真。

2014年2月17日、香港紙アップル・デイリーによると、円安により台湾で日本の不動産投資が過熱している。利益率が台湾の不動産よりも高いため、日本の不動産に投資する人が急増、日本の台湾系銀行もその恩恵を受けているという。

台湾系銀行の関係者によると、依然低金利で円安が続く日本に商機を見いだしたのか、多くの台湾人は2〜3億円を借り入れ東京で不動産を購入し、貸し出している。これにより台湾銀行や兆豊国際商業銀行など、日本に支店を構えている台湾系銀行は信用貸しが増加しており、その大多数が日本の不動産に投資する台湾人。さらに、日本の不動産が値上がりの傾向にあることもこういった投資家の増加を後押ししている、と報道は指摘している。

台湾に寄贈のタンチョウ、繁殖期入り ひな誕生に向け日本から“仲人”

年前台湾に寄贈され、すでに性成熟していながらまだ“恋”しようとする気配を見せない日本の特別天然記念物、タンチョウヅルのつがいのために、日本人専門家が2羽の“仲人”として来台した。

2羽は今年11歳のビッグと8歳のキカ(雌)で、動物園同士の学術交流などの一環として2011年9月に釧路市動物園から台北市立動物園に贈られた。タンチョウヅルは一般的に毎年3〜5月に繁殖期を迎えるとされている。

2羽は気候や餌などが北海道と異なる台湾生活にもよく適応し、すでに繁殖が可能となる性成熟に入っているが、ビッグがいまだ隣に住んでいるキカに求愛行動を示していないのが現状。

動物園側によると、互いに対する第1印象がよくないと、タンチョウはなかなか“恋に落ちてくれない”とし、相手に好感を持てるよう、日本からの専門家の意見を聞きながらタンチョウ舎の位置を調整し2羽の距離を縮めるなど、ひなの誕生に向けて万全の態勢で臨むとしている。

理加―日蘭の抗争を生き抜いた台湾原住民のリーダー

台湾の民族分布を一瞥すると、山地にオーストロネシア系の原住民、平地に漢族系と棲み分けられているように見える。しかし、漢族系の人々が大々的に台湾へ移住してきたのは17世紀以降。それまでは平地にもオーストロネシア系の人々が暮らしていた。写真は台湾山岳地帯。

台湾の民族分布を一瞥すると、山地にオーストロネシア系の原住民、平地に漢族系と棲み分けられているように見える。しかし、漢族系の人々が大々的に台湾へ移住してきたのは17世紀以降のこと。それまでは平地にもオーストロネシア系の人々が暮らしていた。

台湾の原住民族は言語的に多様なグループから成るが、平地に住んでいた人々は一括して「平埔族」と呼ばれる。こうした原住民のうち、最も早くから漢人やオランダ人と接触していたのは現在の台南近辺にいたシラヤ族であり、その中でも新港社(「社」は集落を指す)の人々だったと考えられている。台南のあたりは現地語でタイオワンと呼ばれており、これが「台湾」の語源となった。

原住民族は基本的に文字による記録を残していない。そのため、具体的なことについては不明な点が多い。そうした中、歴史上の記録に固有名詞をもって最初に現れた台湾原住民が、新港社のリーダー・理加である。日本側の記録(金地院崇伝『異国日記』)では理加、オランダ側の記録ではDijka、Dijcka、Dicka、Dychaなどと表記されている。

■オランダの拠点としての台湾、日中貿易の中継地に

長崎や平戸といった交易地で最も人気のあった取引品目は中国の絹織物や生糸であった。ところが、当時の明朝は海禁政策を実施していたため、直接の取引は難しい。そこで、日本や中国の貿易商人たちはタイオワンで落ち合って密貿易を行い、莫大な利益をあげていた。

そこに参入を図ったのがオランダ人である。平戸(後に長崎の出島)に拠点を置いたオランダ人は日本へ西洋の文物を将来したイメージが強い。そのため、交易品目にも西洋のものが多そうに思われがちだが、実際のところ、オランダ東インド会社にとって最大の利益源は、中国の絹織物や生糸を日本へ持って来る中間貿易にあった。

ところで、オランダ人の東アジアにおける根拠地はバタヴィア(ジャカルタ)であり、日本からは遠い。交易を安定的に行うには中継基地が必要である。そこで、オランダ人は競争相手であったポルトガル人の根拠地・マカオを攻撃したが失敗してしまい、澎湖島へ退いた。さらに明朝が澎湖島からの撤退を求めてきたため、1624年にタイオワンへ上陸、この地にゼーランディア城やプロヴィンシア城を築くことになる。

■日蘭商人の確執に“巻き込まれた”台湾原住民

オランダ人がタイオワンに新たな拠点を築き、対中貿易の独占を図ったことは、日本の貿易商人にとって大きな脅威となった。そこで、長崎代官・末次平蔵が派遣した朱印船の船長・濱田弥兵衛は、1627年に理加をはじめとした新港社の住民16名を日本へと連れ出した。理加たちを江戸の将軍の面前に連れて行ってオランダ人の横暴を訴えさせ、あわせて台湾を将軍に献上すると言わせるのが目的だった。台湾原住民が日本の土を踏んだことを記録上確認できるほぼ最初のケースである。

オランダ側としても江戸幕府との関係が悪化すると、平戸貿易の利権が危うくなってしまう。オランダ東インド会社の台湾総督ピーテル・ヌイツは慌てて日本へ行き、将軍への拝謁を求めた。しかしながら、末次平蔵の根回しで理加たち台湾原住民の一行は大御所・徳川秀忠や三代将軍・徳川家光と面会した一方で、ヌイツの謁見はかなわず、彼は失意のうちに台湾へ戻らざるを得なかった。

理加たち一行は慣れぬ船旅や異国での旅路に疲れ果て、さらに天然痘にかかって途中で5名が病没してしまった。将軍への拝謁は実現したものの、言葉が通じるわけでもなく、結局、見世物として珍しがられるに終わってしまった。末次平蔵の画策も幕閣からは疑いの目で見られており、これといった成果も出せなかった。理加たちは将軍から銀の棒などを下賜されただけで台湾へ戻ることになる。

年がかわって1628年、濱田弥兵衛の船に乗った理加たちは台湾へ帰り着いた。ところで、腹の虫がおさまらないのは台湾総督ヌイツである。総督の命令でタイオワンに入港した日本船の乗組員が抑留され、日本から帰ったばかりの理加たち台湾原住民11名は国事犯として逮捕、江戸の将軍からの拝領品は没収された。

弥兵衛はいったん釈放されたものの、日本への出航は認められない。切羽詰まった弥兵衛はゼーランディア城へ向かい、ヌイツ総督との直談判に臨んだ。それでも、ヌイツの態度には取り付く島もない。業を煮やした弥兵衛はヌイツに飛びかかって取り押さえ、匕首を突きつけた。総督を人質に取るという荒業に出た彼は、自らの優位をいかしてオランダ側と交渉を行い、譲歩を迫った。日台関係史で有名な濱田弥兵衛事件である。その結果、監禁されていた理加たち新港社の人々も釈放された。

弥兵衛たち日本人が帰国すると、オランダ側は報復のため新港社に対する討伐を行った。理加たちを引き渡さないと村を焼き払うと脅したが、新港社の住民は協力せず、身を隠した理加たちはそのまま消息をくらませた。こうした一連の行動のため原住民社会の中でオランダ人に対する反感が高まっていることを、当時、新港社で布教活動をしていた宣教師のカンディディウスは書簡に記している。

■「あわれで純朴な原住民」ではなかったのではないか

理加が再び姿を現すのは1639年9月のこと。オランダがタカリヤン社と交渉する際の仲介者として彼の名前が出てくる。どのような経緯で理加がオランダ人と和解したのかは分からない。

さらに、オランダは台湾において拡大させた支配領域を効率的に統治するため、原住民各部族の代表者を集めて地方会議を開催するようになった。1641年4月11日に開かれた第一回地方会議以降しばらくの間、参加者リストの筆頭には新港社の理加があげられている。オランダが台湾統治を進める上で原住民社会からの協力が欠かせず、理加はその取りまとめを行うポジションにあって重きをなしたことがうかがえる。

理加が歴史の表舞台に登場したのは、日本とオランダの貿易利権をめぐる抗争に巻き込まれたからである。ただし、「文明先進国」の醜い争いに巻き込まれた「あわれで純朴な原住民」というステレオタイプな構図で捉えるわけにはいかない。オランダ人の進出を抑えるために日本人を利用し、それができなくなると今度は原住民社会の意思を取りまとめてオランダ人に対して交渉を行うポジションを確保しようとしたところに彼の意図があったと考えることもできるのではないか。もちろん、彼の言動が記録されていないため、あくまでも推測の域を出ない。少なくとも、相当に高度で主体的な政治行動を実践できるしたたかで聡明な人物であったろうことは間違いない。












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