「(味のない)さ湯」「非典型的な政治人物」-。
蔡英文氏を評する言葉に共通するのは、巧みな演説で有権者を感化する伝統的な台湾の政治家像とはかけ離れた姿だ。自伝では「内向的、控えめで、人の注意を引きたくない学者だった」と振り返っている。
台北で客家系本省人の裕福な家庭に生まれた。台湾大法学部を卒業後、米コーネル大で修士号、英ロンドン大経済政治学院(LSE)で博士号を取得。国際貿易と緊急輸入制限(セーフガード)を研究したことが縁で1986年、世界貿易機関(WTO)の加盟交渉に加わった。公の場で感情を表に出さない癖は、この時に身に付いたといわれている。
中台同時加盟となったWTO交渉の経歴を買われ、中国国民党の李登輝政権で総統の諮問機関「国家安全会議」の事務方に加わり、中台を「特殊な国と国の関係」とする「二国論」の起草に関与。民主進歩党の陳水扁政権で対中政策を主管する閣僚に抜擢(ばってき)され、半年間で中台の一部直接往来「小三通」を実現した。
民進党への入党は2004年で、民主化を求める反体制運動に身を投じてきた結党世代とは政治的背景も党歴も異なる。比例区の立法委員(国会議員に相当)、行政院副院長(副首相)を経て08年の野党転落後の党主席に就任し、党の再建に尽力。10年の新北市長選で国民党の朱立倫氏、12年の総統選で馬英九総統に敗れ、3度目の“選挙”で雪辱を果たした。
総統選では「できないことは言わない。言ったことはする」(メディア戦略責任者)と決め、演説で徹底して原稿を読む慎重な姿勢は指摘を受けても変えなかった。未婚。手料理でスタッフを慰労することも。飼い猫2匹と暮らしている。