狙うは「3匹目のドジョウ」
――映画化の経緯は?
いろいろなテレビ局が自局の番組を映画化していますよね。当社も「モテキ」とか「LOVE まさお君が行く!」などの劇映画を作っています。日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した「舟を編む」という映画もあります。
映画化には収益性をつねに求められるのですが、こういう予算総額が億単位の映画への出資はリスクを伴います。賞を取れるような映画を作りながら、一方で小規模の上映で予算をかけずに手堅く黒字を出せるラインというのも増やしていきたい。
そこでまず始めたのが、「ゴッドタン」という深夜番組の1コーナー「キス我慢選手権」を「ゴッドタン キス我慢選手権 THE MOVIE」として2013年に映画化しました。20数館で上映して、興行収入は7000万円くらい。2次利用も含めると事業は大成功でした。これで手堅く回していくというラインが1つできた。翌年には続編を作って、これも同じくらいの興行収入でした。
映画をやると世の中がザワつく。認知度が上がったり、過去作のDVDが売れたり…。番組にもいい影響が返ってくる。他局のような大掛かりな映画化ではないけれど、小さいが堅実にビジネスをやっていく。これはテレビ東京という会社の特性にも合っている気がします。その第3弾として「ローカル路線バスの旅」を選んだということです。
――「ゴットタン」も「ローカル路線バス」のようなドキュメンタリーなのですか。
ドキュメントとバラエティを足したようなものです。主演は劇団ひとりさんですが、筋書きは一切ない。周りにいる役者さんたちにはちゃんと台本があってリハーサルもします。そこへ劇団ひとりさんをポンと放り込む。あとはアドリブです。
そうすることで、台本とはまったく違った化学反応が生まれる。彼のアドリブの適応能力が非常に高く、テレビでは人気コーナーになりました。
――テレビをそのまま映画にして、うまくいくのですか。
映画に映画然としたものを求める人のほうが絶対数では断然多い。でも、テレビで見ているものをライブビューイングのようにみんなで見たいという人もいると思います。
学生がグループで何人も連れだって来る。映画というよりもアトラクションのような感覚。これが「ゴットタン」で得た手応えです。“本番線”といわれる大作映画の間を縫って、そういう映画を上映すれば、見てくれる人がいる。映画館の新しい使い方かもしれません。
国内と同じルールを徹底した
――「ローカル路線バス」をみんなでワイワイ言いながら見たら楽しそうですね。映画版にはテレビとの違いがありますか。
制作スタッフと話をした中では、「映画だから観光地も巡ろう。行程の途中に観光地があったら、タクシーを使ってもOKにしよう」という議論もあったのですが、それをやってしまうと何か違う。基本的には同じルールでやることにしました。
一方で、より臨場感を出すため、オール4K撮影にしました。音声も5.1chのサラウンド。映画館の大きなスクリーンといい音響の中で、蛭子さんや太川さんと一緒に旅をしているような気持ちになっていただけたら、アトラクション感は出るのかなと。台湾の名所旧跡は彼らが行けなくても、インサートでフォローしてきちんと見せます。
――いつごろ映画化を決めたのですか。
内々に話していたのは今年の春くらい。最初、映画化というのは番組スタッフの中でもネガティブなところがあった。でも「こういうのは勢いですから(笑)」ということで実現しました。6月くらいから「バス旅」チームが本腰を入れて動き始めてくれました。
太川さんも最初は不安があったようです。でも「大きく構えなくていいです。番組の宣伝の1つというつもりでやってください」とお願いしました。
――なぜ台湾なのですか。
場所についてはハワイとかいろいろなアイデアが出ましたが、路線バスが発達しているということで、太川さんが「台湾は興味あるな」とおっしゃっていたらしいです。
国内が舞台だと「テレビで見れば十分」ということになりかねませんし、言葉が通じないとか、テレビとは違う枷(かせ)がないと映画化の意味がない。おカネを払って見に来ていただくのですから、その分の盛り上げにはなったと思います。
――通訳は同行したのですか。
同行しています。でも、極力自分たちで全部やるというのが番組の原則なので、自分たちで頑張って、本当にダメなときだけ通訳が出てくるという形にしています。
たた、同行しているといっても、通訳さんは言われたことを訳すだけ。映画にも出てきますが、太川さんがすごい判断ミスをする。その場に通訳さんがいますけど、訳すだけ。
――いつものようにガチなのですね(笑)。
ガチです。僕もびっくりしたのですが、スタッフと太川さんたちとの顔合わせでペラッと渡された台湾全土の地図には、スタートとゴールの場所しか書いていない。それだけです。
旅の日程表もあるんですが、行きと帰りの航空便しか記載されていない。本当に太川さんたちが現地で宿を探すしかない。
蛭子さんの宿探しはどうなった?
――ルートはどうやって決めたのですか。
台北をスタートして、最南端の鵝鑾鼻(がらんび)という灯台がゴールです。3泊4日で物理的に行けるかどうか調べて、スタッフがロケハンもしました。自分たちでやってみて行けたので、なんとか行けるだろうと。でも、台風が直撃したんです。
――撮影はいつ行ったのですか。
9月27~30日です。私は日本にいたのですが、現場からLINEが来たんです。「バス全線運休です」と。さすがに「映画になるのか」と心配しました。
奇跡的に翌日動きました。でも1回動いただけで、また止まっちゃったり。最終的にゴールできたかどうかは、まだお話できません。
――蛭子さんは、いつものように宿探しの担当ですか。
そう、ホテル担当。ちゃんとやってらっしゃいましたよ。でも、全面運休のときにホテルが取れなくて、蛭子さんが超ヘコむということがありました。民宿は取れるのですが、あの方、民宿は嫌いなので、「ホテルじゃなきゃ嫌だ」と。
――今回のマドンナは?
三船美佳さんです。三船さんにした理由は、シャレで映画化しているので「世界のミフネ」にあやかろうと。
台湾をバスで旅したら何が見えた?
――シャレですか(笑)。
はい。三船美佳さんは三船敏郎さんのお嬢様ですから。敏郎さんは世界的に有名なので、海外に行ったらそういう話になるかなと思っていたら、やっぱりそうなった。台湾の人はちゃんと知っていた。
それ以上に「蛭子さんを知っていた事件」というのもあるんです。台湾人に「エビス!」と言われるんです。日本のテレビが台湾でもよく見られているからでしょうね。一緒にいた太川さんは「一緒のお笑いの人?」と聞かれて、「全然違うから!」とちょっと怒っていました。
台湾は日本との歴史的な関係が濃いので、日本語を話せる人が年配の人を中心にすごく多い。日本が統治していたということ、いい意味でも悪い意味でも歴史を感じさせる場所をバスで縦断することが1本の映画になっている、という側面はありました。
かつて甲子園で準優勝した嘉義農林(台湾公立嘉義農林学校)とか、日本の統治時代に作られた橋とか、日本でずっと暮らしていたという台湾のおばあちゃんとか、そういう歴史を感じられるのは面白いと思いました。
――台湾の路線バスは時刻表がちゃんと書いていないことも少なくありません。
「15分おき」としか書いていなかったり、時刻表がある会社、ない会社、まちまちです。あとは、高速バスが多いので、高速バスを使わず路線バスで行くというのは日本よりも大変です。
――日本では「ローカル路線バス」のルールはバス会社の間でも知られるようになってきましたが、台湾ではさすがに…。
そうですね。「バスで行く」と言うと高速バスを案内されたり、「路線バスで行く」と言うと「なぜ高速バスを使わないんだ。わけがわからない」と不思議に思われたり…。確かに台湾のバス会社にしたら、なんだかわからないですよね。
――この映画がヒットしたら、海外の他の地域で第2弾がありますか。
できたらいいですね。ハワイとか、ミャンマーとか。