UMCとIBM、10ナノプロセス技術で提携[IT]
ファウンドリー(半導体の受託製造企業)大手の聯華電子(UMC)は13日、次世代の10ナノメートルCMOS(相補型金属酸化膜半導体)生産技術を米IBMと共同開発すると発表した。2014年末までに米国で第1段階の研究開発を終了し、その後南部科学工業園区(南科)のFab12Aで生産する計画。先行する業界最大手の台湾積体電路製造(TSMC)に技術で追いつく狙いとみられる。
14日付経済日報などが伝えた。UMCは昨年にIBMと立体構造トランジスタ(FinFET)による20ナノ、14ナノ製造プロセスの技術供与契約を結んでいたが、提携範囲をさらに拡大する。IBMが米グローバルファウンドリーズ(GF)や韓国サムスン電子とつくる半導体の研究開発グループに加入し、米ニューヨーク州オールバニに人員を派遣することも決めた。
UMCの顔博文執行長は「IBMは世界の半導体技術をリードする存在。提携で10ナノとFinFETの開発期間を短縮できることを望む」と述べた。UMCは20ナノ以降の次世代プロセス開発に注力する姿勢を明確にしており、来年下半期にも14ナノのFinFETプロセスでの試験生産を始める予定。遅くても2015年末には量産を始めるとみられている。
業界関係者は「米国での研究開発と南科への移行が順調なら、UMCは17年にも10ナノプロセスでの量産に入り、TSMCに追いつくことになる」とみている。
試験飛行のエアバス新型機、中華航空もオーダー
フランスで試験飛行が行われるエアバス社の新たな航空機、A350型機をチャイナエアライン(中華航空)が14機購入している。A350型機は台湾時間の14日、フランスで試験飛行を行う。この飛行機はエアバス社が新たに開発した中長距離の旅客機で、270人乗りから350人乗りまで3タイプあり、現在使われている旅客機に比べて、燃費と二酸化炭素排出量を25%抑えられる。
エアバス社ではすでに航空会社33社から613機を受注しており、そこにはチャイナエアラインが2008年1月にオーダーした、314人乗りのA350-900型機14機も含まれる。引渡しは2015年の予定だったが、試験飛行のスケジュールが遅れたため、2016年から引渡しが始まることになっている。
ボーイング787と比較されることの多いA350型機について、エアバス社では、幅が5インチ広い他、燃費も6%よいと、居住性と性能面での優位性をアピール。価格は1機約2億ドルで、高価すぎると指摘されたこともあるが、チャイナエアラインでは、分析の結果、ボーイング787より安いと判断したと説明している。
日本の詩歌刻んだ石碑寄贈…台湾の大学に、震災時支援の感謝込め
国民みらい出版(本社・東京都千代田区)が台湾の義守大学に、日本の詩歌が刻まれた石碑120点を寄贈した。2011年3月の東日本大震災に際して、台湾の人々がいち早く、巨額の義捐金を贈ってくれたことに感謝するためでもあり、2012年に続いて2度目。台湾では中央通信社などが報じた。
義守大学の所在地は高雄。蕭介夫学長は14日の「第2回高雄国際詩文大会文学石碑展示会」の開幕式で、芸術品である石碑寄贈が「(日本との)長い友情の証人になる」との考えを示した。
同開幕式では、国民みらい出版関係者など日本から訪れた客人を、同大学で日本語を専攻する学生らが和服をまとい、日本舞踊も披露するなどでもてなした。会場では「第4回全国大学専門学校日本語俳句コンテスト」の授賞式も行われた。
石碑は、義守大学キャンパス内の緑地に設置された。設置場所は「日本詩文石碑庭園」と名付けられた。国民みらい出版の小林義隆代表は、同大学の応用日本語学科が石碑設置を受け入れたことに感謝の意を表明し、学生に対する「日本文化と自然環境に接してもらい、日台の友好関係を永続させてほしい」との期待を述べた。
小林代表は、石碑寄贈の理由として「2011年3月11日の大地震を受け、台湾の人々が自ら進んで義捐金を贈り、(日本人を)助け、激励してくれたことに、日本人は感謝している」と説明(中国語記事からの日本語訳)。その気持ちを伝えるために、会社として日本語作品を刻んだ石碑を作って寄贈することにしたという。
刻まれた作品は詩歌、書道、篆刻(てんこく)、俳句などさまざまだが、全作品を代表するひとつとして「愛」の文字の篆刻がある。「民族を越えた大きな愛」を象徴する意味という。
国民みらい出版は2012年にも、日本語の詩文を刻んだ石碑286点を台湾の高雄第一科技大学に寄贈した。同じく、東日本大震災発生時の台湾からの支援への感謝の意を込めたもので、日本国内にあった石碑を集めたという。石碑寄贈のプロジェクトそのものは2010年に始めたが、難航していた。東日本大震災に際しての台湾からのすばやく大規模な支援が日本で知られるようになると、プロジェクトが本格的に動き出したという。
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◆解説◆
2011年3月11日に発生した東日本大震災に対して、台湾では4月1日までに37億3833万台湾ドル(約107億円)の義捐金が集まった(中華民国外交部発表)。うち9割以上が民間から集まったものだったという。台湾からの義捐金は7月には200億円を突破した。その後、国と地域別の魏現金総額では米国の方が台湾よりもやや多かったとの統計も発表されたが、人口や経済規模などを考えれば、台湾の人々の支援が突出していたとの事実に変わりはない。
同震災に対しての台湾からの支援が極めて大きかった背景には、台湾で対日感情が良好だったことに加え、1999年9月21日未明に発生した台湾中部大震災に対しての日本の大きな支援があったという。日本の救助隊は外国からの救助隊としては最も早く、地震発生当日の夕方には台湾入りした。人数も145人と最大規模だった。
日本の国会議員の働きかけで、阪神淡路大震災時に使用した仮設住宅約1000棟を台湾に贈った。ただ、日本から贈られた仮設住宅は台湾側が別に用意した仮設住宅より小さく、見劣りがした。そこで李登輝総統(当時)は「日本人の面子(メンツ)を傷つけてはならない」と考え、家電製品を手配して日本からの仮設住宅に配備した上で、被災者に供給した。
台湾は外交面で苦しい状態が続いている。李元総統によると「決して私たちは孤独ではない。日本をはじめとする国際社会からの関心と協力が、どれほど私たちの支えになったことだろうか」という。
2011年に発生した東日本大震災に際して、台湾はただちに救助隊の派遣を申し出た。しかし日本側から1日遅れて寄せられた回答は「救助隊の要請はもっと先になる」とのものだった。そこで台湾側は日本政府の対応を待たず、救助隊35人を出発させた。日本のNPOの支援を得て台湾救助隊が被災地に到着したのは13日だった。中国からの救助隊と同日だったという。
1999年の台湾中部大震災、2011年の東日本大震災と、日本と台湾は共に自然からの大きな打撃を受けたが、相互に「人の善意の循環」を実現することになった。
李登輝元総統は、東日本大震災に対しての台湾の支援について「(日本に)少しは恩返しできただろうか」と語った。