【台湾で吹き上がる「反中感情」より強烈なもの】
11月29日に投開票が行われた台湾の統一地方選は、馬英九総統率いる国民党が総崩れとも言える歴史的敗北となり、強い衝撃が広がった。「表の敗者」はもちろん国民党なのだが、国民党と長く蜜月を続けてきた中国政府が「裏の敗者」ではないかという問いが、否が応でも浮かんでくる。
今回の選挙結果を、習近平・総書記をはじめ、中国の指導者たちは暗い気持ちで受け止めたに違いない。あるいは、これまで丁寧に積み木を組むように築き上げてきた中台関係の土台が、一度の選挙でガラガラと崩れてしまったような徒労感に襲われたのだろうか。
■ 「投票の動機は、単なる反中じゃない」
彼らが思い浮かべるフレーズは想像がつく。「だから民主主義(あるいは選挙)は恐ろしい」だろう。香港雨傘運動の引き金となった香港特別行政長官選挙に民主的な「普通選挙」を与えなかった自分たちの判断を、改めて「やはり我々は正しかった」と再確認し、胸をなで下ろしたかもしれない。
そんなことをあれやこれやと想像していた29日の深夜、台湾の政府機構で働く高官の女性から、私にこんなメールが送られてきた。
「外国の人たちは、これで台湾は反中になったなんて単純に思わないで欲しい。私たちの投票の主な動機は反中じゃないの。反馬(反馬英九)なのよ。でも、台湾に選挙があって本当に良かったとも思う。台湾の将来を決めるのに、人民が主役になれるということが証明されたわけだから。これこそが老共(中国共産党)がいちばん恐れていることなのよ」
台湾の人々は、反中のために国民党を負けさせたわけではない。人気の著しい低迷が続いていた馬英九政権にとって「対中関係の改善」はほぼ唯一、世論調査でも7~8割の人々が「評価する」と回答する項目である。台湾経済の対中依存度は日本の比ではない。中国は台湾企業の生産現場であり、市場であり、「飯の種」だ。そんな中国とケンカばかりしている民進党を嫌ったからこそ、2008年の総統選で台湾の有権者は馬総統を選んだのだった。
しかし、台湾の人々が無条件に中国を歓迎していると考えたら、それは間違いだ。中国の一党独裁政治体制への恐怖感、言論や人権弾圧への嫌悪感、中国経済に飲み込まれてしまう不安感。これらは台湾社会に根強く広がっている。何より、中国と台湾は60年以上に及んだ分断の末、中国は台湾の人々にとって「他者」になり、一方で「中国は台湾の一部」として将来の「統一」を求める中国とは、あくまで未来へのビジョンを共有していない。
中国の政策決定レベルではその点に気づいている人も少なくなく、台湾へのアプローチは、丁寧に、丁寧に進めてきたはずだった。しかし逆に、馬総統のほうが急ぎすぎてしまった感がある。馬政権の失敗は、中国とは「付かず離れず」でいることを最善とするデリケートな台湾人の対中観に反するように、中国との関係深化を性急に進めようとしたところにあった。
■ 実を結ばなかった中国政府の労力
馬総統は、今年11月の北京APECに出席し、習・総書記との「歴史的会談」の実現を“執拗に”求めた。しかし、馬総統の足元が固まっていないことを見透かされ、中国側に「国際会議の場はふさわしくない」と拒絶されてしまう。また、3月には中国とのサービス貿易協定を立法院で強引に審議させ、「ヒマワリ学生運動」を引き起こしてしまう致命的ミスも犯した。
もちろん、今回の選挙における国民党の敗北の要因は複合的なものだ。最大の原因は馬総統自身の不人気であり、それが国民党全体に累を及ぼしたことは確かで、国民党の幹部たちからは大っぴらに「筆頭戦犯は馬総統」という声が上がっている。最初に高い人気と期待で登場した分、失望の落差が激しくなるのはオバマ米大統領と似ている。
また日本と同様、台湾でも中間層と呼ばれる特定の支持政党意識が弱い若者が増えており、長く続く国民党の天下に嫌気が指した気まぐれな世論が民進党に流れた部分もあっただろう。
ただはっきり言えるのは、これまで、「親中国」勢力を育成するために、国民党に対して、陰に陽に支援の手を差し伸べてきた中国の努力が、今回の選挙ではほぼ役に立たなかった、という現実であろう。
象徴的な例として、今回の選挙において、国民党の劣勢を救うために選挙戦終盤にフル回転し、「国民党が負ければ中国との関係が悪くなる」と叫び続けた2人の大物がいた。1人は、国民党の名誉主席で元副総統の連戦だ。彼は2005年に訪中して胡錦濤氏と歴史的な国民党と共産党の「国共和解」を成し遂げ、その後は台湾政界における中国とのパイプ役として重用され、中国の指導者に会うためには連戦を通さないと会えない、とまで言われていた。
そしてもう1人は、台湾企業「ホンハイ」の郭台銘会長だ。中国国内に巨大工場をいくつも有し、iPhoneやノートPCなどの生産を大量に請け負い、世界最大のOEM企業として15兆円に迫る年間売上高を稼ぎ出している。彼の共産党首脳との太いパイプはよく知られており、中国市場の安価な労働力を存分に活用できる特権的地位が与えられてきた。
しかし、政治、経済の両輪とも言えるこの2人の危機感あふれるアピールにも、台湾の有権者は反応しないどころか、かえって「中国の手先がまた何かを言っている」という冷淡な受け止め方が目立った。
つまり、たとえ中国が台湾の政治・経済エリートを利益絡みでいかに取り込んで「親中派」勢力を巧みに作り上げていったとしても、このような全国規模の民主主義的な選挙に与える影響力は限定されることが証明されたのである。要するに「カネで人の心は買えない」ということであろう。
これこそが、台湾における直接選挙の最大の意義であろう。この民意という「最強の盾」がある以上、中国がいかに経済力や軍事力の規模において台湾を圧倒したとしても、台湾の人々の意思に反して台湾を中国のものとすることはできないのである。
■ 中国の描く「シナリオ」はつまずいた
このことは、習近平指導部にとって極めてやっかいな課題を突きつけている。昨今、習指導部は「中華民族の偉大なる復興」を国家目標に掲げている。「復興」が目指すのは中国の領土が最大化した清朝末期の状態であり、日清戦争で日本に奪われた台湾や、アヘン戦争で英国に奪われた香港が「中国の大きな懐」に円満に復帰することが欠かせないパーツであると見られるからだ。
しかしながら、この半年ほどの間に起きたことは「偉大なる復興」とは正反対の方向の出来事ばかりであった。3月には台湾で中国とのサービス貿易協定に反対した学生・民衆が立法院を占拠する「ヒマワリ学生運動」が起き、8月には香港で中国に抗議する「雨傘運動」が勃発して香港中心部が長期間にわたって占拠された。そして、この台湾での「変天」(世の中が変わる)と呼ばれるほどの国民党の大敗北。
これらの一連の事態を、単純に反中行動と解釈するべきではない。それよりもむしろ、自らの未来を自らが決定する「自決」を求める人々の欲求とつながっており、中国が信奉する共産党独裁のエリート統治システムという価値観そのものに対する拒絶に等しいので、単純な反中感情よりも、実のところ、はるかにやっかいで根の深いものであると思える。
2008年の馬英九政権の誕生以来、雪解けと関係強化が進んできた中台関係は、この選挙によって停滞期に入ることになるだろう。少なくとも、2016年の次期台湾総統選まで、中国は身動きが取れなくなったわけだ。その間、中国は中国と距離を置く民進党政権の誕生に備えて、新しい台湾政策を練り直さねばならない。それはとりもなおさず、国民党への強いサポートによって、中台関係の果実を台湾社会に実感させ、「国民党の一人勝ちの長期化→中台関係の安定化と緊密化による中台一体化→統一へのスムーズな移行」という中国のシナリオのつまずきを意味する。
次期台湾総統選の結果を見ない限り、そのシナリオが完全に破綻したとは即断はできないが、少なくとも、今回の選挙の「裏の敗者」が中国であることは間違いないだろう。
11月29日に投開票が行われた台湾の統一地方選は、馬英九総統率いる国民党が総崩れとも言える歴史的敗北となり、強い衝撃が広がった。「表の敗者」はもちろん国民党なのだが、国民党と長く蜜月を続けてきた中国政府が「裏の敗者」ではないかという問いが、否が応でも浮かんでくる。
今回の選挙結果を、習近平・総書記をはじめ、中国の指導者たちは暗い気持ちで受け止めたに違いない。あるいは、これまで丁寧に積み木を組むように築き上げてきた中台関係の土台が、一度の選挙でガラガラと崩れてしまったような徒労感に襲われたのだろうか。
■ 「投票の動機は、単なる反中じゃない」
彼らが思い浮かべるフレーズは想像がつく。「だから民主主義(あるいは選挙)は恐ろしい」だろう。香港雨傘運動の引き金となった香港特別行政長官選挙に民主的な「普通選挙」を与えなかった自分たちの判断を、改めて「やはり我々は正しかった」と再確認し、胸をなで下ろしたかもしれない。
そんなことをあれやこれやと想像していた29日の深夜、台湾の政府機構で働く高官の女性から、私にこんなメールが送られてきた。
「外国の人たちは、これで台湾は反中になったなんて単純に思わないで欲しい。私たちの投票の主な動機は反中じゃないの。反馬(反馬英九)なのよ。でも、台湾に選挙があって本当に良かったとも思う。台湾の将来を決めるのに、人民が主役になれるということが証明されたわけだから。これこそが老共(中国共産党)がいちばん恐れていることなのよ」
台湾の人々は、反中のために国民党を負けさせたわけではない。人気の著しい低迷が続いていた馬英九政権にとって「対中関係の改善」はほぼ唯一、世論調査でも7~8割の人々が「評価する」と回答する項目である。台湾経済の対中依存度は日本の比ではない。中国は台湾企業の生産現場であり、市場であり、「飯の種」だ。そんな中国とケンカばかりしている民進党を嫌ったからこそ、2008年の総統選で台湾の有権者は馬総統を選んだのだった。
しかし、台湾の人々が無条件に中国を歓迎していると考えたら、それは間違いだ。中国の一党独裁政治体制への恐怖感、言論や人権弾圧への嫌悪感、中国経済に飲み込まれてしまう不安感。これらは台湾社会に根強く広がっている。何より、中国と台湾は60年以上に及んだ分断の末、中国は台湾の人々にとって「他者」になり、一方で「中国は台湾の一部」として将来の「統一」を求める中国とは、あくまで未来へのビジョンを共有していない。
中国の政策決定レベルではその点に気づいている人も少なくなく、台湾へのアプローチは、丁寧に、丁寧に進めてきたはずだった。しかし逆に、馬総統のほうが急ぎすぎてしまった感がある。馬政権の失敗は、中国とは「付かず離れず」でいることを最善とするデリケートな台湾人の対中観に反するように、中国との関係深化を性急に進めようとしたところにあった。
■ 実を結ばなかった中国政府の労力
馬総統は、今年11月の北京APECに出席し、習・総書記との「歴史的会談」の実現を“執拗に”求めた。しかし、馬総統の足元が固まっていないことを見透かされ、中国側に「国際会議の場はふさわしくない」と拒絶されてしまう。また、3月には中国とのサービス貿易協定を立法院で強引に審議させ、「ヒマワリ学生運動」を引き起こしてしまう致命的ミスも犯した。
もちろん、今回の選挙における国民党の敗北の要因は複合的なものだ。最大の原因は馬総統自身の不人気であり、それが国民党全体に累を及ぼしたことは確かで、国民党の幹部たちからは大っぴらに「筆頭戦犯は馬総統」という声が上がっている。最初に高い人気と期待で登場した分、失望の落差が激しくなるのはオバマ米大統領と似ている。
また日本と同様、台湾でも中間層と呼ばれる特定の支持政党意識が弱い若者が増えており、長く続く国民党の天下に嫌気が指した気まぐれな世論が民進党に流れた部分もあっただろう。
ただはっきり言えるのは、これまで、「親中国」勢力を育成するために、国民党に対して、陰に陽に支援の手を差し伸べてきた中国の努力が、今回の選挙ではほぼ役に立たなかった、という現実であろう。
象徴的な例として、今回の選挙において、国民党の劣勢を救うために選挙戦終盤にフル回転し、「国民党が負ければ中国との関係が悪くなる」と叫び続けた2人の大物がいた。1人は、国民党の名誉主席で元副総統の連戦だ。彼は2005年に訪中して胡錦濤氏と歴史的な国民党と共産党の「国共和解」を成し遂げ、その後は台湾政界における中国とのパイプ役として重用され、中国の指導者に会うためには連戦を通さないと会えない、とまで言われていた。
そしてもう1人は、台湾企業「ホンハイ」の郭台銘会長だ。中国国内に巨大工場をいくつも有し、iPhoneやノートPCなどの生産を大量に請け負い、世界最大のOEM企業として15兆円に迫る年間売上高を稼ぎ出している。彼の共産党首脳との太いパイプはよく知られており、中国市場の安価な労働力を存分に活用できる特権的地位が与えられてきた。
しかし、政治、経済の両輪とも言えるこの2人の危機感あふれるアピールにも、台湾の有権者は反応しないどころか、かえって「中国の手先がまた何かを言っている」という冷淡な受け止め方が目立った。
つまり、たとえ中国が台湾の政治・経済エリートを利益絡みでいかに取り込んで「親中派」勢力を巧みに作り上げていったとしても、このような全国規模の民主主義的な選挙に与える影響力は限定されることが証明されたのである。要するに「カネで人の心は買えない」ということであろう。
これこそが、台湾における直接選挙の最大の意義であろう。この民意という「最強の盾」がある以上、中国がいかに経済力や軍事力の規模において台湾を圧倒したとしても、台湾の人々の意思に反して台湾を中国のものとすることはできないのである。
■ 中国の描く「シナリオ」はつまずいた
このことは、習近平指導部にとって極めてやっかいな課題を突きつけている。昨今、習指導部は「中華民族の偉大なる復興」を国家目標に掲げている。「復興」が目指すのは中国の領土が最大化した清朝末期の状態であり、日清戦争で日本に奪われた台湾や、アヘン戦争で英国に奪われた香港が「中国の大きな懐」に円満に復帰することが欠かせないパーツであると見られるからだ。
しかしながら、この半年ほどの間に起きたことは「偉大なる復興」とは正反対の方向の出来事ばかりであった。3月には台湾で中国とのサービス貿易協定に反対した学生・民衆が立法院を占拠する「ヒマワリ学生運動」が起き、8月には香港で中国に抗議する「雨傘運動」が勃発して香港中心部が長期間にわたって占拠された。そして、この台湾での「変天」(世の中が変わる)と呼ばれるほどの国民党の大敗北。
これらの一連の事態を、単純に反中行動と解釈するべきではない。それよりもむしろ、自らの未来を自らが決定する「自決」を求める人々の欲求とつながっており、中国が信奉する共産党独裁のエリート統治システムという価値観そのものに対する拒絶に等しいので、単純な反中感情よりも、実のところ、はるかにやっかいで根の深いものであると思える。
2008年の馬英九政権の誕生以来、雪解けと関係強化が進んできた中台関係は、この選挙によって停滞期に入ることになるだろう。少なくとも、2016年の次期台湾総統選まで、中国は身動きが取れなくなったわけだ。その間、中国は中国と距離を置く民進党政権の誕生に備えて、新しい台湾政策を練り直さねばならない。それはとりもなおさず、国民党への強いサポートによって、中台関係の果実を台湾社会に実感させ、「国民党の一人勝ちの長期化→中台関係の安定化と緊密化による中台一体化→統一へのスムーズな移行」という中国のシナリオのつまずきを意味する。
次期台湾総統選の結果を見ない限り、そのシナリオが完全に破綻したとは即断はできないが、少なくとも、今回の選挙の「裏の敗者」が中国であることは間違いないだろう。