(朝鮮日報日本語版) 【コラム】悲劇に冷静な日本人、ぞっとするほど怖ろしい
20年前に阪神淡路大震災の取材を行っていた当時、頭を殴られたような衝撃を感じる出来事があった。被災地の中心部で70歳代とみられる高齢者夫婦の自宅が崩壊し、妻ががれきの下に埋まった。夫が見守る中、緊張感漂う状況で救助作業が行われた。直後に救助隊は妻を発見したが、妻はすでに遺体となっていた。現地のテレビ局は救助の様子をリアルタイムで中継していた。
記者が本当にぞっとしたのは次の瞬間だった。救助作業中、ずっとその場に立ちすくんでいた白髪の夫は妻の死を確認すると、救助隊員らに深々と頭を下げ、何度も「ありがとうございます。お疲れさまでした」と大声で叫んでいるようだった。夫は一滴も涙を流さず、自らの感情を完璧にコントロールしていた。ロボットのようなその様子を見ると、記者は「これが日本人だ」と感じた。阪神淡路大震災では6000人以上の犠牲者が出たが、被災地のどこにも泣き叫ぶ声は聞こえなかった。「静けさゆえに恐ろしい」という感覚。これこそ記者が日本の素顔を目の当たりにしたと感じた体験だった。
過激派組織「イスラム国」により2人の日本人が殺害され、日本国民の間に衝撃が走った。しかし日本社会の反応は20年前の東日本大震災当時とほとんど変わらなかった。最初の犠牲者となった湯川遥菜さんの父は、息子が斬首され殺害されたとのニュースを聞くと「ご迷惑を掛けて申し訳ない」と述べた。また2人目の被害者となった後藤健二さんの母もカメラの前で「すみませんでした」と語った。何が申し訳なくて、何が迷惑だったのだろうか。
これほど残酷な仕打ちを受ける中でも、日本人たちは自らの感情を出そうとはしない。本来の民族性が冷たいからというわけではないだろう。日本の研究者たちはこれを「迷惑コンプレックス」と説明する。「迷惑」とは韓国語で「民弊」などと訳すことができる言葉だ。
日本人の潜在意識には「他人に迷惑を掛ける行為は恥」と考える遺伝子が受け継がれている。「侍の刀による脅し」が日本人をそのようにしたという見方もあれば、教育の効果という見方もある。いずれにしても理由は関係ない。重要なことはたとえ悲惨な状況の中でも、彼らは常に忍耐を発揮するということだ。
イスラム国に家族を殺害された遺族らは、日本政府に対して恨み言の一つでも言いたいはずだ。2人の人質が殺害されるという最悪の結果を招いたことについては、安倍政権の失政が大きいからだ。2人が人質となったのは昨年10月ごろで、イスラム国との交渉も水面下で行われていたという。ところが安倍首相は致命的なミスを犯した。中東を歴訪した際、現地で「イスラム国との戦争に2億ドル(約240億円)を拠出する」(原文ママ)と表明し、まさに彼らの面前で挑発したのだ。安倍首相の発言が報じられた直後、イスラム国は2人の人質を殺害すると突然表明した。無用にイスラム国を刺激する結果を招いた戦術的なミスだった。
ところが2人の被害者の家族は「安倍政権の責任」とは一言も語らなかった。しかも責任を追及しないどころか「人質の救出に力を入れてくれた政府に感謝したい」と機会あるたびに語っていた。遺族らのメッセージは徹底して自制されており、またその内容も事前に考えられていた。言うべき内容をあらかじめ何かにメモし、練習でもしていたかのようだ。そのため「作為的」という見方もあるが、いずれにしてもこれが国の品格というものだ。
個人に対して沈黙と忍耐を強要する日本の文化を「旧時代的」とする見方もあるだろう。責任の所在を明確にしないため、日本そのものが無責任な国になったという指摘もある。しかし少なくとも遺族らは、政府が最善を尽くし、自分たちを裏切らないという信頼を持っていたようだ。これは個人が国家と一つになる「公の価値観」だ。
もし韓国が同じような目に遭ったらどうだろうか。2004年に貿易会社社員のキム・ソンイルさんがイラクで殺害される事件が発生した。ところが当時、世界のメディアが報じたのは遺族が泣き叫ぶ韓国発の記事と写真だった。野党や左翼団体などはこの問題を政府攻撃の材料にした。国会では与野党が激しく対立し、左派陣営はイラク派兵そのものを問題視してデモ行進まで行った。数カ月後、遺族らは国を相手取り損害賠償を求める訴えを起こした。
国家的な悲劇の中で韓国と日本が示した反応は極と極だった。激情的な韓国と冷静な日本、どちらが良いとか悪いとか断言はできないだろう。実際に情熱とエネルギーあふれる韓国人は、何かきっかけさえ与えられれば驚くほどの爆発力を発揮してきた。
その一方で韓国人は共通の敵の前でも互いに争い、何かあればいつも他人のせいにしてきた。この分派性は韓国人の致命的な弱点だ。これを克服できない限り、日本に追い付くことは永遠にできないだろう。20年前も今も日本はやはり恐ろしい国だ。