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日本人に「!」と「?」突きつける映画=台湾アイデンティティー

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コンビニやドラッグストアで外貨両替可能に


中央銀行はこのほど、外貨両替所の設置に関する管理弁法を改正すると発表した。早ければ年内にも、コンビニやドラッグストア、MRT駅内の交換所などで両替が可能になる。外国人客向けのサービス向上が目的だ。中央銀の関係者は阿里山や太魯閣といった外国人観光客に人気だが外貨を両替する施設のない観光地で、周辺のコンビニなどが両替施設を設けることに期待している。観光地などで中国の人民元をそのまま受け入れる業者が増えていることへの対策の側面もある。

富士通の台湾調達額、今年度は2千億円に

富士通は2013年度、台湾からの調達額を前年度比43%増の2000億円に増やす計画だ。山本正已社長が8日付工商時報のインタビューで明らかにした。富士通は地場パソコン受託生産大手の広達電脳(クァンタ)や英業達(インベンテック)、緯創資通(ウィストロン)などと協力関係にある。山本社長はIT分野における日台協力はさらに拡大し、それぞれの強みを発揮して「ダブルウィン」となると期待感を示した。

女性の人口、男性を上回る事態も

今年1〜6月の内政部の統計で、毎月平均で女性の人口が男性を約2700人上回った。このペースで進むと、早ければ年内には女性の人口が男性を約3000人上回る見通しだ。そうなると台湾で戸籍制度が導入されて以来初の事態となる。一般的には国・地域の人口が高齢化すると女性の方が平均寿命が高くなることや、若い世代が生まれてくる子供の性別にこだわらなくなったことなどが要因とみられる。

台北101、世界で最も偉大な工事25件に

米CNNが5日、公式サイトに「世界で最も偉大な工事25件」(順位はなし)を公表、台湾から台北101が入選した。選出の理由としてCNNは、高さ500メートルを超える世界初の超高層ビルで世界最速のエレベーターを持つこと、2009年までは世界で最も高い建造物だったことを挙げた。台北101のほかには、東京スカイツリーや関西国際空港、神戸・明石海峡大橋、中国の万里の長城、上海環球金融中心、国際宇宙ステーションも選ばれている。

李登輝元総統が入院、首の動脈狭窄で

李登輝元総統(90)が頚(けい)部の動脈狭窄で入院していることが5日明らかになった。李氏は今月中旬、宜蘭や花蓮を訪問する予定だったが取りやめとなった。李登輝基金会によると、李氏は3日に目まいを訴え、予定されていた野党系シンクタンクでの講演を取りやめ、同日午後、台北栄民総医院に入院。椎骨(ついこつ)動脈狭窄と診断された。しかし7日付蘋果日報によると、順調に回復しており、早ければあす9日にも退院できる見通しだという。

馬政権の閣僚級2人辞職、大学に復職

馬英九政権の委員会主任委員(閣僚級)2人が内閣を去ることになった。辞任が認められたのは公共工程委員会の陳振川氏と原住民委員会の孫大川氏。いずれも学者出身で大学に戻ることを選んだ。陳氏は台湾大学土木系で、孫氏は政治大学で今夏から教鞭をとる。

プロ野球の観客動員数、前期は過去最多

台湾プロ野球CPBLの今年前期(120試合)の観客動員数が86万1587人と、1995年の85万9659人(150試合)を抜いて過去最多となった。1試合あたりの平均も7180人と、92年の7305人(90試合)に次ぐ歴代2位となった。好調な客足の背景には、開幕直前のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)での台湾代表の健闘と、メジャー通算555本塁打のマニー・ラミレスの義大ライノズ入りなどがある。

謝淑薇が女子ダブルス優勝、台湾人初=ウィンブルド

テニスのウィンブルドン選手権は現地時間の6日、ロンドン郊外で女子ダブルスの決勝戦が行われ、台湾の謝淑薇と中国の彭帥のペアが対戦相手をストレートで下し、初優勝に輝いた。台湾の選手がウィンブルドンで優勝したのは初めて。2人は共に27歳。10代のころ知り合って以降、ペアで対戦経験を積みながら、これまで全豪オープンのベスト8、全仏オープンのベスト4と好成績を残してきた。今回は謝の父親の提案でウィンブルドンに挑戦、優勝の夢が見事にかなった。

日本植民地時代の台湾、法で統治され、現地人へのいじめはなかった―台湾・歴史学者

18日、中国人作家の朱学東氏は、台湾大学歴史学科の許倬雲教授の著書「台湾四百年」を読んだ感想を自身のブログに掲載した。資料写真。

2013年6月18日、中国人作家の朱学東(ジュー・シュエドン)氏は、台湾大学歴史学科元教授の許倬雲(シュー・ジュオユン)氏の著書「台湾四百年」を読み、その感想を自身のブログに掲載した。以下はその内容。

「台湾四百年」の中で許氏は、台湾民衆の抵抗を鎮圧した日本は、日本の農民を生産から解放して工業化に必要な大量の労働力とするため、台湾に物質供給基地を建設したと説明。つまり、日本の植民地としての台湾は、明治後の日本が工業国家に成長するために貢献した。そして、日本は「アジア初の農業革命」を台湾で試行し、台湾の人々はその恩恵に浴したという。

さらに日本は台湾に「国民教育」を実施。すべての児童が6年間の基礎教育を受けられることになった。一方で衛生警察を配置し、日常生活における公衆衛生の徹底を呼びかけ、台湾人の生活環境を清潔で健康なものに変えたと許教授は指摘する。また、日本は現代医療制度を台湾に導入し、台北帝国大学の付属病院では多くの台湾人医師が生まれた。最も重要なことは、日本が西洋から学んだばかりの法律を台湾で応用し、中国の伝統的法律から脱却させた点だ。日本が台湾で施行した刑法ついて、許教授は「とても厳しいものだったが法的根拠に基づいており、むやみに台湾人をいじめるようなものではなかった」と評価している。

台湾で初、パンダの赤ちゃん誕生 台北市動物園

中国が台湾に贈ったパンダ「円円(ユワンユワン)」が6日夜、台北市動物園で赤ちゃんを出産した。台湾でパンダの赤ちゃんが生まれたのは初めて。同動物園によると赤ちゃんは体重183・4グラム、体長15・5センチで、元気だという。性別は分かっていない。

 中国は2008年末、台湾で独立志向の民進党から国民党に政権交代したことを受け、友好ムードを高めようと「円円」と「団団(トワントワン)」のつがいを贈った。今年は自然妊娠の気配がなかったため、3月中旬に3度にわたって人工授精を行ったという。

 「円円」は6月10日ごろから食欲がなくなるなど、妊娠の兆候を見せていた。パンダの飼育担当者らは初出産を見逃さないよう休暇を取らずに見守っていたという。出産には中国の専門家も立ち会った。

全英テニス女子複優勝の「中台ペア」中国選手、「台湾を国家と認められない」―中国メディア

7日、テニスのウィンブルドン選手権女子ダブルスで優勝した謝淑薇(台湾)、彭帥(中国)組が6日開いた会見で、日本の記者が謝に「自分の国家とは、何を意味すると思うか」と質問したのに対し、彭が「私は台湾を一つの国として話す方法を受け入れられない」と反論した。

2013年7月7日、網易体育によると、テニスのウィンブルドン選手権女子ダブルスで優勝した謝淑薇(シエ・シューウェイ、台湾)、彭帥(ポン・シュアイ、中国)組が6日夜開いた優勝記者会見で、日本メディアの記者が謝に「自分の『国家』とは、何を意味すると思うか」と質問したのに対し、彭が「私は台湾を一つの国として話す方法を受け入れられない。テニスと政治を結び付けないでほしい」と割って入る場面があった。

それによると、日本の記者は謝に対し「台湾人として初優勝」したことを賞賛。「自分の『国家』とは、何を意味すると思うか」と質問した。これに対し、謝の隣で聞いていた彭が挙手して発言。「すみません、私はここに座っている以上、台湾を一つの国家として話す方法を受け入れられません。テニスはただのスポーツであって、政治には結びつけてほしくない」と意見を述べた。

さらに、彭は政治とテニスが「まったく別の問題だと思う。スポーツ選手として対処できる話ではないし、私たち2人はプライベートでもこのことは話題にしない。『海峡組合(中台ペア)』という名前でいいと思う」と話した。

台湾の国会議長、21日から訪日 岩手県の復興状況視察も

台湾の王金平立法院長は8日、21日から5日間の日程で日本を訪問すると発表した。

21日に投開票される参院選後の政界の動きを把握する目的で日本の有力政治家と会見するほか、2年前の震災・津波で大きな被害を受けた岩手県への視察も計画されている。

日本の被災者にエールを送ろうと、王氏は昨年7月にも宮城県と福島県に足を運び、東北三県への観光などをアピールした。

「蓬莱塗」の特別展開催 日台の絆が生んだ美の結晶/台湾・台中

台湾に初めて漆の技術を伝えた日本人の紹介など、日本統治時代から100年近くにわたる台湾の漆工芸の歩みを振り返る特別展「世紀の蓬莱塗」が6日から、台中市内の台中文化創意園区(旧台中酒工場)で始まった。

この特別展は、文化部文化資産局と国立台湾工芸研究発展センターが共同で主催したもので、日本統治時代の1916(大正5)年に台湾で最初の漆の工芸学校を開き、「台湾の漆工芸の父」とよばれる香川県出身の山中公(ただす)氏、山中氏の弟子だった陳火慶氏、東京美術学校(現東京芸術大学)で学位を取得している頼高山氏、2010年に「人間国宝」に指定された王清霜氏の作品など200点以上が展示されている。

6日に行われた開幕式典には、山中氏の娘・美子(みつこ)さんも招かれ、特別展の終了後、父の作品など162点をすべて台湾側に寄贈すると発表した。

山中公氏と台湾の教え子が作った「蓬莱塗」は、台湾の庶民生活にスポットを当てることや、日本で基調となる赤と黒以外の色も多く使われることなどが特徴。展示は8月11日までで、漆工芸関連の講座や体験コース、復元された“山中漆工芸学校”の教室の一般公開なども行われている。




日本人に「!」と「?」突きつける映画=台湾アイデンティティー

 決して“楽しい”映画ではない。ドキュメンタリー作品だ。紹介されるエピソードひとつひとつに、衝撃を受ける。見ている自分は日本人だ。日本に生まれたことで、ずいぶんと恩恵も受けている。しかし、日本という国は、日本人は、彼らをどう扱ってきたのだろう。今からでもよい。やるべきこと、やれることはないのか。改めて考えてしまわざるをえない。酒井充子監督の作品『台湾アイデンティティー』を見た。日本統治下に生まれ育った台湾人たちの、戦後における「その後」を追った作品だ。同作品は7月6日よりポレポレ東中野ほか全国順次ロードショー。(写真:(c) 2013マクザム/太秦)

 決して“楽しい”映画ではない。ドキュメンタリー作品だ。紹介されるエピソードひとつひとつに、衝撃を受ける。見ている自分は日本人だ。日本に生まれたことで、ずいぶんと恩恵も受けている。しかし、日本という国は、日本人は、彼らをどう扱ってきたのだろう。今からでもよい。やるべきこと、やれることはないのか。改めて考えてしまわざるをえない。酒井充子監督の作品『台湾アイデンティティー』を見た。日本統治下に生まれ育った台湾人たちの、戦後における「その後」を追った作品だ。同作品は7月6日よりポレポレ東中野ほか全国順次ロードショー。(写真:(c) 2013マクザム/太秦)

 日本統治下の台湾で生まれた出演者数人が、自分の人生を語る。いずれも、日本による教育で自分が形成されたと主張。そのことに対する恨みはない。逆に、日本的な精神を得たことを誇りに思っている。「日本人にはよくしてもらった」との言葉も出る。男性は日本の軍人にもなった。軍人になることが「当時は誇りでした」と語る。

 日本の敗戦後、彼らの運命は苛酷だった。中国から戦勝国として蒋介石率いる国民党がやって来た。まずは、中国大陸部で始まった国共内戦の「財源」として台湾を利用した。台湾の経済は混乱した。

 決定的だったのは、1947年の2.28事件だ。たばこを密売していた女性に国民党当局の取締官が暴行を加え、集まった群衆に発砲したことで死者も出た。大規模な抗議運動が発生し、公的施設のいくつかを掌握。反撃に出た国民党側は大規模な武力投入で弾圧。台湾人2万8000人あまりが殺害・処刑されたとされるが、被害者の数は今なお定説がない。

 『台湾アイデンティティー』の出演者は、当時の状況を生々しく語る。「裁判もなにもありません。疑いだけで連行して、見せつけるために銃殺」、「(勤めていた)学校でも、殺された先生がいました」などの証言が次々に出る。

 日本の教育を受けた人、自らの努力で「日本社会の一員」としての将来への展望を得はじめていた人にとって、自分がいつ抹殺されてもおかしくない状況だった。その後も、国民党による恐怖政治、いわゆる「白色テロの時代」が1987年まで続いた。

 出演者は「日本は負けた。そうしたら、『さよなら』と帰っていっちゃった」と語る。そして、大陸から国民党がやって来た。酒井監督に、出演者の日本統治時代への記憶について尋ねたところ、「日本統治時代を、美化している面はあると思う」という。その後の時代がひどすぎたからだ。

 「日本が負けたからしかたない」と涙する出演者もいる。撮影スタッフももらい泣きしたのだろうか。カメラに向かって「泣かないでください」と語る。敗戦で力を失った日本に見捨てられたことで人生が暗転したのに、目の前にいる日本人への気づかいを忘れない。こちらも目頭が熱くなる。

 それ以外の出演者からも「生まれた時代が悪かった」、「これが私の運命」という言葉があった。日本を大いに恨む気持ちを持ってもおかしくない。しかし、他者に対する憎しみで自分のつらさを解消しようとはしない心のありかたには、崇高さすら感じる。

 日本を信じ、戦争に身を投げ出して戦った台湾人。日本はその後、彼らに何をしてきたか。ほとんど何もしていないとしか言いようがない。「日本語世代」などと言われる彼らは高齢だ。彼らに対してできること、すべきことはないのか。現実として、残り時間は少ない。

 終戦当時、日本軍の軍人だった呉正男さんは、現在の北朝鮮で勤務していたため、ソ連軍の捕虜となりシベリア抑留生活を送ることになった。抑留生活を送っていたから、台湾における白色テロに巻き込まれずにすんだと語る。しかし、重労働や配給食料の不足、いつ帰れるか、生きて帰れるか分からない抑留生活を強いられたことには変わりない。

 2010年になり日本の国会で「戦後強制抑留者に係る問題に関する特別措置法」が成立し、シベリア抑留者に特別給付金が支払われることになった。金額は25万から最大で150万円とわずかだ。抑留者が長期間にわたり強いられた心身両面の苦痛からすれば、本当に“気持ち”としか言えないものだ。

 上映に併催されたトークイベントで、呉さんは同給付金に触れた。支給のために、「平成22年6月16日に存命」であるだけでなく、「日本国籍を有する」との条件が設けらたことを批判。「日本国籍」は戦争関連の補償などについて回る条件と説明し、シベリア抑留には数千人規模の朝鮮出身者もいたことも説明しつつ、対象を現在の日本国籍保有者だけに限ることを「日本の評判を落としてしまう。日本を愛する台湾人として、残念なことです」などと述べた。

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 『台湾アイデンティティー』では、出演者が直接語った内容以外にも、彼らの「アイデンティティー」について考えされられるシーンがあった。例えば、学校教員をしていたという90歳男性、黄茂己さんの話だ。撮影場所は、かつて勤務していた学校の運動場にあるベンチだ。しっかりとした日本語で、さまざまな思い出を語る。そこに、年配の女性が通りかかる。

 黄さんは「彼女は僕の教え子」、「(彼女には)孫もできた」と紹介。女性とあいさつを交わすが、台湾語だ。女性は改めて撮影スタッフの方を向き、「いい先生だったんですよ」などと黄さんを紹介。今度は北京語だ。

 台湾語は福建省方言に近い言葉。北京語は台湾の公用語で、「国語(グオユー)」と呼ばれている。相互の意思疎通は、ほとんど不可能だ。女性は「外部から来た撮影スタッフ」を見て、北京語で話しかけたのだろう。

 黄さんと女性はもうしばらく会話を続けるが、最初は北京語のまま。しかししばらくすると、自然に台湾語での会話に切り替わる。女性が去り、改めてカメラに向った黄さんは、再び日本語で語りはじめた。

 人格形成期に身につけ、今でも精神的基盤と直結している日本語、必要に応じては問題なく使える北京語、そして同郷人との自然な意思疎通の手段である台湾語。たしかに、すばらしい語学能力だ。しかし、そのような語学能力を身につけざるをえなかった彼らのこれまでの人生を考えると、どうしても複雑な気持ちになる。

台湾で東日本大震災・復興支援のチャリティーコンサート

 台湾の北西部の桃園で7日、2011年3月11日に発生した東日本大震災からの復興を支援するためのチャリティーコンサートが開催された。台湾メディアの公視新聞網などが伝えた。

 出演したのは中レキ青少年管弦楽団で、岩手県出身の声楽家、古川精一さんが共演した。(レキは土へんに「歴」)

 公視新聞は東日本大震災を受けた日本が「今もなお、苦しい復興の作業が続いている」、「復興の道は、まだ終わっていない」と説明。チャリティーコンサートのステージについて「日本の声楽家と台湾の演奏団体が共演することで、日本の被災者を激励したいと考えた」と紹介した。

 コンサート会場では、、根本匠復興大臣の、、震災に際し台湾から寄せられた多大な支援と励ましに感謝し、コンサートを歓迎する特別メッセージも披露された。

 同コンサートのチケット売り上げは、災害や病気で苦しむ日台双方の人々のために寄付される。

 中レキ青少年管弦楽団は2010年に発足した青少年主体のアマチュア管弦楽団。台湾で初めて、世界アマチュアオーケストラ連盟(WFAO)に加盟した。総監督は日本人の山路譲さん。

台湾・中国時報の報道によると、台湾の最高法院は3日、同じ大学で学んだ女性を果物ナイフでめった刺しにし、殺害した男に対して、無期懲役の判決を言い渡した。女性は大学を卒業し、テレビ局に入社することが決まっており、アナウンサーになる予定だった。中国新聞網が伝えた。

大学生だった被告は昨年6月末、苗栗市にある大学の同じ寮に住む女性と知り合い、電話番号を聞き出そうとしたが断られた。逆上して果物ナイフで19回、顔や首を刺し、殺害し、その後、遺体にわいせつ行為をしたことも指摘された。

裁判では泣きながら遺族に謝罪し、反省の意を示したが、最高法院は一審、二審の無期懲役の判決を支持した。

聯発科、上半期は33%増収[IT]

携帯端末用チップ大手、聯発科技(メディアテック)の上半期の連結売上高は、前年同期比33.0%増の572億5,000万台湾元(約1,915億円)だった。同社は上半期のスマートフォン向けチップの出荷量は8,000万〜8,500万個とみており、下半期は前期比で35〜50%さらに増やす目標だ。

6日付経済日報などが伝えた。6月単月の連結売上高は、前月比10.6%減、前年同月比24.6%増の97億7,300万元。四半期ベースでみると、4〜6月売上高は前期比38.8%増の332億7,600万元となり、自社の予測(316億元)を上回った。

聯発科の今年通年のスマホ向けチップの目標出荷量は2億個。下半期は、中国の国慶節連休(10月1日〜)や来年の春節(旧正月)に向けた需要が出荷をけん引するとみている。

証券筋は、「テレビやパソコン(PC)、ノートPC向けの需要は弱いが、下半期の中国のスマホ向けチップ需要が例年を上回る可能性がある」

「大陸妻」政党が勢力拡大「毛沢東の前でひざまずかせたい」

 中国メディア・環球網は7日、台湾に嫁いだ大陸の女性が3年前に結党した政党が、着実に党員数を増やしており、女性が「台湾の政治家らを毛沢東氏の前でひざまずかせたい」と語ったと報じた。

 記事は、大陸から台湾に嫁いで22年の盧月香さんが、嫁いだ当初から感じた差別を解消すべく「中華外籍促進会」を立ち上げ、3年前にはさらに「中華生産党」という政党を結成したことを紹介。設立から3年で党員数が3万2000人に拡大したとした。

 また、中華生産党の旗は「1つの中国」を示す青地の左下に赤い五星を配したもので、青い「五星紅旗」(中華人民共和国の国旗)のようだと伝えた。今月1日には国会議員にあたる立法委員のポジションを確保すべく、国民党内の退役軍人部門(黄復興党部)と協議を開始したという。

 記事はさらに、盧氏が党内を毛沢東思想によって教育しており、4月には党員約100人を連れて北京の毛主席記念堂へ赴いたことを紹介するとともに、盧氏が「台湾の立法委員や将軍にも毛主席の前にひざまずきに来てもらいたい」と語ったことを伝えた。

人気お化け屋敷「ヤミコの呪い」が台北上陸、アンバー・アンが涙のPR

5日、東京・お台場にあるホラーアトラクション「台場怪奇学校」の夏イベント「ヤミコの呪い」が、「東京の恐怖学園」として台北市に登場。人気タレントのアンバー・アンがPRした。

2013年7月5日、東京・お台場にあるホラーアトラクション「台場怪奇学校」の夏イベント「ヤミコの呪い」が、「東京の恐怖学園」として台北市に登場。人気タレントのアンバー・アン(安心亞)がPRした。NOWnewsが伝えた。

2010年から台北でも同時開催されている「ヤミコの呪い」。今年は「東京の恐怖学園 地下室」として、5日から台北市内でオープン。PR役には人気タレントのアンバー・アンが選ばれている。

「本物の幽霊より偽物のほうが怖い」と語るアンバー。PRイベント前に「東京の恐怖学園」を体験したが、あまりの恐怖で座り込み、「休憩させて!」と訴えている。イベントで幽霊がサプライズ登場すると、「東京の恐怖学園」の恐怖体験がまだ忘れられないのか、絶叫して泣き出すほど。アンバーのリアルな反応が、最高のPR役として集客効果につながりそうだ。

恐がりを自認するアンバーだが、ホラー映画やお化け屋敷は大好きだという。以前、1人でお化け屋敷に入ったところ、恐怖で足がすくんでしまった。アトラクション内にいた幽霊に「心臓が痛いの」と訴えたところ、「自分の“職業”を忘れて、必死に係員を探してくれた」と、脱力感いっぱいのエピソードも披露している。

「台湾アイデンティティー」 日本語世代にみる未来志向の日台関係

日本統治下の台湾に生まれ、日本人として教育を受けた「日本語世代」。7月6日公開の「台湾アイデンティティー」は、彼らが送った激動の戦後を通し、日本と台湾の未来を見つめるドキュメンタリーだ。作品写真:(c)2013マクザム/太秦

日本統治下の台湾に生まれ、日本人として教育を受けた「日本語世代」。7月6日に公開される「台湾アイデンティティー」は、彼らが送った激動の戦後を通し、日本と台湾の未来を見つめるドキュメンタリーだ。

初監督作「台湾人生」(09)、続く「空を拓く 建築家・郭茂林という男」(13)と、酒井監督は一貫して日本語世代を追ってきた。「台湾アイデンティティー」では、台湾、日本、インドネシアに暮らす6人に密着。敗戦による日本の撤退、大陸から来た国民党による支配、民衆弾圧「二・二八事件」と「白色テロ」、戒厳令解除から民主化へ―日本語世代が巻き込まれた激動の戦後を追う。

6人は生まれた時から、「外来の為政者」に人生を翻弄されてきた。少数民族ツオウ族の高菊花(ガオ・ジューホア)さんは、戦後に父が逮捕・処刑され、自身も長く国民党に監視された。高さんの大叔父・鄭茂李(ジョン・マオリー)さんは、18歳で海軍に志願。戦後は国民党の執拗な尋問を受けた。

少年工として日本に渡った黄茂己(ホアン・マオジー)さんは、結婚後に台湾に戻って教員に。台湾人の父と日本人の母の間に生まれた張幹男(ジャン・ガンナン)さんは、独立派の冊子を日本語に翻訳しようとして逮捕され、政治犯収容所に8年間入れられた。

ジャカルタに住む元日本兵の宮原永治さんは、戦場を転々とした後、戦後はインドネシア独立戦争に参加。台湾にも日本にも戻らずインドネシア国籍を取得した。横浜在住の呉正男(ウー・ジョンナン)さんは、陸軍航空通信士として北朝鮮で敗戦を迎え、中央アジアで2年間、捕虜として強制労働をさせられた。

台湾に生まれ、台湾人として、平穏な人生を送る権利があったはずだ。しかし彼らの口からは、日本を責める言葉は出てこない。淡々と、時に明るく、厳しい過去を振り返る。「今も日本語を話したくなる」という鄭さんは、戦争に負けたから「日本人になれなかった」と肩を落とすのだ。日本人として言葉を失う。あの時代、日本がしたことの大きさに。

東日本大震災後、台湾は日本に巨額の義援金を寄せた。中国や韓国との関係が悪化する今、台湾を「親日」とくくる見方もある。しかし、酒井監督は「日本人はわきまえてほしい。彼らがなぜインドネシアや日本にいるのか考えて下さい」と強調する。「かつて台湾を日本が統治し、あの時代を背負った人が今も生きている。『何となく親日な感じがする』ではなく、当時を知ったうえで、台湾と向き合ってほしいのです」。






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